第220話 忘れかけてたメッセンジャー
「どう? 残念ながら、もうこの樹は死んでしまっている。それでも、こうして形を保っているだけすごいけどね」
「これは……」
「たしかに、血のように赤いね」
「不吉です! 夢子、考え直しましょう!」
「うっ……たしかに、思ってたのと違って美味しそうじゃないわね……」
サキュバスのお姉さんに案内され、俺たちは件の大樹の跡地へと到着した。
そこで見たものは、たしかに血に濡れたような大樹があったが、魔力は一切感じられない。
「元はもっと太くて魔力に満ちていたわ。サキュバスたちはここに集って魔力を補給していたらしいの」
「サキュバスって、もっと他の生き物から魔力を吸うのかと思っていました」
「本当に、サキュバスのことって知られていないのね。まあ、魔王のことがあってから現世界には情報が渡らないようにしていたから当然だけど」
現世界が知るサキュバスの情報に加え、サキュバスがそこまで危険じゃないと知られたら大変だからな。
欲望のまま異世界に突入する馬鹿な男たちが、ひっきりなしに現れかねない。
「現世界でサキュバスは、いまだに伝承上の存在とか言われてますからね」
「悪魔や魔王とも混同されてるね。リリスとかリリムとか」
そうそう、そんな感じの名前であり、昔の神話とかと同じレベルの存在だ。
そんな雑談のような話をしていると、ふとサキュバスのお姉さんが止まってしまった。
「どうかしましたか?」
「……う~ん。それかなと思ったけど、なんかしっくりこないわねえ」
「それって?」
「淫魔の女王の名前よ」
淫魔の女王。当然ながら、一時期はこの人たちの中で最も偉かった存在だ。
そんな人たちでも名前を忘れている様子ということは、やはり淫魔の女王は隠れ潜むためにそうとう念入りに自身の存在を消したらしい。
「私はまだ当時子供だったから、ほとんど覚えていないんだけど、サキュバスの一人がそこに名前を刻もうとしたらしいの」
そう言ってお姉さんが指さしたのは枯れてしまった樹の根本。
近寄って確認すると、たしかにかなり古くに刻んだような言葉が書いてある。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
「異世界の敵魔王リリ……。名前の途中だけが消されているわ」
「消したって、刻んだ人が途中で忘れてしまったとか……」
「いいえ、きっと淫魔の女王ね。当時同じように記録を残そうとしたけれど、各地でその内容が消滅している痕跡があるの」
それで見事に逃げおおせたってわけか。
ここまでしているとなると、なんだか淫魔の女王はまだ滅んでいないんじゃないかと思ってしまう……。
「というか、リリで始まる淫魔ってことは、まさか本当に現世界の伝承にあるようなリリスとかだったってことは……」
いや、それはないか。その辺の名前って現世界と異世界がつながる前の名前だし。
異世界の存在も知らない現世界人が、その名前を残すはずがない。
「ありえなくもないのよね……」
「えっ」
「知ってるかしら? 男神アキト様が異世界に招かれる前も、現世界の人間はたまに異世界に迷い込んでいたの」
「ってことは……そこで、淫魔の女王を知った人が、現世界に伝承で残した可能性も?」
いや、それだと年代があわないか。
リリスやリリムって淫魔、あるいは悪魔は、男神様が産まれるよりもはるか前にすでに神話に登場している。
でも、異世界に迷い込んだと言っていたけど、時代はどうなんだろう。
もしも、未来の異世界に迷い込んで、元の時代の現世界に帰還したとすれば、一応つじつまはあうな……。
「まあ、現世界からの迷い人は、わりと自分の世界の神話の名称を異世界の存在に名付けたりするからね。神狼のソラ様も、男神様と出会う前はそちらの神話にちなんでハティって呼ばれていたみたいだし」
それは初めて聞いた。
もしかして、ゴブリンとかハイドラとか、そのあたりの名前も現世界に迷い込んだ誰かが勝手に名付けたのだろうか。
どおりで、現世界の架空の生き物が異世界でも同じ名前で呼ばれているはずだ。
「ということは、現世界の人が淫魔の魔王のことを勝手にリリスとか名付けたせいで強くなってしまったんじゃ……」
「……現世界ではその名前のサキュバスが有名なのよね? ということは、ありえなくもないわね……。淫魔の女王は、名前というか他者からのイメージを力にしているわけだし」
もしそうなら、淫魔の女王が強かったのって、現世界のせいでもあるんじゃないか?
