第203話 跡を濁さぬように飛び立つ準備期間

「世間でのニトテキアの噂はご存じでしょうか?」


「ちょっと待ってください。まさか、管理局まで疑っているんじゃないでしょうね?」


 俺の返事の前に大地が神崎さんに食って掛かる。

 そんな大地の様子に、神崎さんは冷静に対応してくれた。


「当然、烏丸さんのスキルが誰かから奪っただなんて悪い噂であると理解しています。そもそも、あれらのスキルをユニークスキルとして申請した者は過去に存在しません。存在しないものを奪うなんて不可能です」


 なるほど、別に俺がどういう人間かとかではなく、そもそもそんなユニークスキルはないという根拠から無罪と判断してくれているのか。

 管理局の一人として、公私は完全にわけての判断ということであれば、むしろありがたいのだが……。

 紫杏に疑いの目がかからないか少し怖い。


「恥ずかしながら、管理局の力不足でご不便おかけし申し訳ございません。いくら管理局が噂は事実無根だと言っても、一定の愚か者たちは自分たちの信じたい言葉しか信じないようでして……」


「ああ、気にしていないので大丈夫です。管理局のおかげで噂だと割り切った人も多いので」


「いっそ、なにか罪を犯してくれたら、すぐに黙らせることもできるのですが……」


 怖い怖い怖い……。そこまでしなくていいです。

 白戸さんや氷室くんは俺を疑っていなかったし、神崎さんも含めて俺の知人は皆同じだ。

 つまり第三者が何かを言っているだけというのであれば、気にしないでいるのは得意だ。

 何度も紫杏のことで嫉妬されて知らない人から陰口叩かれたからな。


「そこで提案なのですが」


「はい?」


 どうやらまだ話は終わっていないらしい。

 神崎さんは、神妙な面持ちで俺たちを見渡してから口を開いた。


「先日の特殊個体のハイドラの討伐は実に見事でした。すでに現世界を危機に陥れかねない脅威へと成長していましたが、あの場で討伐いただいたことで最低限の被害に収めることができました」


