第196話 農薬まみれの知恵の身

 そいつは他の魔獣と違って、本能のままに襲いかかってくることはなかった。

 こちらの存在に気がついていないわけではない。まだ姿は見えないが、互いにその存在を感知している。

 なんせ、魔力の大きさは離れた場所からでも十分に感じ取れる。


 竜よりも強いかもしれない。

 元のハイドラがそうだったのか、それとも今回討伐を依頼された個体が例外なのか、今となってはわからない。

 なんせ、このダンジョンには討伐対象のハイドラ以外は存在しないのだから。


「嫌な予感って、いっつも当たるよなあ……」


 それを目指して歩き続け、いよいよその姿が目に映って、思わずうんざりしたようにそうぼやいた。

 そのハイドラは、お食事中のようだ。

 こちらに気づきながらも、脇目も振らずに多頭を用いて獲物を捕食し続けている。


「なら、良い予感だけ考えればいいんです! そうすれば、毎回良いことだけが起こりますよ!」


 普段なら魔獣を引き寄せてしまうシェリルの大声にも意に介さず、目の前のハイドラは同族の亡骸を喰らい続けていた。


「魔力が増えているな……やっぱり、大事になる前にここで討伐しないとまずそうだ」


「あれだけ頭があれば、シェリルが引きつけるにしても限度があるでしょうし、下手したら竜より厄介そうね」


 魔力を込めてあったキューブ状の魔導具を惜しみなく消費する。

 ここまでにレベルが上がればと思っていたのだが、ついには魔獣と出会えなかった。

 だから、貯めてあった魔力でレベルを上げる。

 さすがにこれをレベル1で相手にするのは自殺行為だということは想像できる。


 先手必勝で広範囲への魔法攻撃を準備する。

 準備しようとした。

 だけど、あまりのできごとに思わず、手も思考も一瞬止まってしまった。


 ハイドラが、俺たちのほうに多数の頭を向けてきた。

 それだけであれば、こちらの敵意に反応して迎え撃とうとしたのだと判断した。

 だけど、ハイドラの開いた口から出てきたものは、ブレスや魔術ではなく、言葉だったのだ。


「ト、ウバツ……?」


「こいつ! まさか、ゴーストやファントムみたいに、知能があるのか!?」


「ファン、トム……ファントム。ファントム? ファントム!」


 うわあ……なんか不気味だ。

 数えきれないほどある頭から口々に、ファントムという単語が発せられる。

 ファントムという単語に反応したのか、あるいはオウムのように単に言葉を真似ているだけなのか。

 後者であれば、知能があるというのは早合点にすぎない。


「ソうだ。ファントム。あレハ素晴らしい餌だった。馴染むほどに、こうして知識が流れ込んでくる」


 ……どんどん流暢になるハイドラの言葉に、どうやら残念ながら前者であったと思い直す。

 こいつ、間違いなく会話ができる程度には知能がある。


「同族を喰らった。力は増した。だが、あの時のような得も言われぬ甘美な味わいはない」


 ハイドラは、落胆したように同族である魔獣の遺体をたいらげる。

 まるで、望むものではないが妥協して、仕方がなくといった様子で。


「やはり、知恵なき者を喰らっても知恵は得られない。あの時のような、ファントムを喰らったときのような、覚醒した感覚は訪れない」


 ファントム……。

 生き残りに警戒し続け、ついぞ二年もの間姿を現さないと思っていたが、まさかこんなところで食われていたのか。

 そして、それが原因でハイドラが知能を得てしまい、同族を貪り続けるようになったのだとしたら、あいつ本当に厄介ごとの原因ばかりだな!


「探索者。私を討伐すると言っていたな。餌風情がずいぶんと思いあがったものだ」


 ハイドラはそれだけを言い終えると、多数の首を猛スピードで俺たちに突撃させた。

 速い! ……が、竜よりもというほどではない! これなら、十分に対応できる相手のはずだ。


「【剣術:超級】【万象の星】」


 剣ですべての攻撃をさばくために、身のこなしを補助するスキルを使用する。

 多方向からの複数の攻撃もすべて手に取るように把握し、迫りくる頭に向かって次々と攻撃をした。

 だが、さすがに硬いな。牙や頭が剣に衝突するも、互いにダメージはまったくない。

 紫杏の結界で身を守られた大地と夢子も同じようで、結界が思いのほか頑丈とわかるや、ハイドラの首はすぐに結界から離れる。


「ファントムなんて食べたんですか!? 食あたりして、頭がおかしくなってるじゃないですか! そんなに頭があるのに、全部おかしくなるとか、なんのためにいくつも頭があるんでしょうねえ!」


