第156話 イブに勧められる前に食べた林檎

「人面ライオン」


「そして私は人狼シェリルです」


 俺のつぶやきに追従する必要はないぞ。

 昨日教えてもらったマンティコアダンジョンに来たはいいが、顔が完全に人間だな。

 体がライオンだから魔獣であることは一目瞭然なんだけど、ちょっと攻撃をためらってしまいそうだ。


「うわっ、けっこう速いな」


 ティムールほどじゃないが、スピードもパワーもけっこう高い。

 普通に戦う分には、けっこう苦戦しそうな相手だ。

 ということは、【剣術】の練習相手としては申し分ないな。


「回避! 回避! かいひ~……は無理そうなので、【板金鎧】!」


 シェリルのやつは、もうマンティコアの攻撃に対処している。

 基本は回避だが、向こうも避けられてばかりでなく、じりじりとシェリルのことを追い詰めていた。

 しかし、それにも冷静に……冷静か? まあとにかくきちんと対応している。

 避けられないと見るや、すぐに【板金鎧】を発動させて攻撃を食らった反動で距離を取る。


 シェリルはしばらく【板金鎧】を使用できないし、ちょうどいいから俺が変わるか。


「シェリル。交代しよう」


「は~い! お願いします!」


 できれば、シェリルと一緒に戦えたほうがよかったんたけど、あの速さにとっさについていくのは無理だな。

 そのあたりも、行く行くは改善したいところだ。


「できるだけ負荷が少なく、それでいて【剣術】を普段よりも使いこなせる感じで……」


 ちょっとだけ集中する。

 マンティコアの速さをとらえきれない。

 直撃こそ避けているものの、体には鋭利な爪による傷がつけられる。

 紫杏が即座に治療してくれるとはいえ、あまりあてにしすぎるのもよくないだろう。


「もうちょっと……いや、これは今の俺には負荷となるか」


 難しいな。魔力と違って測ることもできないから、どのくらい集中して使えばいいのかわからない。

 ……まあ、魔力も測定できないけどな、俺は。


「このくらい……いや、もうちょい……」


 マンティコアはこっちがまごついているうちも、容赦なく攻撃をしかけてくる。

 これがなければ、もう少し楽なんだろうけど、それじゃあ実践で使えないし意味ないからな……。

 あ、やばい……。


「はい、おしまい。もう、無理はよくないよ?」


「悪い……あとは頼んだ」


 中途半端に【剣術】を使い続けたことで、どうやら脳の許容量の限界を迎えたらしい。

 いつのまにか近くに来ていた紫杏が、俺の体を支えてくれた。


 情けない。これなら、赤木さんもどきと戦ったときみたいに、全力で使ったほうがまだましだ。

 いっそのこと、そう割り切って使用するのが正しいか? 赤木さんも慣れだと言っていたしな。


「先生! 先生~!」


 無事だから、そんな戦死したみたいに叫ばなくていいぞ。シェリル。


「う~ん……やっぱり、動きが速くなるとついていくのが難しいね」


「ええ、シェリルが戦っているときも、善が戦っているときも、下手したら味方に攻撃があたりそうだったわ」


 難しいなあ。

 戦闘の高速化に伴い、仲間との連携の難易度も上がっている。

 魔の秩序の場合、石崎さんがパーティメンバーの視力を強化することで、そのあたりをうまくケアしていたな。

 うちも、なんかそういうことを考えたほうがいいのかもしれない。


「とりあえず、逃げる経験も積んでおこうか……!」


 大地はそう言いながら、毒魔法をマンティコアに向けて撃った。

 泥を想起させる毒と魔力の塊は、素早く動くマンティコアの顔あたりへと命中する。


「さあ、逃げるよ」


 なるほど、視界を奪ったのか。

 マンティコア相手だから、そのまま毒も効いているが、もしもこれがティムールだった場合も、相手の視界を奪うことはできそうだ。

 大地は大地で、毒が効かない相手との戦い方を考えているんだなあ。


 結局、その日はまたみんなに迷惑をかけてしまった。


    ◇


「シェリルー!」


「おのれ~!」


 マンティコアの攻撃をかわしきれずに、シェリルが爪でえぐられた。

 腕からは血が景気よく吹き出しており、見るからに痛そうだけど徐々に傷が塞がっていく。


「よしよし、痛かったな」


「泣きませんでした!」


