第219話 皿に盛られた心と体
「それで……どんな用事かしら?」
疲れた様子でお姉さんが個室へと案内してくれた。
店の中には多くのサキュバスがいたが、代表してこの人が話を聞いてくれるみたいだ。
「はい! お腹が空くのはどうやって抑えればいいですか!」
紫杏がピンっと手を挙げて尋ねると、お姉さんは少し考えてから質問に答えた。
「サキュバスのあなたが聞くってことは、食事じゃなくて精気や魔力のほうかしら?」
「そうですね。こいつ、毎晩魔力か精気吸わせないと、すぐにでも倒れそうで」
「…………もしかして、あなたがいつも相手を?」
「……ええ、まあ」
知らない人に堂々と言うことではないので、若干気恥ずかしい。
だけど、サキュバスのお姉さんは、そんな俺の恥ずかしさなどよりも、俺に言うべきことがあったようだ。
「飢餓の満たし方を知らないサキュバスを、毎晩相手取るとか死ぬ気!? ふつう数日で干からびて死ぬわよ!」
「わりと生きています」
「えぇ……魔力の操作が上手いのかしら?」
生まれつきのサキュバスさえも困惑している。
俺の紫杏はどうやら、サキュバスとしても特異な存在らしい。
「とにかく、相手を殺す気じゃないのなら、魔力と精気だけでなく感情を吸うことも覚えておきなさい」
「感情?」
それは俺も紫杏も初耳だ。
サキュバスってそんなものまで食べられるのか。なんでも食うな。
「サキュバスは相手の欲望や好意が主食だからね。魔力や精気を吸うようになったけど、あれも本来それらの感情を強く出すための手段なの」
ようは心を食うのか。なんかそっちのほうが危険な気がするんだけど……。
「危なくないですか?」
「全然。魔力や精気と違って無限に湧いてくるもの。あの淫魔の女王でさえ、誰かの心を食い尽くして廃人にするなんて芸当は不可能よ」
心すげえ。それに俺にとってはとても都合がいい。
だって、紫杏を愛し続ければ無限に食料問題は解決するじゃないか。
「どうやって食べるんですか?」
「はあ……これだから、最近の若いサキュバスは……いいわ、教えてあげるからそっちの人間と一緒に来なさい」
「……俺も必要な感じですか?」
「だって、あなたの専属サキュバスなんでしょ?」
そういうわけではないが、他のやつを吸うのは嫌なので似たようなものか。
俺は言われるがまま、紫杏と一緒にサキュバスのお姉さんについていった。
「紫杏がいるなら安心だろうけど、無警戒だね」
「まあいいんじゃない。紫杏がいるし」
「なにもしないわよ! こんな淫魔の女王なみの魔力相手に喧嘩を売るなんて、馬鹿しかやらないわ!」
現世界にはけっこうそういう馬鹿いました……。
現世界のイメージ低下を避けるため、俺はその言葉を飲み込むことにした。
◇
「たっだいま~!」
「つやつやしてるね」
「吸ったのね」
「お姉様ご機嫌です!」
めっちゃ吸われた……。
愛してるって何回も言わされた。いいけどさ、別に。事実だから。
でも、たしかに今までと違う。
なんせ、今までならばこんなに吸われたら意識はとっくに闇の中だ。
精神的な疲労こそあるものの、心を吸われても危険だということは一切なかった。
「いいわねえ。そんなに美味しそうな感情を変わらず向けてくれる相手がいて」
「あげないよ?」
「どうせ、無理やり奪ったところで、そこまで上質な感情は得られないわよ」
俺を抱き寄せる紫杏に、お姉さんは肩をすくめた。
だめだぞ、そんなに威嚇したら。とてもお世話になったんだから。
「解決したってことでいいのかな?」
「う~ん。まあ、そうなると思う。これで、毎晩一緒に寝なくても」
「あっ! 一番感情が吸いやすいときって、やっぱりそういうときだよね! だから、直接精気を吸うわけじゃないけど、感情を吸うためにこれまでどおり必要だと思うし、お姉さんもそう言ってるよね! ねっ!?」
