第3話 区画整理

 最近のK市は、そんなマンションを中心とした、建設ラッシュだった。区画整理も行政によって行われていて、幹線道路も、整備が進められていた。

 そして、これは数十年前から言われていて、なかなか計画が進んでいなかったが、この地域で唯一の私鉄が、やっと、始発駅から、K市や、隣のO市を抜けるところまでを、全面高架にするということで、駅がきれいになっていくのだった。

 駅前の開発は、駅が新しくなるというのも含ま手のことだが、さすがに今は、まだ高価になるまでの、仮設の駅なので、まるで仮設住宅に近い設備しかない、そんな駅だが、きっと、きれいな駅ができると、駅前もきれいに生まれ変わることだろう。

 ここの駅は、昔の効果計画ができる前、つまり、まだ、商店街が賑やかだった頃は、駅前には、ファーストフードの店や、コンビニ、パン屋、喫茶店、いくつかの病院と、さらにアーケードの商店街を抜けた先には、スーパーがあったのだ。

 本当に、

「この商店街では、何でも揃う」

 と言われていた。

 何しろ、本屋や、文房具店まで、2軒ずつあったくらいだ。そんな商店街は、なかなかないのではないだろうか?

 商店街がすたれてきた頃よりも後に、鉄道の高架計画が持ち上がった。

 実際にウワサはそこからずっと前に存在していたが、話がまとまらず、渋滞していたのか、それとも、一度計画が途絶えたが、十数年後にまた再燃したということなのか、話だけは、40年くらい前からあったということだ。

「ああ、あれは、私鉄側と、県庁所在地の市とがもめていたからさ。私鉄側は、市に金をかなり出させようとしていたんだ。以前、ここを走っていた路面電車の経営を、ここの私鉄がやっていたんだが、市営地下鉄ができるということで、路面電車が廃止に追い込まれ、廃止になった時、その土地を、市が、ただ同然で買い取ったのさ。そういう意味で、市は、ここの私鉄には頭が上がらないのさ。今でも、市制には、私鉄の発言力や影響力は絶大だからな。そんなこんなで、市と私鉄側の勝手な確執のせいで、住民は振り回されているのさ。ここの立ち退きだって、すぐに行われ、最初の店は、高架から、再開発という話が出てから、半年もしないうちに、立ち退いただろう? ファーストフードの店だったから、きっと、情報はあったんだろうな。本当に早かったさ。それから少しして、今度は立ち退きラッシュになってしまって、駅前はまったく閑散としてしまったよな。おまけに、商店街は、郊外型の大型商業施設の煽りで、昼間でもシャッターが半分は閉まっている始末だよ。昔の街の雰囲気なんて、それこそ、まったくなくなった。それが、K市の実情なんだよ」

 と、先輩が以前話していたのを思い出した。

 その人は結構、地元の情報については、結構詳しく、そんな先輩だからこそ、かなりいろいろな内情に精通していたりして、話にもかなりの信憑性があった。

 そして、

「でも、今回、このあたりにマンションが立ち並んで、実際に高架になると、昔のような賑わいが戻ってくるんじゃないですか?」

 と聞くと、

「甘い! そんなことがあると思うか? 考えてもみろよ。私鉄がまごまごしている間に、JRの方は、結構いろいろな策を打って、ここ十年くらいの間に、新幹線だって、先を通しただろう? 主要駅も、開発されて、うちの駅には新幹線が停まるという触れ込みだったが、実際に駅に言ってみて、そんな賑やかなところ、あったかい? これは俺の持論でしかないんだけど、主要駅が、再開発ということで、一度立ち退いてしまえば、それまでとはまったく違った街が出来上がるんだ。その出来上がった街を見て、賑やかさが戻ってきたと思うかい?」

 と言われ、腕を組んで、考え込んでしまった。

「確かに言われる通り、居酒屋だったり、ちょっとしたファーストフードの店なんかがなくなってしまった気がする。そして何よりもこじんまりとしてしまって、一部の横丁のような雰囲気の場所に数店舗が押し込められ、それ以外は、コンビニがあるくらいで、賑わいなどというのはまったくなくなってしまっているように感じるよな」

