第207話 とても濃い味がする異世界の夜

「途中からよくわからなくなりました……」


 シェリルがしょぼんとした様子で反省する。

 まあ、情報が多すぎたからな。居眠りしなかっただけ偉い。


「そうだな。今後の目標はサキュバスのことを知るために、魔族の国ロラテメスを目指す」


「竜王国ルダルと禁域の森は、強い人がいっぱいだから吠えたらダメだよ?」


「この世界にはレベルがないけど、魔力が豊富だから、この世界に慣れたら自然に強くなれるかもしれないね」


「あとは、スキルやステータスは意味がないから、戦闘中に間違って使わないよう気をつけなさい」


 大体この四つを覚えてさえいれば問題ない。

 俺、紫杏、大地、夢子が次々に話すので、シェリルはそれでもいっぱいいっぱいだった。

 が、かろうじて理解してくれたみたいだ。


「なんなら、こっちで暮らしているだけでも解決しそうだな」


「毎日吸われることはもう気にしていないんだね」


 だって、もう三年目だからな……。

 それなのに慣れることもないというのが、サキュバスの恐ろしさを物語っている。


「がんばりました!」


 胸を張る紫杏を前に、俺はたしなめるべきか、褒めるべきか、答えを見つけることはできなかった。


「しかし、なんか変な感じだなあ。ダンジョンに通わず、レベルを上げずに一日を終えるなんて」


 街の外に出れば魔獣もいるらしいけれど、すでに日は落ちかけている。

 あのあともダンジョンやレベルについて聞いてしまったし、思っていたよりも色々な話をしすぎた。


「ゾーイさんが言うには、ダンジョンでレベル上げも難しそうだしね」


「ダンジョンの魔力で魔獣は復活しないし、そもそもレベルがないとなるとなあ」


「本当に現世界とは別物って感じみたいね」


 魔獣を倒して経験値を得ることはない。当然ドロップ品なんかない。

 ただダンジョンに通うだけで魔獣と遭遇できるし、倒すだけで戦利品を得ることができた現世界のダンジョンって本当に楽だったな。


「クレアさんやゾーイさんを疑うわけじゃないけど、明日は一応魔獣を倒してみたいな。さすがに今からは無理だけど」


「よかった。さすがにそれくらいの常識は残っているみたいで安心したよ」


 俺をなんだと思っているんだ……。

 大地の言葉に納得いかずにいたが、大地と夢子は早々に宿を手配するために歩きだしてしまった。


「三部屋借りたいんですけど、空いていますか?」


「はい! お代は」


「ちょ~っと待ってください!」


 大地がてきぱきと話を進めていると、シェリルの大声がそれを止めた。


「どうして三部屋なんですか?」


「どうしてって……僕と夢子。善と紫杏。シェリルで三部屋必要でしょ?」


「ほら! 絶対そういう意地悪すると思いましたよ! でも、出し抜けると思ったら大間違いですからね!」


 ぷんぷんと怒るシェリルだが、大地は呆れたようにため息をついた。

 いつものやりとりと若干の違いを察したのか、シェリルの興奮も徐々に冷めていく。


「一応聞いておくけど、不満な点はどこ?」


「えっ……だって、私一人のけ者じゃないですか。先生とお姉さまと一緒にお泊りしたいです」


「珍しくシェリルのためを思って忠告してあげるよ。やめておいたほうがいい」


「一人が嫌なら、せめて私たちと同じ部屋にしておきなさい」


 ……ぐうの音も出ない。

 事情を察している大地と夢子。なにも理解していないシェリル。

 シェリルには悪いけれど、俺と紫杏はなんとか二人がシェリルを説得するのを応援するしかなかった。


「……それじゃあ、二部屋でお願いします」


「は、はい。お代のほうですが……」


 なんとか大地が勝った。なんかごめん。

 シェリルを根気よく説得したことで、大地と夢子はすでに疲れ果てている。

 きっと、今夜はよく眠れることだろう。


「音は抑えるようにがんばるね?」


 俺の腕に抱きつく紫杏は、すでに捕食者の目になっていた。

 ……きっと、今夜も倒れたように眠ることになるんだろう。


    ◇


「まず初めに、俺のレベルは1です」


「はい」


「そして紫杏の食欲は二年前より増しています」


「ご、ご迷惑をおかけします……」


「なので、このまま食われたら俺が干からびて死にます」


「やだっ!」


 だよな。俺だって嫌だ。

 死因が紫杏というのなら、まあ上等な死に方ではある。

 だけど、紫杏を残して死ぬことが問題だ。


「ということで、今日は試しにこれを使ってみよう」


「う~~……さすがに、善の命には代えられないからね」


 そこで俺が取り出したのは、厚井さんの店で購入しておいたキューブと呼ばれる魔導具。