すっごい早口。なんか、前も似たようなことあったな。
前っていうか、数日前だな。
異世界にきてから、紫杏は元気だなあ……。
「えっ、私!?」
「ねっ!」
「そ、そうかもしれないわね……そもそも、心を吸うためにそういう行為をするようになったわけだし」
「ほらっ! 異世界のサキュバスの言葉なんだから、信じなきゃ!」
「私の親友が必死すぎる」
俺もそう思う。でも、そういうところもかわいいだろ。
「まあ、そのことはどうでもいいけど」
「どうでもいい!?」
さすが大地だ。紫杏の剣幕にすでに興味を失っている。
「これからは、善のレベルっていうか魔力を吸わなくてもいいんだよね?」
「あっ、そういえばそうかも」
「あっ……たしかに」
「……なんで、当事者二人が気づかないの?」
そんなふうに呆れた目つきで見ないでくれ。
仕方がないじゃないか、もう慣れてしまっていたもので……。
紫杏の飢餓をいつでも満たしつつ、俺も無事でいる方法を見つける、というこれまでの目的がようやく達成できたので、それ以外は忘れていたんだ。
「つまり、これからは先生がより最強に!」
「異世界では無理ね。魔獣を倒してもレベルは上がらないし」
「なら、お肉ですね! 今すぐ狩ってきます!」
「そんな大量には食べられないから、いったん落ち着こう」
「はい!」
危うく食べきれない量の魔獣の肉を持ってこられるところだった。
でも、たしかに異世界でも魔獣を食べれば魔力は増強できるし、今後紫杏が吸収することがなくなるのなら、理論上はこちらでも強くなれるってことになる。
「……まあ、あなたは大丈夫そうね。魔力が貯蓄できる特異な体質みたいだし」
サキュバスのお姉さんがぽつりとそう呟く。
そういえば、アルドルさんも同じようなことを言ってたっけ。
「体質が特別じゃなかったら、魔獣の肉ってあまり食べないほうがいいんですよね?」
「ええ、普通なら魔獣の肉で魔力を補給なんてしないもの」
どうやら俺のやり方は普通ではないやり方だったらしい。
そういえば、普通のサキュバスはどうなんだろう。
今までの俺と紫杏みたいに魔力を補給しているのか、感情から魔力を得ているのか。
それとも……。
「もしかしてサキュバスって、食事はしないで空気の魔力だけを食べているんですか?」
「食事は普通にするわよ? でも、魔力は他種族に協力してわけてもらっているの。……まったく、魔王が余計なことしなければ、この国だけで魔力補給できたのに」
サキュバスのお姉さんは迷惑そうな顔をしてぼやいた。
この国だけでというと、そういえば元々は国の名前になったほどの魔力の樹があったって言ってたっけ。
「血染めの大樹とかいうやつでしたっけ?」
「……まあ、そうなんだけど。私たちは魔力の樹って呼んでるわ。その名前縁起が悪いもの」
傍らで夢子がショックを受けていた。
大地になぐさめられながら、そんなに駄目な名前かと悩んでいる。
「あなたみたいな吸血鬼には縁起がよさそうだけど、ここに住んでいる魔族はそればかりじゃないからねえ。なんなら見てみる? そうすれば、私たちの考えも理解できるわよ」
ちょっと気になる。
なんせ国中のサキュバスの飢餓を満たせていた魔力の樹の名残だ。
魔力の貯め方とか、扱い方の参考にでもできないだろうか。
「俺はちょっと見てみたいな」
「行きましょう。良い名前だって証明するわ!」
なんか夢子がやけに意気込んでいる。
そもそもその名前つけたのお前じゃないだろ。
よくわからない吸血鬼の矜持なのか、いつになく張り切って先を歩いていた。
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