第161話 愛に囚われた男

「あんたも他の男たちも大嫌い」


 彼女の目からは明確な憎悪だけを感じた。

 だけど、当時の俺はアホだったから、そんなことは気にならなかった。


「なんでだよ。みんなで遊んだほうが楽しいだろ」


「みんなって? 私をうざそうに見るやつら? お母さんを馬鹿にするやつら? そんなやつらと何が楽しいっていうの」


「え~、だってお前いつも暇そうじゃん」


「関係ないでしょ。ほっといてよ。どうせあんただって、私のことを心配してるわけじゃない。いい人だって、周りに思われたいだけでしょ」


 思えば、最初に会ったときは頭がよかった。

 なぜだ……なんか、今のほうがアホになってるような。


「あんたと話してると疲れる。もう関わらないで、内心では思ってるんでしょ? 色んな男と寝ている母親の娘だって」


「うちの母さんもいろんな場所で寝てるぞ」


 これはリビングとかソファーとかでという意味だ。

 我ながら、なんと話が通じないことだろう。


「うるさい! ほうっておいてよ!」


 彼女の家庭環境は複雑だった。見る人によっては決していい環境とは言えないだろう。

 でも、俺たちが外から見て勝手に判断するのはあまりにも失礼なことで、少なくとも彼女も彼女の母さんも幸せに暮らしている。

 父親が失踪したとか、母親が娼婦だとか、そんなことでいじめられるのは、当時の俺には意味がわからなかった。

 というか……当時の俺には言葉の意味もよくわかっていなかった。


「お前の母ちゃん好きでもない相手とえっちなことしてんだろ!」


「だからこいつもおっぱいでかいんだな!」


「俺たちにもさわらせろよ!」


「最低……」


 今思うと、彼女をいじめてたやつらって随分とませたエロガキだったよな。

 直接的な被害はこの手のエロガキどもだったが、そのやり取りを見ていた周囲の者たちも彼女を軽蔑していた。

 エロガキどもの言葉は、アホな俺以外にはなんとなくわかっていたんだろう。


 俺がそれをいじめだと思っていなかったのは、明らかに彼女の気を引きたいという行動だったからだ。

 なら、素直に仲良くなればいいのにと不思議ではあったが、彼らは大人びた彼女との接し方がわからなかったのだろう。

 つまり、彼女は本当は男子たちには人気があったのだ。


 とある男子も彼女に少なからず好意を抱いていた。

 しかし、女子グループの一人がその男子に惚れており、その女子はそれが気に食わなかった。

 そこからは、女子も男子も彼女をいじめるようになった。

 男子からは娼婦の娘のエロ女と言われ、女子からは男子を誘惑して色目を使う嫌な女と言われていた。


「だからさあ……あんたがその無駄にでかい胸で誘惑してるのわかってるんだよ」


「うざいんだけど、恥ずかしくないの? そんな色目使って」


「知らない。私だって迷惑してる」


「あっそ、それじゃあ迷惑しないように、もっとみすぼらしい格好になってみたら?」


 その日の彼女はバケツで水をかけられてびしょびしょになっていた。

 それを見かけた俺は、ハンカチを渡して怒られたのを覚えている。


「なんでそんなに濡れてんだ? まあいいやこれで拭けよ」


「馬鹿じゃないの。こんなので全部拭けるわけないでしょ」


「たしかに……お前頭いいな」


「あんたが馬鹿なだけだよ」


「じゃあうちにこいよ。タオルあるぞ」


「あっ、ちょっと……」


 彼女は頭がよかった。俺は馬鹿だった。

 強がっていたけど、彼女はいつも周りを気にしていた。

 俺は要するに空気が読めないやつで、周りのことを気にしていなかった。


    ◇


「嫌い。もう二度と話しかけないで」


「え、なんでだよ」


「……」


「お~い」


「……」


 それから彼女は俺と会話することはなくなった。

 言葉を素直に受け止めた俺は、なんかよくわからないけど嫌われることをしてしまったと思い、何度も謝ったが言葉を返すことはなかった。


「いい加減諦めたら? 本人も話しかけるなって言ってるんだし、一人が好きなのかもよ?」


「いや、それは違うぞ。俺のかんがあいつは一人が嫌だと言っている。なんせ、昔の大地に似てるからな」


「ええ、僕あんなにひどかった……?」


「いい勝負だな!」


「否定してよ……」


 そう。あいつは本当は独りでいたいなんて思っていない。

 だから、俺はあいつの本音を聞きたいんだ。

 というわけだから、とりあえず探してみよう。