 以前赤木さんに勧められた魔力を貯蔵しておける魔導具だ。

 異世界へ渡る準備の一環として、大量のキューブを購入し、魔獣をひたすら狩って魔力を貯め込んでおいた。

 そのせいで殲滅王という言葉がまたも広まっていったが、いいさ。どうせしばらくは現世界に帰らないからな。


「これで、俺の魔力をチャージすれば、紫杏に吸われても命に別状はない……といいなあと思っている」


「えっ! それを直接補給しろって言われるかと思ったよ」


「あ、そっか。そのほうが」


「いや、やっぱり善を通したほうが効率が違うと思う。だから、そんなのじゃなくて、善から魔力をもらわないと。逆に効率が悪くなると思うし、無駄遣いできないでしょ? なんというか、栄養みたいなものが変わってくると思うんだよね。うん。やっぱりそれを直接吸うよりも、先に試しておいた方がいいんじゃないかな?」


「お、おう……」


 俺の彼女が必死すぎる。

 要するに、俺から魔力を吸いたいということらしい……ちょっと照れる。


「あ……その顔」


「顔?」


「もう我慢できないかも」


 まずい。受付をしているときの冗談交じりのそれとは別物だ。

 発情期の獣人とかに近い。完全にサキュバスとしての捕食者の目が俺をとらえていた。


「ま、まずは魔力を補給するから待ってくれ!」


「う~……いじわる」


 意地悪とかではなく、わりと命がかかっている。

 お預けを喰らった犬のような紫杏を前に、俺は必死にキューブから魔力を補給し続けた。


 もっとも、そのお預けの反動のせいか、えげつない搾られ方をしたが……生きているから問題ないな。


    ◇


「おはよ~ごじゃいましゅ」


 翌朝みんなの部屋を尋ねると、眠そうなシェリルが扉を開けてくれた。


「眠そうだな。もしかして、眠れなかったとか?」


「も、もしかしてうるさかったかな?」


 心当たりしかないためか、紫杏が珍しく顔を赤らめながら尋ねる。

 しかし、シェリルは頭上にはてなマークを浮かべているので、どうやら俺たちの部屋の音は聞こえていないようだ。


「さすがは重要な都市の宿だね。魔法で完全に防音されているみたいだ。僕の耳でも聞こえなかったから安心していいよ」


「まあ、なにをしていたかは、その顔でわかるけどね」


「食事です」


 紫杏はせめてもの抵抗か、目をそらしながら答えたが、二人は苦笑するだけだった。

 わかったうえで普通に接してくれるのだから、さすがは大地と夢子だよな。


「それよりも、魔力と精気のほうは大丈夫なの?」


「キューブがごっそり空っぽになった」


「そうなると、効率よく補給できる手段がほしいわね」


 たしかになあ。このままだと一週間ともたない。

 異世界は魔力が豊富なので、魔獣を討伐したときに補給できる魔力量も多そうだけど、そのぶん魔獣も強いらしいからな。

 倒せる範囲で効率がいい魔獣をできるだけ早く見つけておきたいところだ。


「まあ、こっちの魔力が僕たちの体になじむまでの間だから、それまでは魔獣を倒し続けるっていう選択肢もあると思うよ」


「俺は魔力を補給したり吸われたりで、なんかもうよくわからなかったけど、異世界の魔力ってどうなんだ?」


「う~ん、たしかに現世界よりもかなり多い気がするわね。大地が言うとおり、体になじんだらそれだけで魔術師としては一段階上にいけそうな気さえするわ」


 となると、この世界での魔力を効率よく吸収できるようになれば、やっぱりレベルとか関係なく紫杏に与えること自体はできるかもな。

 早く体に魔力がなじむようになってほしいなあ。


「それで、どうする? 当初の目的どおりに魔族の国を目指すよりは、キューブにせよ、異世界の魔力にせよ、効率よく補給できる手段を優先すべきだと思うけど」


「そうだな……悪いけど、ちょっと方針を変えさせてもらえるか?」


「遠慮しないでいいわよ。そもそも私たちは、異世界で明確な目標があるわけじゃないし」


「ごめんね~……」


 ということで、まずは魔獣の討伐。それか魔力の吸収方法の調査だな。

 幸いなことに、俺たちがいる場所は自然国ヤニシアの領土だ。

 魔力の扱いに長けているエルフたちの国。どこかしらに、魔力についての文献でもあるだろう。


「それじゃあ、ヤニシアで魔力について調べてみるとするか」


 方針は決まった。

 本場のエルフたちによる魔力の扱い方を知ることさえできれば、魔法の技量も上がるだろうし良いことづくめだ。

 まずはヤニシア本国目指して進むとしようじゃないか。

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