 というと、

「そうなんだよ。今までは、何でも揃うとまでいうと大げさだけど、何よりも、本屋だったり、文具店だったり、CDショップなどがないだろう? しかも、駅の売店自体がない。これは時代の流れなのさ。今の時代は、本や音楽というのは、ネットの配信で、電子書籍だったり、配信音楽などとして、媒体を必要とせずに、購入できるのさ。別に店に行く必要もない。音楽など、1曲にすれば値段は安いし、月に定額の契約をしておけば、いくらでも、ダウンロードし放題というのもある。やはり、スマホの普及で、パソコンのように、その場所でなくても、歩きながらでも、できるという利便性ができてから、街の本屋であったり、CD屋というのが、どんどん姿を消していったのさ。それを思うと、実に寂しいものじゃないか」

「なるほど、確かにその通りですね」

「それに、駅も、鉄道会社の方針で、今までしていたサービスをどんどん取りやめて、他の会社に任せるなどということをしているだろう。サービスがあからさまになくなっていったのは、昔から考えれば、食堂車がなくなったり、ビュッフェがなくなったり、そして、特急列車での、車内販売もない。いわゆる、昭和の時代の電車に乗る楽しみというものが、どんどんなくなっていくわけさ。そりゃあ、電車に乗って、旅を楽しむというのが好きだった人にはたまらないだろうな。それに、昔は、主要駅にコンビニがあって、それは鉄道会社が経営していたものさ。それと、昔からあった、キオスクというもの、お土産屋だったり、駅のホームにあった売店も、今ではほとんど見かけない。君は、駅で新聞雑誌を販売しているのを見たことがあるかい?」

 と聞かれて、

「ええ、そういえば、昔、ホームの売店など、階段状になったところに、新聞が丸めて、それぞれ置かれていたのを見たことがありましたね。今ではコンビニでしか、そういうのを見ることができなくなったんですけどね」

 というと、

「新聞だって一緒さ、ネットでいくらでも見ることができる。スマホの前の時代から、パソコンで見られればよかったので、家で見て出てきたり、会社で確認する人も増えただろうね」

 というので、

「そうですね」

 と、ため息をつきながら相槌を打った。

 さすがに、ここまで話してきただけで、ウンザリもしてくるというものだ。

「だけど、昔は、駅で新聞を買ったりして、吊革につかまりながら、サラリーマンは皆新聞を最大限に折りたたんで見ていたものさ。そして、読み終わった新聞は、そのままどうするかというと、網棚に捨てるのさ。あまり礼儀正しいとは言えないが、それも、昔の風物詩だったことを思えば、今のような味気ない時代を考えれば、差し引いても、昔のようがよかったと思うんじゃないか?」

 と言われた。

「なるほど、確かに、今は新聞をスマホで見るから、皆新聞の代わりにスマホを持っているという感じですね?」

「そうだね、だけど、スマホを見ている人が、全員、新聞を見ているわけではない。むしろ、ゲームをしたり、音楽を聴いたりする人の方が多いかも知れない。それだけスマホ一台あれば、何でもできるということさ。便利ではあるが、どうしても、味気なさが残ってしまうのは、仕方がないことだと言って片付けられるものだろうか?」

 と、その人はいうのだった。

 昭和の時代というのを、ほとんど知らなかったが、こうやって話を聞けば、

「なるほど」

 と感じさせられる。

 それを踏まえて、K市の駅前を考えると、この人の言う通り、

「再開発された駅に、期待を持つのは酷だということなのだろうか?」

 と思って、同じ県内の、別のK市を思い出した。

 そこは新幹線が停まる駅なのだが、昔は特急列車が停まっていた。新幹線が開通してから、特急列車がなくなってしまったので、寂しい限りであるが、まだ、昔の再開発駅の前は、改札を抜けてから、ホームに向かうまでの場所で、何と、駅内で、孔雀が飼われていたのだった。

「昔はこんな駅、たくさんあったんだけどね」

 と言っていたが、実は、その孔雀が変われていた時期を、知らない。後で聞いた話であったが、駅前も何か所か、飲み屋横丁があったり、ファーストフードの店も数軒あったということだった。

 今では飲み屋はほとんどない。ちょっとした立ち飲み系か。昔からあった、スナック程度なのだが、駅前から少し離れているので、わざわざ行く人もいないだろう。

 何しろ、ほとんどが電車を降りてから、バスに乗って、いくつかの住宅街のある街に帰っていくのだから、駅前の店に立ち寄る人はいない。

 それは、

「駅前が、寂しくなったから行かなくなったのか。それとも、人がいかないから、駅前が寂れてしまったのか:

 まるで、

「タマゴが先かニワトリが先か」

 というような、まるで、禅問答のようだが、そんな状態だったようだ。

 この私鉄の駅も、再開発をされても、元のような賑わいを感じることはできないだろう。

 そもそも、

「時代の流れに逆らえない」

 ということになり、本屋やCD屋のような運命が待ち受けている店もあるのかも知れない。

「本当に、世の中、暮らしにくい世の中になったものだ」

 と感じているのは、自分だけだろうか?

