第171話 祭壇の上の鯉
「なるほど、【環境適応力】ねえ……」
「いやあ。やっぱり強いなあのスキル。学園がおすすめするはずだ」
「それ、善だけだからね? 私たちはせいぜい、もう半分ほど強くなるくらいだし」
そういえばそうだった。だからこそ観月も想定外だったのかもな。
俺が1.5倍ほど強くなったところで、どうにでもできると思っていたが、実際は5倍も強くなった。
そんな急激な能力の変化に狼狽したからこそ、俺にいいようにやられてしまったのだろう。
「良いこと思いつきました! 【超級】で苦戦するダンジョンは片っ端から、適応してしまえばいいんですよ!」
「それは俺もちょっと考えたんだけどな。その先で、適応できない難度のダンジョンにあたるとまずそうなんだ」
【極級】と【神級】ってどんな感じなんだろう……。
そういえば【超級】ですら、おぼろげにはダンジョン名や場所に聞き覚えはあるけど、この二つの難度のダンジョンはてんで聞かない。
それだけ危険ということで、決して外部に情報を漏らさないとかだろうか……。
だとしたら、やっぱり【超級】に適応すると、後々太刀打ちできなくなりそうだな。
「それに、善の目的は異世界でしょ? いくらダンジョンに適応できても、異世界で能力が落ちるほうがまずいんじゃないかなあ」
ああ、それもあったな。
強さと実績を重ねて、管理局に異世界への渡航を許可されたとして、渡航先で一気に弱体化するのはあまりにもよくない。
「……身体能力強化とか、魔力強化のスキルってないかな」
「闘士とか魔術師には、そういうスキルがあるかもしれないけど、ステータスの関係するスキルって高レベル帯での習得って噂だよね」
嘘か本当かはともかく、その手の職業の人がたまに掲示板に書き込んでいるよな。
レベルが上がって習得したスキルが、わずかなステータス上昇程度のスキルでハズレだったとか。
こういうスキルはもっと序盤にくれないと、いまさら無意味だとか。
その一方で、そのスキルのおかげで強くなれたという書き込みもあるから、何が嘘で本当なのかがてんでわかりやしない。
だけど、可能性があるのなら久しぶりに転職してみるのも一つの手だよな。
「ええ~! 少年は剣士をやめちゃうのかい? もったいないよ。こんな短期間に、ここまで強くなれるなんて有望株じゃないか」
なんか当然のようにここにいる赤木さんは、どうやら紫杏たちに俺の居場所を教えてくれたらしい。
なんでわかるんだよと思ったが、剣気とかいう意味不明な力を感じたという話だ。
剣気というか、鈍器なんだけどな。俺が観月との戦いで使っていた武器。
「別に剣士としての戦い方をやめるわけじゃないですよ」
「う~ん……それにしても、なあ考え直さないかい? 私たちここまでうまくやってこれたじゃないか」
なんかあなたを振るみたいな会話にするのやめてくれません?
俺が付き合ってるのは紫杏だし、紫杏とは別れる気ないからな。
「剣士として戦うにしたって、身体能力の向上はあったほうがいいですからね」
俺の意志が固いと悟ったのか、赤木さんは不服そうながらも諦めたようだ。
「さてと……先のことを考えるのもいいけど、これどうしようか」
あまり考えたくなかったので後回しにしていたそれらを改めて見る。
一人は、俺がボコボコにしてしまった悪魔の男性の観月新。
もう二人は、紫杏がボコボコにした小田慎一と石崎鈴。
また、一条さんに引き取ってもらって事情説明しなきゃいけないんだろうなあ……。
迷惑をかけてしまうのが嫌なのと、事情説明そのものが嫌なのと、半々ぐらいだ。
「浩一に押しつけて帰りましょう!」
「さすがに、そういうわけにもいかないだろ……」
最終的にはそうなるんだけど、一方的に引き渡してさようならはあまりにも無責任だ。
「暇そうだったから、デュトワのやつを呼んでいるよ。でも、一条のやつに押しつけていいと思うけどね」
赤木さんが既に連絡をとってくれていたようだ。
ここにきてすぐに、俺が無事なことを確認すると魔眼で幻覚を見ていた受付さんのことを救出しているし。
たまに頼れるんだよな。この人。
◇
「浩一に押しつけたらどうだ?」
一条さん……。
デュトワさんまで同じようなことを言うので、あの人の苦労の一因をまた一つ知ってしまった気がする。
「しかし、例のスライム騒動に、人工魔獣事件の関与に、今回の殺人未遂か。これだけの罪を重ねてるのなら、結果はわかりきってるし楽なんじゃないか?」
絶対にそんなことはないと思う。
だけど、観月のやつ罪状がなかなかとんでもないな。
小田さ……小田と石崎も、どこまで協力していたのかはわからないが、軽い罪にはならなそうだ。
「……馬鹿者が」
「私たち二人でどうしろって言うのよ……」
赤木さんからそう連絡されたのか、デュトワさんが連れてきた魔の秩序の残りのメンバーである松山さんと岬さんは、悲しそうに仲間に声をかけていた。