 やっぱり、あの獣のような動きはとても厄介だ。

 その点、グランドタスクは突っ込んでくるか逃げるかの両極端で、素直なやつだったなあ。

 もしかして、【超級】より厄介なのかと思い始めてきたが、相性の問題が大きい気がする。

 ティムールのときもそうだったが、どうやら俺たちは単純に強い相手とは戦いにくいようだ。


「シェリルも無茶しちゃだめだよ? 今日は終わりにしたほうがいいんじゃない?」


 あまり探索中は口出ししない紫杏が心配するくらいには、俺たちの探索は上手くいっていない。

 う~ん。どうにも停滞している感が否めない。

 みんなのレベル上げを考えるべきか……。


「よしっ! 明日はお休みしよう」


 紫杏が思い切ったように発言した。

 いや、そんなに疲れてないぞ? 今日も【剣術】の制御に失敗こそしたものの、俺はしばらく休んで回復できる程度しか疲弊していない。

 シェリルは傷も完全に治っているし、まだまだ元気が有り余っている。


「いいじゃ~ん! たまにはデートしようよ~! え~ん」


 シェリルか、お前は。

 駄々をこねる紫杏にみんな呆れ……ていないな。

 やばい、この雰囲気はみんなが紫杏の味方に回るパターンだ。


「なら、私たちもたまには普通の恋人みたいなことする?」


「……まあ、いいけどね。僕はどっちでも」


「私はコタツでぬくぬくしています」


 ああ、もうみんなのスケジュールが決定してしまった。


「あまり根を詰めるのはよくないからね。もちろん、紫杏に吸わせる分のレベル上げには付き合うけど、それ以上はだめだよ?」


「そうそう。あんまりダンジョンばかり通ってると、紫杏に愛想尽かされちゃうわよ?」


「そんなことありえないよ!」


 そこは、俺じゃなくて紫杏が否定するんだな……。

 気分転換か……。そんなに危なっかしく見えたかな?


    ◇


「はい。よそ行きの紫杏ちゃんです! しっかりと見惚れるように」


「う~ん。かわいい」


「え、そうかなあ……えへへへ」


 道行く人々が微笑ましいものを見るように通り過ぎる。あるいは舌打ちして去っていく。

 この娘、俺の彼女なんですよと自慢したいがやめておこう。


「それで、どこに行くんだ?」


 なにやら考えがあるらしく、紫杏は今日のことは自分に任せるようにと言っていた。

 この前テレビで見ていた美術館にでも行くんだろうか。


「そうだねえ。それじゃあ、つくまで内緒にしよっかな~。はい、目を閉じて。私の美声についてきて~」


「えぇ……」


 目的地が遠かったら危険だぞ。

 でも、紫杏が俺を危険な目にあわせるはずないし、ちょっとつきあってみるか。


 これでも探索者として1年ほど過ごしてきた。

 なので、シェリルほどではないにせよ、目を閉じながらの行動もそれなりにできる。

 ただ、やはり視界が閉ざされてるとちょっと不安だな。

 シェリルなら匂い、大地なら音、紫杏なら魔力で、周囲の様子もわかるんだろうけど、俺にはそういうのないしな。

 ……ないなら、真似てみるか。


 匂い……。ぜんっぜんわからん。

 紫杏のいい匂いはなんとなくわかるけど、他はからっきしだ。

 音……。さっきよりはましだけど、これで距離や位置を掴むのはなあ。

 大地ってうさ耳じゃないけど、やっぱり兎としての能力があったんだな。


 なら、魔力……。わからない。

 でも、紫杏の魔力ならわかるな。さすがに魔力量が桁違いになってきているし。

 う~ん……なら、もうちょっと集中して魔力を感じてみようか。

 【剣術】の要領で、集中力を高めれば……。

 ああ、いけた。なるほど、こういうことか。


「紫杏」


「ん~? どうしたの?」


「ありがとな。お前のおかげで、魔力のことちょっとわかった」


 急にデートだなんて言ったけど、本当はこうやってダンジョン以外で俺を鍛えてくれる気だったんだな。


「……え。私まだなにもしてないんだけど」


「え?」


「できる女を見せる前に、彼氏が勝手に強くなっていく……」


 まだだったらしい。

 ま、まあ。紫杏のおかげでなにかつかめたことはたしかだから!

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