〈王国記10〉 回想 エナについて
「適正元素って、何なんだろうね」
あの日もエナは紅茶を淹れながら、私に話しかけてきた。片手には白い用紙があり、肩にはタオルがかかっている。髪は濡れたままだけれど、就寝時刻までの数十分をいかに自分たちの時間にできるかは私たちの共通の課題で、そのためには入浴と着替えを速攻で終わらせることが不可欠だった。自然、髪を拭くのもおざなりになりがちだ。
「自分の身体に最も適合する元素のことでしょ?」
私は授業で聞いた知識をそのまま述べる。エナはうなずいてカップを持ち上げる。
「火、水、土、空気の四元素のどれが自分に最も適合するかは、生まれたときから決まっていて、一生変わることはない。でも、なんか納得いかないんだよね」
「なにが?」
「適正を決めてる根拠が不透明な気がしない?」
「私の適正元素は空気だけど、それをどうやって判断したのかがわかんないってこと?」
「そう。親のどちらかの適正元素がそのまま子供に受け継がれるものだっていうのが通例だけどさ。たまに、まったく関係ない適正だと診断される子もいる。火、水の両親から、土の子が生まれてきたり。
それに加えて、この前のアンナの判定。アンナは自分の両親の適正元素なんてわからないわけじゃない。でも、軽い試験を受けさせられて、たまたま四つの中で空気魔法が一番秀でてたから、適正は空気ってことになった。それ見て、案外そんなものなんだって思って。もっと、しっかりした、何かしらの根拠があるものだと思ってた」
エナが向かい合わせのベッドに腰かける。部屋は狭いため、こうして正面に向かいあって足を伸ばすと、互いの足の指が触れる。
「みんな、生まれたときに言われた適正を、信じ込んでるだけなんじゃないかな」
私も考えてみる。兵学科で習った魔力適正関連の授業が全部嘘で、本当はそれぞれに別の適正元素がある可能性。
ないんじゃないだろうか。
そんなことをする意味が分からないし、誰の得にもならない。デメリットしか見つからない。ははーん、と私は思いつく。エナがこういう回りくどい話をするときは、だいたいの場合本当に話したいことは別にあるのだ。
「つまりエナ、選択授業どれにするかで悩んでるね」
図星だったからか、エナはそれまでの真面目そうな雰囲気を崩し、ぐ~とうなりながらじゃれるようにティーカップを押し付けてきた。受け取って、ちょうど残り半分になった紅茶に口をつける。部屋に支給される茶葉は月に数袋で、毎日飲むためには何かしらのかたちで節約しなければならない。
エナが両手で用紙を広げる。今年度のカリキュラムの希望用紙だ。選択コースの希望を記入しなければならない枠がぽっかりと空いている。
「適正が決まり切ってるんなら、なんでわざわざ希望とったりするんだろう」
わかりきった質問が飛んでくる。答えを求めているわけではなく、ただ愚痴りたいだけだとは知りつつも、答える。
「なかには、両親の適正を半々くらいで受け継いじゃった子とかもいるからだよ」
「じゃあ私みたいに両親とも水元素の人の解答用紙は、消し込んどいてほしい」
「オーダーメイドで解答用紙作ってたら、解答用紙つくる意味がそもそもなくなっちゃうよ」
コースだけならまだしも、用紙には他の項目もたくさん用意されている。自分の適正元素に見合ったコースを選ぶのは当然なことであるから、生徒側が自ら記入したほうが手間が少ない。
それでも、選ばせてあげますって繕った感じがなんか嫌。
続いたエナの声は小さく、聞き取れたかが怪しくて尋ね返そうとしたが、彼女はそのままベッドに倒れこんでしまった。なんとなく真意を聞きづらく、少しずつ温度を失っていく紅茶を飲む。
紅茶を飲み終えて、カップを洗い終えたころには、エナはもう寝仕度を整えてベッドの中にいた。
私も寝仕度を終え、ベッドの中に入る。いつものように明かりを消そうとした。このころの私はようやっと微風を起こせる程度にはなっていて、燭台の火を消すのは私の役割だった。けれどエナがあおむけの状態で用紙とにらめっこしているのを見て、魔法を使うのをやめる。彼女の用紙は、他の部分はほとんど埋まっていて、残っているのは元素コースの選択だけだった。こちらの気配を察知したのか、エナが口を開いた。
「アンナは空気魔法だよね」
私はうなずく。すでに記入した紙を、昨日提出してある。
「エナは迷ってるの?」
布団をかぶる。エナは笑ったようだった。
うーん、とふやけた声が返ってくる。
「どうせ、適正元素を選ぶんだろうけど、それがちょっとだけつまんなくて」
エナが紙から手を離すと、ゆらゆらと左右に振れながら落ち、うまく顔に着地した。表情が見えなくなる。
しばらく続く言葉はなかった。エナが息を吐く度に紙がわずかに浮き上がりかける。それが規則的になり始め、寝たのかと思った私が顔を天井に向けたところで、またエナがぽつりとこぼした。
「アンナみたいに、頑張ってる人の前で言いづらいけど、私、本当はこんなところ来たくなかったんだよね」
私は体勢をうつ伏せにかえて、エナのほうに顔を向ける。彼女の顔にはまだ白い紙が乗っていた。
何となく気づいていた。ここでの日々の中で、彼女がひどく冷たい表情を見せることがあったからだ。それは、普通の生徒であれば喜ぶような場面が多かった。
初めて武器が支給され、手に刃の重みを感じたとき。
国史の授業中、講師に過去の卒業生たちの功績を聴かされたとき。
中央から、現役の騎士がやって来て、講演が開かれたとき。
そして、従騎士クラスとなって、実践的な魔法を習得していくために、選択元素コースの希望をとる用紙が配られたとき。
「じゃあ、どうしてここに来たの?」
と私は尋ねる。エナはしばらく黙った後で、家の方針、と短く答えた。それから、言い訳するように、ゆっくりと話し始めた。
「行きなさいって、命令されたわけじゃないよ。行ってほしいって、お願いされたわけでもない。ただ、最初からなんとなく決まってたの」
私が黙っていると、エナは説明してくれた。
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