 シェリルは最小限の動きでハイドラの攻撃を回避している。

 ついでとばかりの口撃は、ふだんならば大きな音で魔獣を引きつける程度の効果しかないが、今回は事情が異なるようだ。


「小狼風情が、私を侮辱するか!」


「蛇風情を侮辱しても許されるんです。なぜなら、私は竜すら倒したほぼ最強の人狼シェリルですからねえ!!」


 こちらの言葉を理解できるということもあってか、はたまたハイドラの煽り耐性が低いのか、いつも以上にシェリルが攻撃を引き受けることになってしまった。

 おかしいな。知能が上がったら戦いにくくなるかと思ったけど、そこらの魔獣よりもシェリルの煽りが効くようになるとは。


「ふははははは~! 無意味! その頭ほとんど無意味です! 増えた分一つ一つの脳みそが小さくなったとしか思えません!」


「貴様!!」


「ファントムを食べて知能が上がったのなら、シェリルを食べたら馬鹿になるのかなあ」


 シェリルが敵を引きつけてくれているおかげで、大地と夢子に存分に魔術を構築する余裕が生じる。

 大地に至ってはわりと失礼なことを呟きながら、毒でハイドラの魔力に攻撃をしかけた。


「……矮小な兎め。私にそのような魔術が効くと思ったか」


「魔力が膨大だから、ではないね。毒への耐性でもあるのかな」


 大地の毒魔法は、すでに【超級】の魔獣が相手でも通用するほどに熟達している。

 にもかかわらず、効果が薄いとかではなくまったく効かないというのは想定外だ。

 なるほど、頭はあまりよくないだろうけど、ハイドラを喰らい続けて得たその力は確かなものということか。


「【剣術:超級】【魔法剣:水精】【斬撃】」


 試しに斬撃を飛ばす。これで首が斬れないとなれば、少し面倒なことになってしまう。

 【超級】の魔獣が相手だろうと、この組み合わせでそれなりの効果はあるはずだからな。

 竜みたいな例外以外には通用する戦法が通用しないのであれば、あいつは竜同様の強敵と判断しなければならない。


「貴様……」


 俺を睨みながら落ちるハイドラの首が十二本。

 斬撃一発につき、一本の首を斬り落とすことには成功したようだ。

 であれば、少なくとも攻撃に集中さえすれば、俺の剣はあいつには通用する。

 問題は……。


「その程度で私を討伐できるつもりか!」


 斬り落とした先から生えてくるこの首か。

 情報通りではあるが、この速度で再生されてしまうとなると、やはり首を同時に斬り落とさないといけないようだな。


    ◇


「うわ~。言葉を話してる。魔獣ってそういうものなの? ……だよねえ。ってことはあれって新種? もしかして、また異変とかいうやつかな~」


 流暢に言葉を喋る多頭の蛇。

 まあ、あそこまで怪物チックな見た目ではないにせよ、蛇の獣人とかいるからね。

 そこまで面白い風景ってわけでもないか。


「あはは。犬っ子と蛇が口喧嘩してる。しかも蛇のほうが負けそうじゃん。しっかし、口が悪いね~。ニトテキアって案外ガラが悪い?」


 お前が言うなというコメントだらけ。

 いやいや、私のはあれだよ。配信を盛り上げるためにわざとそう言ってるだけだから。

 決して普段から口が悪いというわけでは……。


「ん? よくわからないけど、今あのちびっ子がなにかしたの? やけに蛇が偉そうだけど、全然意味わかんないから。お~い、視聴者にもっと配慮しろ~」


 もっと動画映えする派手な攻撃とかさあ。

 なんて思っていると、ニトテキアのリーダーの剣が水を纏う。

 おお、綺麗な剣だねえ。ああいうのだよ。もうちょい視覚効果を考えてくれないとね。


「なにあれ~。魔術? スキル? なんか喋ってたけど、あれってスキルの名前? あれ? でも、わざわざスキルの名前って言わないといけないんだっけ?」


 もしかして、スキルの名前を言わないと使いこなせないのかねえ。

 それって、【初級】の探索者よりだめだめじゃん。

 当然そんなことは口には出さずに、心の中にとどめておく。


「お~! すごいすごい。蛇の首を斬っちゃった!」


 なるほどねえ。剣を一振りしただけで、あんなに強力な攻撃ができるなんて、さすがは探索者様だ。

 わざわざ危険と隣り合わせな探索なんてするだけのことはある。

 ほんと、探索者って大変だよねえ。私みたいに安全な場所で稼げばいいのに、な~んで命なんかかけちゃうかなあ。

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