 最低限の被害というと、例の乱入してきた【中級】探索者たちか。

 失った四肢は白戸さんに治療してもらったことで復元したようだが、ハイドラに襲われた恐怖から探索者を続けることはできなくなったらしい。

 腐っても【中級】探索者が減るというのは、管理局にとっては被害に違いないだろうな。


「そこで、ニトテキアの功績も実力も十分であると判断しました」


「それって、まさか」


「ええ、異世界への渡航を許可するように、他の者たちを黙らせました」


 そうか。二年か……。

 きっとすさまじく早くに許可をもらえたんだろうが、ようやくここまできたという思いが大きい。

 目標にしていた異世界への渡航。それがついに認められたんだ。


「提案というのは、騒ぎが収まるまで異世界に行ってみませんかということです」


 みんなの顔を見ると、俺の気持ちを後押しするかのようにうなずいてくれた。


「ぜひ、お願いします」


 異世界か、ついに目標を叶えることができた。

 いや、目標はサキュバスの生態と紫杏の精気の吸収体質の解決だ。

 あくまでも、その手掛かりに近づいたというだけだから、まだまだ気を抜かないようにしないとな。


「そういえば、さっき黙らせたって言ってましたけど、反対意見も多かったんですか?」


 夢子の質問を聞いて、俺も気づいた。

 そういえば神崎さんそう言っていたな。

 つまり、全員が全員俺たちが異世界に行くことを快く思っているわけではないのか。


「そうですね。ニトテキアの功績を考えると、異世界で活動するのは惜しいと思っている者も多いのです」


「ああ、そっち……」


「これまでも迅速に異変を解決していただけましたからね。現世界で働いてほしいと思う者は管理局にも多数いました」


 評価されたうえで反対する人たちもいたわけだ。

 少し複雑な気持ちだな。


「もっとも、本人たちが異世界への渡航を希望していますし、他の上位探索者たちからも推薦されていましたからね。説得は容易でしたよ?」


「上位探索者ですか?」


「ええ、氷鰐探索隊のみなさん。特に一条さんとデュトワさん。それに元銀月の守り人の厚井さんと赤木さんもですね」


 一条さんとデュトワさんに赤木さん。それに、もう探索者としての活動を辞めている厚井さんまでか……。

 ありがたい話だ。そんな人たちが口添えしてくれているのだから。


「なんでも、管理局がニトテキアの渡航許可を渋っている気がすると、赤木さんが勘とやらで言い当てたようです」


「また、人間やめてるよあの人……」


 ま、まあ。それも俺たちのためだから……。

 そのおかげですんなりと許可が下りたのなら、感謝したほうがいいだろう。


「なるべくすぐに異世界へ転移できるよう手続きをすませます。それまでに、向こうに行く準備をすませておくことをおすすめします」


「はい、ありがとうございます」


 向こうに行く準備……。

 装備はもちろんとして、貨幣? たしか両替はできるって神崎さんが言っていたな。

 生活用品を除けば、あとはいつもの探索と同じ荷物でよさそうか。

 シェリルは、これでもかというほど和菓子を持ち込みそうだな……。


    ◇


「どうもありがとうございました」


「いえいえ、あれがあなた方への正当な評価ですから。それに、異議を申し立てようと提案したのは、その……赤木のやつですからね」


 準備も進めながら、今回の件で裏でお世話になっていたらしい氷鰐探索隊の方々にお礼を言う。

 一条さんからは過分な評価をもらえたが、同時に嫌そうな顔で赤木さんのおかげであると伝えられた。

 赤木さんか……。厚井さんには、すでにお礼と挨拶に行ったけれど、赤木さんは会うことができなかったんだよなあ。


「異世界は現世界よりも危険な場所と聞く。無理はせずに、無事に戻ってくることだ」


「烏丸くんとか無茶しがちだからねえ。私たちも異世界に行った経験はないから、これといったアドバイスはできないけど、どんなときも安全第一だよ?」


「あ、ありがとうございます。串田さん。春日さん」


 春日さんに名指しされてしまった。

 ともに探索した経験がほとんどないにもかかわらずだ。

 ……それほどまでに、俺は無茶をする人間に見えてしまっているのだろうか。


「無茶だけならともかく、意見が違えたまま進むと浩一とゴボウみたいになるから気を付けたほうがいいぞ」


「変なこと言うなよ……」


 デュトワさんの発言に轟さんが苦々しい表情で呟き、一条さんは無言で顔をそらした。

 仲がよさそうなこの人たちでさえ、過去に争った経験でもあるんだろうな。

 せいぜいみんなに呆れられないように気を付けよう。


「まあ、逆に言うと意思が統一できているなら、わりと困難には打ち勝てることも多いけどな」


「そうですね。ちゃんと言うことは聞いてくださいよ。シェリル」


「余裕です!」


 本当に大丈夫だろうかと心配そうな一条さんだが、きっと大丈夫だと思う。

 これでシェリルはわがままを言う子ではないからな。


 最後まで俺たちを心配してくれながら、氷鰐探索隊の方々は去っていった。

 ちょうどそんな彼らと入れ替わるようにこちらに向かってくる者がいるが、あれは氷室くんと三枝さん?


 二人は俺たちの前で立ち止まる。

 この様子だとたまたま通りがかったとかではなく、こちらに用事があるようだ。

 しばらくなにか言い出しにくそうにしていた氷室くんだったが、三枝さんに背中を叩かれると意を決したかのように一冊の本を取り出した。


「これ、貸しますよ。まあ向こうで暇なときに気が向いたら読んでみてください」


「これって……手引書?」


「のオリジナルです」


 オリジナルというと……氷室くんのスキルで自動的に体験が記載されていくものじゃないか?


「いいの? これがないと、氷室くんがスキルを使うときに困るんじゃない?」


「僕たちは、しばらく既知の魔獣の情報を整理するつもりですから。異世界からこっちに戻るのにも面倒な手続きが必要なんですよね? それがあれば、最小限ですけどこっちの様子もわかりますよ」


 たしかに、氷室くんが日々見聞きしたことが刻まれていくのなら、異世界でも現世界の様子がわかるだろうけど、本当にいいのかな。


「ご迷惑でなければ預かってもらえますか? 氷室くんも先輩のことが心配なんですよ」


「三枝……僕は別にそんなつもりは……」


 そういうことであればお言葉に甘えておくか。

 ニコニコ笑う三枝さんと、どこかばつが悪そうな氷室くんに、素直に感謝しておこう。


「ありがとう。向こうではこっちの掲示板すら見られないから助かるよ」


「まあ、どうしようもなく暇なときにでも見てください」


「でも、本当にいいのか?」


「さっきも言いましたが、今は新たなダンジョンや魔獣の調査よりも、溜まっていた情報の整理です」


「いや、そっちじゃなくて……」


 氷室くんの言葉を若干遮るようにすると、不思議そうに首を傾げた。


「これって、なんでも記録するから、俺たちが常に氷室くんを監視してるみたいにならない?」


「……気持ち悪いこと言わないでくださいよ」


 だよね。ごめん。

 でも、そこのところははっきりさせておかないと、君その気持ち悪い状況に陥るかもしれないんだぞ。


「大丈夫です。僕だってこの一年でスキルの扱いぐらい慣れました。そこには不要な情報は記載しないようにしています」


「そんなこともできるのか。便利だなあ」


 よかった。氷室くんの私生活を覗き見することにはならないようだ。


 なんにせよ、これで最低限現世界の様子もわかる。

 もしかしたら、俺たちが異世界に行っている間に魔力消失の件も風化するかもしれないし、様々な事件も解決するかもしれない。

 ……俺たちがいなくなった途端に異変が発生しなくなったら、それはそれで気まずいなあ。


 無意識のトラブルメイカーだったらどうしよう。

 こちらのそんな心配は当然知る由もないため、氷室くんと三枝さんは不思議そうにしていた。

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