メモリー・オブ・アオハル
浅賀ソルト
メモリー・オブ・アオハル
こんな分かりやすい八百長が本当にあるとは。
愛知県美術展覧会の入選に宮岡りせという女子高生の絵画を選びなさいという〝指示〟がやってきて私はなんだかしみじみそう思った。
その指示は当然県議会の公式文書や愛知県芸術文化祭実行委員会の開催宣言に書かれていたわけではなく、なんだかよく分からないが偉そうな顔をしたスーツを着た女から口頭で告げられただけだった。
「宮岡りせという女子高生の『メモリー・オブ・アオハル』という油絵を入選にしろ、と?」私は復唱した。
「そうです。よろしくお願いいたします」
私は意地悪な気持ちになってこう言った。「もう一度言っていただけますか?」
「一度言えば充分でしょう。分かりませんか?」
私はスマートフォンを取り出し、あっちこっちをタッチした。「ちょっと待ってください」なんとかボイスメモを起動する。「ああ、よかった。ボイスメモって滅多に起動しないのでいざというときに起動させるのは大変ですね」
「……」
「ええと、ではもう一度、言ってください。宮岡りせという女子高生の『メモリー・オブ・アオハル』を入選させろと、大会委員の
「十文字先生、子供みたいな真似はしないでください。あなたを審査委員に推薦した
ごふ。血を吐くというのはこういうことだ。誰にでも恩義があり、この人に迷惑はかけられないという人がいるだろう。私にとって畔上先生がそれだった。
ここでロックンロールを貫いて、『私の恩人の畔上先生も宮岡りせを入選させろと言ってきたんですね?』とかボイスメモを相手の口元に突き出せればよかったのだけど、私もそういう争いが得意なわけではない。
これを書いている今はまだ冷静で色々と状況も整理できているが、そのときは色々といっぱいいっぱいで、あのときこうすればよかったという後悔ばかりだ。
畔上先生の名前を出された私はそこで硬直して、大会委員の不破亜衣莉が、「それではよろしくお願いしますね」と言って立ち去るのをじっと見ているだけだった。
先に言っておくが、このボイスメモは何の役にも立たなかった。
県の芸術祭で入選したからってそれでプロになれるわけではない。まあちょっとした思い出になるだけだ。まだ見てないが、『メモリー・オブ・アオハル』とはよく言ったものだ。せいぜいメモリー・オブ・アオハル止まりのしょうもない権威でしかない。
別にピュアではない。展覧会に入賞するには腕は関係なく、師匠にどれだけ賄賂を渡したかによる。金銭だけでなく、月謝とか謝礼とか四季の贈答品とか、そんなのが物を言う。私も畔上先生にいくら貢いだか分からない。貢いだというと人聞きが悪いな。私の作品を注目して評価してもらうために広告費を払ったのだ。
世渡りが嫌いだから芸術の世界に進んだのに、一番世渡りが評価される世界だったというのは皮肉なものだ。そういえばホームレスが一番人間関係めんどくさいってなにかのテレビでやってなかったっけ?
それは展覧会準備の定例会が県庁の会議室であり、長机の前に座って配られた資料を見ながらあれこれ準備の進捗確認をしたあとのことだった。
「十文字先生?」
「はい?」
「ああ、よかった。
呆然としていたところに次の女性が現れた。まだまだ現役といった感じの四十台の美人で、こちらの顔を覗き込んでぐっと圧をかけてきた。
私はその勢いに押されるように握手をした。
「え? なんですって?」もうボイスメモは終了している。
「川地愛羅です。よろしくお願いします」
そのあと二言三言話してその女性とも別れた。要約するとそれを入賞させると私は豊川市の芸術祭の審査委員になれるらしい。
やたらと人名が出てきているが、もちろん覚える必要はまったくない。相手の口から出てきた言葉を文章にしているから省略できないだけである。AとBとCでも内容は同じだ。
畔上先生に長年払い続けた金を遂に回収するターンになったということだろう。それはそうとさっきの女性は好みだったから愛人にならないか交渉してみてもいいな。畔上先生と兄弟になってしまう可能性もないではないが。いいケツだった。
繰り返すが畔上先生は裏切れない。いいケツはいいケツとしての利用価値があるだけである。これを読んでるあなただって、同じことをするだろう?
メモリー・オブ・アオハル 浅賀ソルト @asaga-salt
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