第162話 恥という概念があったらしい

 この態度、なんだか懐かしいな。思わず昔の紫杏を思い出してしまった。

 ともかく様子がおかしいのはたしかだ。まだダンジョンの浅い場所にいるけれど、帰還の結晶で外に出るべきだな。


「ちょっと! 触らないでって」


「悪い。緊急事態だから文句は後でな」


 紫杏が抵抗したので無理やり押さえつけたら、真っ赤になって大人しくなった。

 ほら見ろ。当時はアホだからわからなかったが、お前が俺に惚れてるなんてとうの昔に知ってるんだぞ。


「大地! シェリルのほうを頼んだ!」


「あれ? なんで善がシェリルのことを知ってるの? まあいいや、ほら犬。帰るよ」


 シェリルは逃げようとしたので、大地が毒魔法で動きを止めた。

 ……なんか、やけに冷たいし容赦がない気がする。

 大地は大地でピクシーになにかされているっぽいな。


「夢子もさっさと帰るぞ」


「え、あれ? 誰だっけ……いや、違う。善じゃない。そこまで耄碌するほどババアじゃないわよ!」


「お、おう……」


 これ、俺以外の全員が昔の記憶に戻ってるっぽいな。

 かろうじて夢子は、昔と今の記憶が半々ってところか?

 考察は後にしよう。とにかく急いで帰還しないと。


    ◇


「あの……もう思い出したので、大丈夫です」


 ダンジョンから出てすぐのことだった。紫杏が恥ずかしそうにそう呟く。

 これは……記憶は戻ったけど、ダンジョンの中でのことを覚えていそうだな。


「つまり、さっきまでは昔の紫杏だったというわけだ」


「ああぁぁぁ!! 最悪! 最悪だよ! 黒歴史な私なんて、とんだ精神攻撃だよ! 善見ないで! いや、やっぱり私だけを見て!」


 しあんはこんらんしている。

 まあ、冗談はともかくそこまで気にすることもないだろう。

 なんだか懐かしい気持ちになったし、俺は昔の紫杏だって好きだから。


「紫杏は昔のツンツンしていたころに戻って、シェリルは野生に帰って、大地は昔から友だちだったからあまり変わらなかったって感じかな」


 実は紫杏よりシェリルがやばそうだった。

 場所も森っぽかったし、あのまま放っておいたらダンジョンに住み着いていたかもしれない。


「私は先生の飼い犬失格です!」


「狼な」


 ついに本人が犬宣言してきたぞ。


「ああ、そうか。大地って昔はシェリルとあまり仲良くなかったんだな」


「……まあ、さっきまではうざいしムカつく犬と感じたね」


「狼です!」


 よかった。犬ではなくなったようだ。


「夢子もなんか変な発言だったけど、記憶が昔に戻っているとしたら、俺たちのことなんて知らないだろうから仕方ないな」


「え~と、途中からがんばって抗ったんだけどね。ちょっと気づくのが遅かったかも」


「いや、思い出してくれて助かった。さすがに三人連れ帰るのは骨が折れそうだったし」


 それにしても、精神だけが若返るような魔術だろうか?