そんな淫魔の女王のイメージを払拭し、ついには打倒することができた異世界の英雄たちに改めて感謝しないとな。
◇
「ね? 縁起悪かったでしょ?」
「うう……名前はいいのに、見た目が不気味で美味しそうじゃない」
夢子、まさか血に飢えているのか?
「大地」
「ん?」
「もっと、夢子に血を吸わせた方がいいんじゃないか?」
「あれはお腹空いてるからじゃないよ。夢子は前からけっこう血へのこだわり強いし」
そうだったのかと、ふと思い返してみる。
そういえば……なんか俺が鼻血出したときとか、やけに見られていたよな。
そのあと首を横に振っていたけど、なんかあの行動って今思うと我を忘れかけていたところだったけど、自分を取り戻そうとしていたような……。
「まあ、吸血鬼はみんなそうだし、気にすることないわよ。そっちのアルミラージの子が、ちゃんと毎日血を与えているんでしょ?」
「昨日、指をぶしぃっ! って切っていました!」
「景気いいな」
「もう慣れた」
なんか、俺と紫杏みたいな関係だ。ちょっと嬉しかったりする。
「お互い彼女の餌になれてよかったな」
「……否定はしないけど、けっこう危ない発言だよね」
照れているな。俺にはわかるぞ。
なんだかんだで、大地のやつは夢子と仲がいいからな。俺と紫杏も負けていないが。
「パートナーを大切にするのはいいことだけど、血も感情もあまり与えすぎないのよ。そっちのサキュバスの子はいいけど、吸血鬼の子は特異体質じゃないんだから。急激に魔力を伴う血を吸収しすぎると、魔力が暴走するわよ?」
あ……それで思い出した。
ごめんアルドルさん。今の今まで自分たちの問題のことしか考えていなかった。
「すみません。そういえば、アルドルさんからのお使いがありました……」
「そういえば、最初にそんなこと言ってたわね。焦熱竜王様の使いだなんて、一体どんな要件かしら?」
サキュバスのお姉さんも、思い出したかのように俺たちに尋ねた。
「獣王国と竜王国の国民のほとんどが、魔力の暴走で好戦的になっているから、解決方法を聞いてきてほしいって」
「それを早く言いなさいよ!」
のんびりとした様子で話を聞く姿勢だったお姉さんは、焦ったようにそう叫んだ。
うん、そうだよな。他国のこととはいえ、けっこう大変な状況だし、そっちを先に話すべきだった。
「なんか、すみません」
「こっちこそごめんね大声出して! それより、仲間を集めるからちょっとまってて」
あわただしい様子でサキュバスのお姉さんは、店にいた仲間たちを呼びに行った。
「でも、大国がおかしくなっているって、あまり他の国には伝わらないのかなあ。プリシラさんも知らなかったみたいだし」
「あの両国はいつも戦い大好きだからわかりにくいのよー!」
大地の疑問が聞こえていたのか、サキュバスのお姉さんは律儀にも立ち去りながら大声で答えてくれた。
なるほど、暴走関係なく戦い大好きな種族なのか。
そんな様子には見えなかったアルドルさんが例外なのか、それとも年を重ねているからなのか、どっちだろう。
シェリルも、もう少し年を重ねたら落ち着きが身につくのかもしれないな。
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