第151話 敗北して彼は笑った
「ジャングルっぽいな」
「あつ~いで~す……」
シェリルが舌を出しながら、だらしない表情をしている。
普段は元気だけど、じめっとした熱帯のような暑さには弱いのかもな。
「シェリルが住んでた山だって似たようなもんでしょ」
「いっしょにするな~……」
大地の言葉にもいつものように返すことはできないらしい。
どこか投げやりな様子は、暑さに参っている証拠だろう。
「毒や麻痺や魅了は効かない。それなのに、こっちだけこのダンジョンのせいで体力を奪われるか。不公平な話だね」
「まあ、グランドタスクなんてダンジョンに護られてたし、基本的にはダンジョンは魔獣に有利な特性ばかりなんだろうな」
つくづく恩知らずなやつらめ、コロニースライムの死骸を嫌がらせで置いてやろうか。
「ああ、どうやら来たみたいだよ。向こうから音が聞こえてくるし、隠れる気もないみたい」
大地が知らせてくれたしばらく後に、ガサガサと目の前の植物を押しのける音が聞こえてくる。
低いうなり声は、よくシェリルもしている威嚇行動だろう。
つまり、もうすぐ近くに虎型の魔獣が近づいているということだ。
「グルルル……」
「出ましたね虎! 人狼的には人虎はライバルですが、そっちには人成分がないぶん私の勝ちです!」
シェリルの中では、ティムールは自分より格下という認識らしい。
すごいな。【超級】の魔獣なのに、一切気にせずに特攻していったぞ。
「硬い! 速い! やりますね!」
シェリルの爪はその体毛に弾かれ、ティムールの反撃がシェリルを襲うが、シェリルはすんでのところで回避した。
今のやり取り一つとっても、これまでの魔獣よりも強いということがわかる。
なるほど。これはたしかに単純にただ強いだけの魔獣だ。
これ以上となると、今まで戦ったことがあるのは、スライムが模倣した竜か赤木さんくらいじゃないだろうか。
「俺も前衛のほうがよさそうだな」
「先生との共闘! もうあちらに勝ち目はありませんね!」
シェリルは歓迎してくれるが、それはどうだろう。
なにしろ先ほどの攻防のスピードには、通常の俺ではついていくことはできない。
となると、【剣術】をより使いこなす必要があるが、負荷に耐えきれなくなる前に倒しきれるかどうか。
「とりあえず、目の前のこいつをどうにかできないと話にならないな」
後のことは後で考えよう。
俺は出し惜しみせずに、【剣術】にすべての集中を割くことにした。
「ふん! 硬いです! ちょっと【両断】でも厳しいかもです!」
「体毛が武器より硬いって話だったしな! シェリルは回避を優先しながら、ちょっかいかけてくれ!」
「了解です!」
なんとかシェリルとティムールについていく。
シェリルは俺の周囲をあちらこちらへと跳ね回って、ティムールはそれを追うように爪や牙で攻撃する。
きっと俺に気を遣ってシェリルは、あえて俺の周りを行ったり来たりしてくれている。
なら、シェリルがうまく引き寄せてくれた魔獣を、タイミングよく斬るだけだ。
「今だ!」
後ろを振り向くと俺の横をシェリルが通り抜ける。
シェリルを追っていたティムールも、俺に目もくれずに横を抜けようとするため、魔法剣を展開する。
大丈夫。全開で【剣術】を使っているので、俺のスピードも負けてはいない。
ティムールの無防備な背中へと剣を振り下ろす。
水属性で硬質な体毛がいくらか斬れたが、途中で刃を止められる。
勢いが死ぬ前に土属性へと切り替える。剣の頑丈さと重みで無理やり刃を進める。
これだけ硬いくせに体毛ゆえに刃へと絡まってくる。なので火属性へと切り替えて、燃やしながら刃をさらに降ろしていく。
「硬いなあ! これでも他の探索者の十倍以上の手数なんだぞ!」
周囲には、俺の動きと同様の太刀筋がティムールの体に襲いかかっている。
同時に十二か所もの攻撃を受けたティムールは、そこでようやく標的をシェリルから俺へと切り替えた。
反撃がくる。だけど、ここで引くつもりはない。まだ向こうの毛を斬っただけで、肝心の体には刃が届いていない。
「先生! 危ないです!」
「紫杏! よろしく!」
「は~い!」
ティムールの顔がこちらへと近づいてくる。
そのへんの剣よりも業物っぽい牙が、俺の頭を噛み砕こうとする。
まあ、毛の時点で探索者の武器並みなら、向こうの武器である牙はそれ以上でも驚きはしない。
「善を食べていいのは私だけなんだよね~!」
紫杏の結界が俺の顔周辺にだけ張られ、ティムールはそれを破ることができずに顔を結界にぶつけた。
なんなら今の自滅が今日一番のダメージなんじゃないか?