 なんとなく、ピクシーダンジョンのことがわかってきたかもしれない。


 きっとピクシーは遠くから、こちらの記憶を昔のものに戻してくる。

 つまり探索者としての経験が記憶から消えてしまう。

 その状態でゴブリンやコボルトとの戦闘になるわけだ。


 たしかに、観月さんの言ったとおり、初心には帰れるかもな。

 でも、新たな経験を得られるかは微妙なところだ。

 今思うと、俺も若干記憶が昔のものになっていた。

 あのときの記憶は【剣術】を覚えたてのときのもので、【斬撃】も、【太刀筋倍加】も、【魔法剣】も覚えていなかったからな。

 つまり、俺は自分自身の【太刀筋倍加】に驚き、警戒していたのか……。


「それにしても、なんで善だけは記憶が残っていたのかしら?」


「戦い方こそ少し前の記憶にはなっていたけど、シェリルのことは覚えていたな」


「愛犬だからですか!?」


「シェリルの発言は無視するとして……私たちの中で善だけ違いがあるとすれば……」


「はいは~い! 私の愛を受けとっています!」


「紫杏の発言は無視するとして……種族の違いかな?」


 ……なんかすまん。うちの紫杏とシェリルがうるさくて。

 でも、そうか。たしかに俺だけ人間だもんな。

 もしかしたら、人間は魔族よりもピクシーの術の効き目が薄いのかもしれない。


 そんな考察をしていると、入り口から鎧を着た男性が入っていた。

 あれは、松山さんだな。


「む? 久しぶりだな。ニトテキア」


「お久しぶりです。珍しいですね。今日は一人なんですか?」


 あれだけ連携のとれるパーティなのに、ソロでダンジョン探索とは、予定でも合わなかったんだろうか。


「当然だろう。ここでは、新人以前の記憶に戻されるからな。あいつらがいても連携どころか、他人にしか思えなくなる」


 そういうことか。たしかに、お互いを忘れてしまったんじゃパーティは機能しなくなる。

 ということは、俺たちの考えも大体当たっていそうだな。


「…………しまった。情報を与えては、ニトテキアのためにならなかった。忘れてくれ」


「俺たちも、さっきピクシーに記憶をいじられて知っているので大丈夫です」


「ならよかった。ここはソロがいいぞ」


「でも、人間だけならそこまで記憶は戻らないんじゃないですか?」


「……どういうことだ?」


 あれ、もしかしてこっちの推測はハズレていたのか?

 種族によるピクシーの術への耐性、それを松山さんに話してみた。


「……なるほど、うちは魔族しかいないからな。だが、おかしい。人間のパーティも、子供の時分まで記憶が戻っていたようだが……」


「人間なら緩和されるというわけでもないんですね。なら、個人差があるとか?」


「……そうは見えなかったがな。まあ考えても仕方がない。烏丸は耐性があるのなら、それを頼るのもいいだろう」


 松山さんはそう言い残すと、ダンジョンの中へと向かっていった。

 俺だけに耐性があるのか。種族とかではなく俺だけに……。


「あっ」


「ひらめいた?」


 松山さんから隠れるように、俺の背中にべったりとくっついていた紫杏が耳元でささやく。

 サキュバスムーブが板についてきたよなあ。昔はあんなに突き放されていたことを思うと感慨深い。


「松山さんめ。ちゃんと俺たちが自分自身で気づかなきゃいけない情報は、隠し通したじゃないか」


 うっかりと口を滑らせたのは本当だろうけど、もう一つの情報は話さなかった。

 それでいて悟らせることもないのだから、大した人だな。


「どういうこと?」


「俺、あのダンジョンでコボルトに少し手こずったんだ」


 記憶も【初級】時代に戻っていたので、なんとなく違和感はなかった。

 だけど、今のレベルなら戦闘の経験に関する記憶を失っても、余裕で倒せたはずじゃないか。


「おかしいね……もしかして、記憶だけじゃなくて身体能力とかも探索者になる以前のものに戻されてる?」


「完璧にそうなるわけでもなさそうだけどな。少なくともスキルは使えたし」


 使いこなせなくなって、最低限の効果しか発揮しなかったであろう【剣術】はともかく、【太刀筋倍加】はちゃんと複数発生していた。

 なんせ、自分の攻撃に驚いたくらいだからな。


「そういえば、僕も毒魔法を使えたね……じゃあ、レベルだけ下がっているとか?」


「その可能性が高いんじゃないかと思う」


 ステータスカードを確認しても、レベルに変化はない。

 だけど、ダンジョンを出て記憶が戻ったことを考えると、レベルが下がっていたとしても外に出れば戻る可能性が高い。

 そしてもう一つ。


「俺のレベルはみんなより低かった。もしかしたら、ピクシーって、俺たちのレベルを下げた量に比例するように、記憶を昔のものに変えてるんじゃないか?」


 だから、この中で一番レベルが低い俺だけ中途半端な時期までしか記憶が戻らなかったのかもしれない。

 そして、松山さんが他にそんな人を見たことないと言っていたのも、辻褄が合う。

 今日の俺のように、適性より低レベルで【上級】ダンジョンに挑んでしまった迂闊なやつが、他にいなかったということだ。


「……もしもその仮説が当たっているのなら、俺のレベルが1の状態で探索したらどうなるんだろう」


 コボルトに苦戦した。

 つまり、ピクシーは俺たちのレベルを【初級】ないし、新人相当まで下げているのだと思う。

 それなら、いっそのことレベル1で挑んでやろう。

 下げられるほどのレベルがなければ、記憶も戻されない。

 そうであることを願っていると、背中の紫杏が息を荒くしていた。


「つまり……久しぶりに善から、私に吸って欲しいって言うんだね?」


「……あの」


「帰ろう? それで、おねだりできたら吸ってあげるね」


 ……吸わなきゃ体調崩すくせに。

 まあいいさ。紫杏が満足するなら、おねだりでもなんでもしてやろうじゃないか。

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