第229話 猪突猛進でお馬鹿で最強のシェリルちゃん

 一歩足を踏み入れると、まるでそこが別の世界のようだった。

 なるほど、ダンジョンと言われるはずだ。

 壁や扉で明確な境界が引かれているわけではないが、その中に満ちた魔力の量は外界とはまるで別物だ。

 そして、このダンジョンは俺たちがこれまで挑戦してきた中でも、最も難度が高いことを改めて理解した。


「なにここ……異世界ってだけでも現世界より魔力が多いのに、ここはそんな異世界の中でも、さらに大気の魔力量がかけ離れている」


「こんな場所で生活して、毎日他の種族と争っているんだから、そりゃ住んでる人は強くもなるだろうね」


 魔力を感知しようとする。しかし、森全体に高密度の魔力が漂っているせいか、索敵がうまくできない。


「紫杏は、森の中の様子がわかるか?」


「う~……なんか、いつもよりもかなりわかりにくいかも。濃い霧の中で何も見えないみたいな感じ」


「紫杏もかあ……」


「え、善も? お揃い?」


「どこで喜んでるんだよ」


 お揃いだからって別に……まあ、わりと悪くはない。

 俺の心変わりはあっさり見抜かれたらしく、紫杏がしたり顔で見つめてくる。


「はいはい、嬉しい嬉しい」


「素直じゃないな~」


 いつも通りのやりとりに、ほんの少しだけ生じていた不安がまぎれる。

 そうか、俺ってこの森の中を進むことに緊張していたのか。


「ちなみに、僕と夢子も無理そう」


「大地と夢子も? 魔力に影響されなさそうな五感でも無理なのか」


「私は魔力に関係しているからね。私の目がいいのって高密度な魔力を宿しているからだし、この森の中じゃ空気中の魔力が邪魔して、普通の視力しかないわ」


「僕のほうは、この森自体の構造のせいかな。なんかやけに音が反響しているみたいで、近くの音か遠くの音かもわからない」


「ますます天然のダンジョンみたいだな」


 となると、残りはシェリルの嗅覚が頼りなのだが、そちらもやはり芳しくなさそうだった。

 息を荒く匂いを嗅ぎ続けているが、一向に上手くいってない様子を感じる。


「だめです~……匂いが混ざってわけがわかりません。木や草の匂いがいつもよりすごくすごいです!」


 すごく強いって言いたいようだ。

 これも魔力のせいだろうか。中に住む生き物だけでなく、草木も膨大な魔力で成長し、存在感がやけに強いのかもしれない。


「それじゃあ、いつも以上に気を付けながら進むか」


「はい!」


「うるさいよ……」


 シェリルが元気に返事をしてくれるが、何が起こるかわからないので大地が苦言を呈した。

 言い争いになる前に、紫杏がシェリルを回収する。夢子もさりげなく大地に寄り添うように歩いていた。

 女性陣の見事な手腕には驚くばかりだ。


    ◇


「あ、猪だ」


 ふと視界に大きな影が映った。向こうもこちらと同時に気づいたようで、じっとこちらを見つめている。

 現世界でも、異世界でも、見覚えのある魔獣グランドタスクがそこにいた。


「そういや、男神様や女神様も食べていたって、アルドルさんが言っていたな」


「縁起がいい食べ物だね。でも、今までの個体よりも強いみたいだよ」


 それはその通り。現世界のものよりも、異世界のもののほうが強かった。これは魔力の差によるものだろう。

 つまり、異世界の中でさらに別の空間のようなこの場所に生息しているグランドタスクが、これまでのどの個体よりも強いのは道理といえる。


「どっちにしろ、戦わないといけないみたいだな」


 向こうもすでに臨戦態勢。今にもこちらに突進してきそうだ。

 剣を構えよう、そう思ったときに大地が横から口出ししてきた。


「待った。なんかきてる」


 その言葉が間違いではないと証明するかのように、グランドタスクも俺たちではなく後方をうかがうように振り向いた。

 そして、一瞬でそう判断したのか、俺たちなんかには見向きもせずに走り去っていく。


「なんか、やばそう」


 俺たちも逃げるかと提案しようとすると、大地が聞いていたであろう音が俺の耳にも届いた。

