第222話 しっぽを巻いて逃げるのが嫌いな犬
「あ、あなたたちは助けに来てくれたのですね!」
獣人たちが紫杏を見て歓喜に染まる。
まだ魔力が暴走したままの獣人たちと、互角気味の戦いを繰り広げていたようだ。
かたや理性がある分仲間相手に戦いにくそうにし、かたや闘争本能のままに仲間であろうと食い破りそうな勢い。
同じ獣人でも、今回の場合は魔力が暴走しているほうが強いみたいだ。
「なんと軟弱な! 力ではなく、言葉で私たちを止めようとし、その次は他種族に頼るつもりか!」
豹の獣人がその顔を怒りに染め、かつての仲間たちを罵倒する。
そしてその怒りはすぐに俺たちへと矛先が変わった。
「たかだか人間とサキュバス風情が! 我ら獣人に敵うと思ったか!」
「えい」
「お……ぐっ……」
そんな獣人も紫杏の拳の前になすすべなく沈んでいった。
うん。やっぱり、こっちのほうがよほどゴッドハンドだよ。
「ま……まだまだ……」
「えい」
「ぅ……こ、こんなことが……」
「さすがはシアン様! 軍団長をこうもたやすく!」
殴る。倒れる。起き上がるまでの間に他の獣人を殴る。起き上がったらまた殴る。
その繰り返しだ。獣人たちの再生能力で魔力を消耗させるためとはいえ、なんだかとんでもない光景になっている。
やっぱりこれって、紫杏だからこそできる方法だよな。
下手したらアルドルさんでさえ、こう簡単にはいかないんじゃないか?
「えい……ん、あなたはもういいみたいだね。次は……」
一番最初に殴られた豹の獣人に、再び拳を振りぬこうとしたが、紫杏はそれを寸止めした。
豹の獣人は先ほどまでの威勢がなくなっており、代わりに何が起きているのかわからないというように困惑している。
「おお! あのコリンが、こうも簡単に!」
「な、なんだ……? 私は今まで……いや、あそこで拳を振るっている方に、敗北したことはわかっている」
あ、そこはやっぱりわかるんだ。
そしてすでに紫杏には敵わないと、彼女の中での格付けが終わっている気がする。
「む……あなたは、まさか現世界の人間! それも男性か!」
「え、ああ……はい。そうです」
「ぶしつけな願いではあるが、一度頭を撫でてみてくれ!」
えぇ……やっぱり、そうなるのか。
なんなんだこのシステム。
「ええと……はい」
「おぉ……これが、伝説にあった男神様の加護……」
なんの加護もないです。男神様。まじであんた何したんですか。
それでも、獣人は満足そうにしているので、きっとこれでよかったんだろうと自分に言い聞かせることにした。
「あ、あの……俺もいいですか?」
「あ、はい。並んでください」
正気に戻った獣人たちが、次々と俺のもとへと列をなす。
老……はさすがにいないけど、若男女問わず、種族も問わずだ。
まあ、逆に男の獣人も混ざってることで、紫杏も変なやきもちを妬かないだろう。
「ゼン様! 同胞たちが次々と、シアン様とゼン様の偉大さを理解しています!」
俺の偉大さってなんだろう……。
そんなことを考えながら、彼女に殴らせ、俺が撫でるという、意味不明なマッチポンプみたいな状況から目をそらした。
◇
「なぜ、魔族と共にいるんだ! アルドル様!」
本能のままに行動しているとはいえ、さすがにかつての王が敵に回るというのは思うところがあるらしい。
互いに不毛でしかない争いだし、彼らも早く正気に戻してあげないとね。
「ずるいぞ! 俺も弱者側に回って、竜王国や獣王国相手に戦いたい!」
「やかましい。さっさと正気に戻れ、馬鹿者が」
あ、そういう感じなんだ。
さすがは闘争本能ましまし状態の古竜だ。要するに楽しく戦えればなんでもいいんだね。
じゃあ、僕の戦い方はさぞかし彼らには、面白くないものになるだろう。
「な、なんだ……体が……動かない」
「ふっ……私の闘気の前に、体が言うことを聞きませんか」
違うから下がってくれないかなあ……。
シェリルも善と紫杏のほうに預ければよかった。
さすがに竜相手に戦っている間は、あの馬鹿の相手をする余裕がない。
「な、なんだと……おい、お前ら! あの人狼が一番厄介だ! すぐに仕留めろ!」
竜も馬鹿だった。
まあいいや。形は違えど結果的に、いつものような囮の役目をしっかりと果たしているし。
馬鹿同士でじゃれ合っているうちに、せいぜい毒で麻痺してもらおう。
「俺の国、こんなにひどかったか……?」
アルドルさんも呆れながら凍結のブレスを吐き続ける。ため息に変わらないことを祈るばかりだ。
「これで一通りの古竜は動けなくなったね。夢子協力ありがとう」
「気にしないで。そのほうが効率よかったから」
今回夢子は魔術は使っていない。
僕に協力して、共に毒の精度と効果と範囲を上げることに注力してくれていた。
そして、魔力が不足しないように、僕の魔術のいくらかを肩代わりしてくれた。
これがなければ、さすがにこれだけ広範囲の魔術はそうそう扱えない。
「これだけの竜を暴走させている魔力を吸収して、サキュバスは平気なんですか?」
すでに倒れた古竜たちから魔力の吸収を開始したサキュバスたちに、ふと気になったことを聞いてみる。
作業中であるとはいえ、そこまで神経を使うものでもないらしく、一人のサキュバスがそれに答えてくれた。
「ええ、私たちはその気になれば、魔力を体外に排出できるから」
「さすがはサキュバスだな。かつてアキトが、様々な種族が魔力で暴走していたところを鎮めたことを思い出す」
「さ、さすがに男神様のようにはいきません……。あの方はたった一人であの森に住む暴走していた者を鎮めたと聞きますから」
「だが、原理は同じだろう。時間がかかろうとも問題はあるまい」
たしかに、男神様と似たようなことができるってだけでも相当にすごいと思う。
それにしても、時間がかかるか……。僕の毒も無限じゃない。長引くようであれば、古竜たちを別の手段で拘束するべきか?