紫杏が大暴れしたようで、石崎はガタガタと震え続けて二人に答える余裕すらないようだ。
それですらまだましで、小田のほうは散々殴られたらしく、完全に意識を失っている。
治療はしてあるし、生きていると聞いたときに、俺はほっと胸をなでおろしたくらいだ。
しかし、この二人の様子からすると、たぶん観月とつながっていたのは、小田と石崎だけなんだろう。
松山さんとか、ここにきたときは驚きのあまりに頭を落として盛大に転がしてしまっていたしな。
「さて、浩一のやつの連絡先は……」
なんか、平然と連絡してるけど、その感じで報告すると絶対開口一番にお叱りを受けますよ……。
「はあ……どんな対処になるんだろうな」
事情聴取はできれば一度だけにして、時間もそこまで長くないものだと助かる。
あと、俺は望んで事件に巻き込まれたわけではないので、そこは許してもらいたい。
「観月は極刑だろうね。小田と石崎も余罪の調査次第で、松山と岬は関与していないか調査。あとは、他の過激派魔族たちの動向もこの機に徹底的な調査と……ははは、一条のやつしばらく眠れないんじゃないかな?」
……少しくらいは怒られておこう。多少の発散でもしておかないと、あの人いい加減倒れるぞ。
そんなことを考えていると、デュトワさんは不思議そうに首をかしげていた。
「最初は普通に会話していたのだが、なんか途中から怒鳴られた。忙しいやつだ」
どうやら、一条さんは徹夜の覚悟をすでに決めたらしい。
◇
馬鹿なやつらめ。
僕のスキルが【ゲート】だと知ったうえで、むざむざと僕から目を離すとどうなるか想像できなかったのか。
死刑だなんて冗談じゃない。人間ごときに危害を加えただけで、これまた人間ごときが僕を裁くなんてありえない。
お前たちが迫害したんだろ。
僕が人間に擬態していた魔族だと打ち明けただけで、これまでと態度が豹変したパーティメンバー。
僕を一方的に捨てて、人間の探索者と良い仲になった愚かな女。
悪魔なんて世界をめちゃくちゃにする危険な存在だと言うから、お望み通り混乱の種をまいてやっただけだ。
「従えていた魔族たちも、また一から集めなおしか……」
転移した先はマンティコアダンジョン。
万が一襲いかかられても【ゲート】で対処可能で、敵に差し向けることである程度の脅威になるという、ちょうどいい魔獣のダンジョン。
忌々しいことに、あいつには一掃されたが、次は同じ轍を踏む気はない。
「そうだ……まずは、烏丸だけを転移させて」
「懲りないのね。本当に救えない男」
突然、女の声が聞こえた。
だけど、ここには気味の悪い魔獣しかいないはず。
「誰だ!」
思わず大声を出してしまい、周囲のマンティコアどももこちらに気づき近づいてくる。
ちょうどいい、それならこの目撃者をついでに始末させてやろう……。
「運が悪かったわね。私、あまり機嫌がよくないの」
誰だ……こいつは。
いや、よく見ると見覚えがある。雰囲気が違いすぎるし、見た目もだいぶ変わっているが、この女は……。
「お前は……」
悪魔……じゃないな。
僕自身が悪魔だからわかるが、目の前の女は悪魔とは別の魔族だ。
そして、僕が悪魔だからこそ、これだけはすぐに理解できた。
……勝てっこない。
「本当に、思い通りにいかなくて嫌になるわ。それに、これ以上あの子のお気に入りに手を出されても面倒なのよね」
なんだ。何の話をしている。
目の前の化け物からの圧力がどんどん増していき、僕はついにひざを折った。
「だからね。ここで死んでちょうだい? 安心してね。あなたの精気は吸わない。脱走した死刑囚が干からびて発見されたら、不審に思われるでしょ?」
精気……干からびる……? まさか、こいつの種族は。
「あなたは、これから魔獣たちに殺されるの」
マンティコアたちが襲いかかってくる。
何匹かは、無謀にも女に挑んだが一瞬で消滅した。
それを見ていたからか、他の魔獣はすべてこちらへと殺到する。
「ふ、ざけるな……」
相手がこの女じゃないなら問題ない。
すぐに【ゲート】を使って別のダンジョンに逃げてしまえば、こいつも僕には手を出せないだろう。
「な、なんで……スキルが」
そう思っていたのに、どれだけ試してもスキルは発動しなかった。
「本当に救えないわね。どうして、わざわざあなたを逃がしてあげたと思っているの?」
その言葉からすると、僕を逃がしたのは目の前のサキュバスらしい。
どうして? 精気を吸うため……ではない。魔獣に殺させてダンジョンに異変を起こす?
迫りくるマンティコアたちへの対抗手段を失った僕には、それ以上を考えることはできなかった。
「【ゲート】。たしかにいただいたわ」
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