 地響きだ。最初は小さかったが、どんどん大きく轟音へと変わっていき、それにつれて大木をへし折るような音まで聞こえてくる。


「デカ鹿です!」


「ハイドラの突撃よりやばそうね!」


 そう言いながらも、夢子はこちらに迫る巨大な鹿めがけて火の球を投げた。

 鹿はとっさに回避するが、地面に落ちた火の球が、まるで溶岩のように変化していく。

 俺たちの周囲が溶岩に囲まれたことで、鹿はさすがにそのまま突進してくることもないようだ。


「獣っぽいし、火は嫌ってそうね」


「獣だから毒も効く」


 効果があるかどうかは別として、獣の本能から火を忌避するのは、現世界でも、異世界でも、同じようだ。

 大地もすでに行動に移っている。鹿めがけて魔力を蝕み破壊する毒をかけていた。

 二人が相手の動きを阻害してくれているし、シェリルも囮役を務めてくれる。

 紫杏が守ってくれるので、防御のことは考えなくても問題ない。

 だから、俺は攻撃することだけに集中できる。


「所詮は草食動物! 肉食である狼の前では餌にすぎません! うぉっとお!!」


 あ、溶岩に囲まれた場所で挑発していたシェリルが襲われた。

 鹿が軽く跳躍しただけで溶岩を乗り越えて、一気にシェリルを踏みつぶそうとしたらしい。

 だが、紫杏の結界は巨大な鹿の攻撃をやすやすと受け止めて弾いた。

 ここがチャンスだな。


「狙うなら首だなっ!」


 でかいやつの首を斬り落とすのは、何度も経験したから得意なんだ。

 切れ味が鋭い水属性。速度による後押しができる風属性。

 それらの魔法剣を同時に発動させ、魔力を剣の先端へと集めるようイメージし。

 あとは、横なぎすると同時に魔力も斬撃も飛ばす!


「さすが、先生! 首狩りのプロ!」


「すごい嫌なプロなんだけど……」


 褒めてくれている。それはわかるんだけど、これまた不本意な褒め方だ。

 可能な限りの鋭い斬撃を飛ばしたことで、大きな鹿は首と胴体がきれいに分断された。

 突然のことだったためか、首のない鹿は倒れることなく立ち尽くしており、いっちゃ悪いが不気味な見た目でもある。


「おつかれ」


「ああ、やっぱみんなと戦うと楽でいい」


 行動阻害と弱体化。囮に防御と至れり尽くせりだからな。

 たしかに目の前の鹿は非常に強かった。だけど、俺たちも異世界で魔力が増している。

 特に、俺と紫杏は考えなしに魔力を補給し続けることができるため、もう現世界にいたときよりもはるかに強くなれているようだ。


「それにしても、【超級】のグランドタスクの強化個体が逃げるほどだし、この鹿って【極級】くらいの強さなのかしらね?」


「なにを言っているんですか夢子。ここは【神級】ダンジョンですよ? と~ぜん! 【神級】の強さに決まってるじゃないですか!」


 つまり神に匹敵する強さだと、シェリルは高らかに笑った。

 う~ん……だけど、本当にそうかな?

 たしかに、【超級】よりは強かった。【極級】といっても差支えはないだろう。

 だけど、【神級】ってこんなあっさり倒せる程度なのか?


「あら、威勢がいい獣人……いえ、人狼かしら?」


 気づかなかった。

 当然のように声をかけてきたその人の気配が、あまりにも周囲に自然に溶け込んでいたせいで。

 しかも、この人……さっきの鹿よりも魔力の量が桁違いだ。


「でも、ターリスクを狩れるくらいの強さがあるってことは、あなたたちも狙っているのかしら? この森の王の座を」


 ターリスクっていうのは、たぶんさっきの巨大鹿のことだろう。

 この言い方だと、さっきのあれは強さを測る指標程度の魔獣だったということになる。

 そして、目の前の女性もおそらくあの程度なら、あっさりと葬れるであろうことは感じ取れる。


 さて、話は通じそうではあるけれど、その一方で魔力が暴走していたときの獣人のような、戦いたくてうずうずしているような気配もするんだよな……。

 頭に角が生えた女性。おそらくオーガ種であろう彼女を相手にどうするべきか……。

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