さすがは俺の彼女だ。なら、彼氏としてもう少しくらいはがんばろうじゃないか。
「別々の場所を攻撃しても効かないなら……一か所に!」
先ほどと違い、今度は増加した太刀筋をすべてまとめて攻撃する。
一度ティムールの体から離した剣を、再び水へ土へ火へと目まぐるしく属性を変化させる。
さっきやったからな。今度は属性の変化もスムーズにできているだろう。
「よし! 手応えあった!」
刃が肉に食い込む感触が伝わってくる。
これで体毛以上の硬さの体ならどうしようと思ったが、さすがにそこまでではなかったらしい。
なら、これ以上は体毛に邪魔されないということだ。
即座にそう判断した俺は、魔法剣の属性を土属性に変化させ、今度こそ無理やり体を斬ろうとする。
「斬れろぉぉ!」
ダメージは与えている。だけど、向こうも必死でこちらの攻撃に抗ってくる。
刃を体に食い込ませたまま、じりじりと俺から距離を離そうと体を後方へとさげていく。
だめか……。これ以上は……。
密林の中に、巨大な石が落ちたような音が響いた。
力を込めていた魔法剣が地面を穿った音だ。
くそっ、仕留めきれなかった。
ティムールは、俺の刃から無理やり逃れ、背からは血を流しながら距離を取った。
怒りは伝わってくる。だけど、同時に俺を面倒な敵と認めたのか、短絡的に襲いかかってくる様子はない。
警戒しながら、一定の距離を保とうとしているのがわかる。
「虎のくせに先生に怯えてるんですか! 正々堂々とかかってきなさい!」
シェリルの挑発はティムールには届いていない。
元々言葉が通じているかはわからないが、すでにティムールの意識はほとんど俺に向いている。
シェリルを完全に意識から外しているわけではないが、まずは俺を敵と認識しているのだろう。
「またやり直しか!」
属性を水に変化させて、一足飛びでティムールがいた場所に斬りかかる。
しかし、向こうのスピードはやはりかなりのもので、こちらの攻撃を後方へ跳躍してかわした。
だめか。互角ではなく、向こうのほうがわずかに速い。
シェリルと共にではなく、対面した状態で攻撃しても簡単にかわされることになるな。
「……っと。これ以上はまずいか」
ここで集中力が持たなくなった。
【剣術】を全開で使うことができなくなり、俺の剣技は先ほどよりも劣るものになってしまった。
俺の異変をいち早く感じ取ったのか、ティムールはさっきまでと変わって一気に攻勢を仕掛ける。
「ここまでだね!」
待機していた大地が毒の霧をティムールの顔に飛ばす。
夢子が炎でティムールを囲む。
「悪い! 帰還する!」
その隙をついて、俺たちは一斉に帰還の結晶を使用した。
◇
「ごめんな。俺が戦えなくなったせいで」
「いや、善とシェリルじゃなかったら、そもそも勝負にもなってないだろうからね。さすがに一筋縄にはいかないよ」
「私と大地は、きっとあれにダメージを与えるにはレベルが足りてないわ。攪乱しようにもそっちの邪魔になりそう」
速いからなあ。俺もシェリルとティムールについていくので精一杯だった。
大地と夢子が、その戦いを見ながら上手く隙をつくっていうのは難しいだろう。
「紫杏はよくピンポイントで結界張れるわよねえ」
「愛の力があるからね! 善の場所なら、見なくてもわかるかもしれない」
紫杏の場合、ステータスが高いからあのスピードにも普通についていけそうだしな。
「まあ、なにはともあれ。失敗か……」
こちらは全員無事で怪我一つない。
向こうはそれなりの傷を負ったが、次に探索したときには回復しているだろう。
戦果がなにもないのは向こうも同じだが、帰還の結晶を消費しているぶんこちらだけがマイナスだ。
つまり、俺たちの負けということになる。
久しぶりというか初めてか? ここまで何も得られずに探索を終えたのは。
……面白い。次こそ戦果の一つでも持ち帰ってやろうじゃないか。
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