 大地を置いて走り去ると、後ろでなにかつぶやかれた気がした。


「……僕は救われたし、きっとあの子も同じだ。だけど、それが面白くないと思う連中もいる。ほんと、これだから人間って嫌だよ」


    ◇


「なあ、烏丸。お前なんであんなやつとまで仲良くしようとしてんの?」


「え、だってみんな仲良いほうがいいじゃん」


「ああ、はいはい。またそれか。なんかさあ、お前空気読めないよな」


 わかる。当時の俺はそれはもう空気を読めないやつだったと思う。

 というか、めちゃくちゃアホだったからな。

 だから、大地みたいに俺のしつこさに折れるやつもいれば、心底嫌になって嫌うやつもいて当然だった。


 それが溜まり溜まってであり、彼女と仲良くしていたことが面白くないというのは切欠にすぎなかったはずだ。

 だけど、やっぱり彼女は頭が良いから、そうなることを予測していたのだろう。

 だから、俺のことを嫌っているように無視し続けた。


 どうやら、このときの俺はそんな彼女の気遣いを無駄にしてしまったようだ。

 晴れて俺たちは嫌われ者同士となってしまったわけだ。

 かわいげのない娼婦の娘と、うざいアホ。

 だけど、アホにでもなんとなくわかった。クラスメイトからはぶられてると。


「馬鹿じゃないの……せっかく、私に関わらないようにしたのに」


「……おお! そういうことだったのか。よかった~。俺嫌われてなかったんだな」


「ばっ、馬鹿じゃないの! 嫌いよ。あんたなんか」


 ほどなくして、彼女はまた話すようになってくれた。

 嫌われてる自分に関わると俺も除け者にされる。

 そんな思いから突き放したはずなのに、なんか勝手に周囲から孤立した俺を見て、彼女は心底呆れたことだろう。


「……でも、かわいそうだから、話すくらいはしてあげる」


「え、まじで!? ありがとう!」


「周りから孤立してなに喜んでんのよ。バ~カ」


 たしかに、当時の俺はリアルに友達百人作りたがるタイプだった。

 それなのに、そんな行動がうざがられ、ついには孤立した。

 普通はもっと落ち込むはずなのに、なんでどちらかといえば嬉しいのか考えて気がついた。


「ああ、わかった。俺、お前と一番仲良くなりたかったみたいだ」


「……み、みたいってなによ。バカ。バ~カ」


「お前なんかもっと頭いい言葉使わなかったっけ」


「バカなのはあんたでしょ!?」


 嫌われ者二人が楽しそうにしている。

 周囲からすれば、それは気に入らないことだったようだ。

 そして、それはいじめっ子たちの行動をエスカレートさせることになる。


    ◇


「うわぁ、まじでおっぱいでかいじゃん。うける」


「あははは! やりすぎだろ! どうすんだよ。親に言ったら」


「大丈夫だろ。こいつの母親変な仕事してるし、そんなやつの言うこと誰も信じねえよ」


「あれ~? いつものムカツク言葉がないけど、震えてるぞこいつ」


「寒いんじゃね? ほら、服なくなったから」


 大きな笑い声は、わりと遠くを歩いていた俺にも聞こえてきた。

 アホな俺は、なんか楽しそうなことをしているなと思って、普段は人気のない空き教室に入ったのだが……。


 そこには、ハサミで服を切られた女の子と、それを見て笑う男子たちがいた。

 さすがにアホでもわかる。これはもう素直になれないけど気を引きたいとか、気に入らない相手だからとか、そんな度を越している。


「やめろよ!」


「はあ? うざっ」


 俺も悪い。ついカッとなって暴力に訴えてしまった。

 殴ったのは男子グループのリーダーで、不意打ちとなったからかそいつは鼻から血を流して俺をにらんだ。

 そこからは、多勢に無勢だ。いや、俺は雑魚だったから、一対一でもやられていたかもな。

 ともかく、助けに入ったはずの俺は、あっさりと返り討ちにあってしまった。


「調子に乗んなよ。馬鹿のくせに」


 倒れた俺を足蹴にする男子グループのリーダーだったが、次の瞬間腹を殴られてうずくまった。

 俺の情けないパンチと違って、彼女の攻撃の一発一発は、すべて男子たちの腹部へと吸い込まれていく。

 男子たちは、一様に腹を抑えてうずくまり、中には吐しゃ物をまき散らす者もいた。


「つええ……」


 助けに入ったはずの俺は、こうして彼女に助けられた。

 いや、俺のことなどついでだったかもしれない。

 教室内でうずくまる男子たち、殴られて倒れたままの俺、半裸の彼女。

 ……馬鹿でもわかる。こんなの見つかったらめんどうくさい!