「暴走を鎮めるのって、どのくらいかかるんですか?」
「そうねえ……日が変わる前には終わりそうよ」
それならよかった。サキュバスたちが大勢でかかりきりになっているからか、案外すぐに終わるみたいだ。
これなら、善と紫杏のほうを手伝う余力すらあるかもしれない……。
「おいおい、獣人どころか魔族に負けているだと。これはなんの冗談だ」
ぞっとするような気配。
アルドルさんや紫杏を思わせる、膨大な魔力が二つ。
いや、あの二人よりは魔力は少ないけれど、少なくとも僕たち以上の魔力をもつ存在だ。
それが、明確な敵意をこちらに向けている。
「困りましたね~。まさか獣人ではなく、あなたが敵になるなんて。私たちの国をどうするおつもりですか? アルドル様」
「トルムにギアか……知れたこと、国を正常な姿に戻すつもりだ」
「つまり、私たちの敵である……と」
「残念ながらそのようだ」
トルムとギア。現竜王とその相談役にして国を統率する竜。
先ほどまでの古竜たちとは実力がかけ離れている。
いや、関係ない。まずは毒で動きを奪う。
「その毒、ずいぶんと磨き上げているじゃないか。だけどな、馬鹿正直に食らってやらねえよ!」
知覚されにくいように、限りなく存在感を消して煙状にしたというのに、トルムはあっさりと看破してしまった。
どこからともなく発生させた雷が破裂し、周囲の空気をかき乱す。
僕の毒煙もそれに乗じて周囲へと霧散してしまった。
「しっかし、うちの軍がこんなに弱っちいとはなあ……たかだか魔族にいいようにやられちまって、情けねえ……」
トルムが仲間を、僕たちをにらみつける。
なかなか恐ろしい威圧だね。少なくとも現世界の竜とは全然違う。
サキュバスたちも怯えた様子で、思わず作業を中断してしまうくらいだ。
「まあいい。俺が全員倒してしまえば問題ない。サキュバスだろうが、吸血鬼だろうが、引退した元竜王だろうがな」
「あら、いけませんよ~? アルドル様は私の夫。私のものです。トルム君といえど、ゆずるつもりはありませんよ?」
「ちっ、いいだろう。なら、貴様の夫の相手は任せたぞ」
こっちもやばそうだね。
竜王アルドルの正妻ギア。魔力の操作が誰よりも長けているという竜。
そして、他者の魔力に干渉することすらできるという話だ。
アルドルさんは、このギアが戦場に出てくることを最も懸念していた。
自分の奥さんと戦うことになるからという理由ではない。
魔力の操作が長けているため、サキュバスたちの行動を簡単に妨害されてしまう可能性を考慮してだ。
「トルムと二人で現れることは想定外だった。逃げる時間は稼ごう」
トルムとギア。竜王クラスの二人の相手をするのは、さすがに今の僕たちじゃ厳しい。
そのため、先に現れるであろうトルムを、その後はギアさんを、アルドルさんが倒すという予定だった。
しかし、自分の実力に自信があるトルムなら単騎でここに現れるという予想は、残念ながら外れてしまった。
だめだ。勝ち目はない。ここは、撤退する以外の手はないようだ。
せめて、竜王たちを前に固まっているサキュバスたちと共に逃げて、邪魔にならないように……。
「つまり、トルルを倒せば私が最強です!」
そんな誰もが戦力差を理解していた中、やけに能天気で勇ましい場違いな声がその場に響いた。
……あと、トルルじゃなくてトルムね。
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