 俺は彼女に肩を借りて、空き教室から逃げ出した。


    ◇


「強いんだな。お前」


「……」


「俺は弱いな」


「……」


「余計なお世話だったな」


「……そんなことない」


 彼女は泣いていた。そりゃあそうだろう。あのエロガキどもめ、やりすぎにもほどがあるぞ。


「なんで……助けてくれたの?」


「ええ……あんなことになってたら、俺じゃなくても助けるだろ」


 事件だぞ。あんなもの。

 俺はアホだから殴って返り討ちにあったけど、他の人が見つけても、先生を呼んだり少なくとも見て見ぬふりはしないはずだ。


「助けてくれないよ。あんたみたいなバカ以外は……」


「じゃあ、これからも俺がずっと助けてやるよ」


「ふふ……あんた弱いから、私があんたを助けてあげるね」


「それなら安心だな。俺はお前を助けるし、お前は俺を助ければいい」


 そう決めたのだ。クラスの嫌われ者同士、ちょうどいいじゃないか。


「たしかに聞いたからね?」


「ん、なにを?」


「ふう……や~めた」


「だからなにを?」


「ふてくされるのやめる。かわいげない態度もやめる。善に好かれるような私になる。だから、絶対に逃がさないから」


「……おお、お前そっちのほうがかわいいぞ。紫杏」


 俺は初めて紫杏が心から笑っている顔を見た。

 ほら、やっぱり楽しいほうがいいじゃないか。


    ◇


「……なにしてんの。二人してボロボロになって」


 殴られてボロボロな俺。俺の上着を羽織ってるとはいえ、服がボロボロな紫杏。

 俺たちを発見した大地はさぞ驚いたことだろう。


「……北原さん。それじゃあ大変でしょ。僕の上着も貸すよ」


「いやっ……!」


 紫杏に上着を手渡そうとして大地だったが、紫杏はそれを怯えたように拒んだ。

 震えながら俺の背に隠れる紫杏は、どう見ても様子がおかしかった。


「……そう」


「あ……ご、ごめん」


「いや、大体わかったからいいよ。善、ちゃんと北原さんを送ってあげてね」


「大地は一緒に帰らないのか?」


「うん。北原さんには君が必要だし、僕はちょっと用事ができたから」


 紫杏は俺以外の男性を恐れるようになっていた。

 とはいっても、いじめっ子たちを殴り倒したことから、完全な敵相手にはむしろ吹っ切れるっぽいな。

 そうではない相手。さっきの大地のような相手には、触れることすら恐怖するようになってしまったらしい。


「大丈夫。大地はいいやつだし、紫杏もいつか慣れるよ。それまでは、俺で練習したらいい」


「……ありがとう。でも、善の手は握れる。善のことは抱きしめられる」


 紫杏に抱き着かれた俺は、きっと赤くなっていたことだろう。


「だから、ずっと一緒にいてね?」


「おう。わかった」


 たぶん、このときの俺は、男性恐怖症を克服するまでだろうなと思って答えていた。

 まあ、今でもそれは治っていないけど、きっと紫杏は別の意味で言ったんだろうなあと思う。

 こうして、俺と紫杏はそれまでと打って変わって、常に二人で行動するようになったのだが……。

 そういえば、あれだけの事件が起きても、学校では騒ぎの一つもなかったし、いじめっ子たちはやけに大人しくなったな。

 きっと、紫杏一人にのされたせいで、復讐なんて気にもならなかったんだろう。


    ◇


「ほら、さっさと片付けなよ。ばれたらまずいのは自分たちのほうだって、わかったんでしょ?」


「うぅ……」


 善じゃなくて、北原さんにやられたらしい馬鹿たちが空き教室を片付ける。

 普通に犯罪だからね? お前らがしたことって。

 それがわかっているから、わざわざ誰もこないような場所を選んだんだろうけど。


 まあ、そのおかげというか、こうして何事もなかったかのように痕跡を消してしまえば、今日のことは他には漏れない。

 馬鹿だけど、この状況のまずさを理解する程度の知能はあったらしく、脅し……諭してやったらあとは大人しいものだった。


「それじゃあ、これからもよろしくね? 善と北原さんに絡んだら、今日のことが学校中に知られるだろうね」


「わ、わかってる……」


 そうなったら、あの二人に迷惑だから、こっちもごめんだけど。

 そこまでの考えは回らないみたいだね。

 まあ、これで一応は今後も平穏な学生生活を送れるはず。

 ……北原さん、どう見ても善に惚れてたし、これからはあの二人に目の前でいちゃつかれるんだろうなあ。

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