 確かに、自分と似たような年齢の人は一抹の寂しさを感じるだろう。

 しかし、これからの世代、十代や、二十代前半という人にとっては、これくらいの静けさが、

「当たり前だ」

 と思うことだろう。

 彼らにとって、昭和というと、

「教科書に出てきた、歴史上の時代」

 という感覚で、江戸時代や明治時代と変わらない、歴史の一ページとしてしか感じていないことだろう。

 それを思うと、出来上がった駅前が閑散としていようと気にすることもない。

 最低限の店もできるだろうが、その店も、果たして考えているほどの売り上げがあるのだろうか?

 今の若い連中は、

「ないならないで、何とかできる」

 と思っている。

 むしろ今の連中の取り柄は、そこしかないのではないか?

 と思えるのだ。

 この発想は、

「楽して、欲しいものを手に入れる」

 という感覚とも違っている。

 この感覚は、もう一つ上の世代の人の考えることではないだろうか?

 もう一つ上の世代が出てきた時でも、

「世の末だ」

 というくらいに考えていたのに、今の子はさらにそれの上を言っている。

 きっと、

「世の末」

 だと感じた連中から見ても、

「あいつらが何を考えているか分からない」

 と言えるだろう。

 ロボット開発がなかなかうまく行かない中、人間がロボット化していると言ってもいいのではないだろうか?

「今の若い連中は何を考えているか分からない」

 と、世代が変わるごとに、ずっと言われてきたことだが、最近では、その言葉が通じなくなってきたのだ。

 というのも、

「今の若い連中は、何も考えていない」

 と言えるからだった。

 つまり、ロボットのように、命令されたことだけやって、感情があるのかどうかも見た目では分からない。これこそ、

「時代が生んだ、寵児だ」

 と言えるのではないだろうか?

 今の時代は、個人情報保護であったり、コンプライアンスや、男女雇用均等だったりと、制限があまりにも強すぎる。

「個人を守るため」

 ということであるのだが、だからと言って、ここまで締め付けられると、正直、息ができないくらいになるのではないだろうか。

 顔では無表情な人も、実際には、水に溺れて、必死でもがいているにも関わらず、それが表に出せないことで、誰にも分からないという気持ちになっている人だっているだろう。

 だが、まわりから制限を受ければ受けるほど、人間は自分の殻に閉じこもってしまう。

「まわりの人間に、自分の心を読まれたくない」

 という感情が働くのだった。

 そういえば、ここ数年前に流行った、

「世界的なパンデミック」

 によって、数年間、伝染病の恐怖に世界が、恐れおののき、かつてない暗黒の時代を過ごしていたのだが、当然のことながら、その時、皆マスクをしていた。

 マスクをしていることによって、自分が何を考えているのか、他人に悟られないという、暗黒の時代でも、人によっては、いや、全員と言ってもいいくらいに、マスクをするのを鬱陶しいと思いながらも、

「人に心を読まれない」

 という利点に感謝していたのではないだろうか?

 人がバタバタ死んでいったり、入院する病院がなかったり、救急車を呼んでもまったく来てくれなかったりという地獄のような時期を考えれば、不謹慎なことを言っているのだろうが、マスクに関しては、皆本音を隠していたのは、事実ではないだろうか。

 パンデミックの時代がもたらしたものも大きかったのではないだろうか?

 それまでは、平気でどこにでも出かけられたのに、パンデミックによって、最初は、

「緊急事態宣言」

 という一種の中途半端な制度があった。

「罰則のない戒厳令のようなものだった」

 といってもいいのだが、それは、憲法で、

「日本に有事は存在しない」

 という観点から、戒厳令を敷くことはできなかった。

 何しろ、戒厳司令官となるべく、軍隊が存在しないからだ。

 今の警察では、その権力はなく、さらに自衛隊も、

「市民の自由を縛る」

 なとという概念がないからだ。

 それでも、

「罰則のない都市封鎖」

 なる中途半端なことが行われ、日本人は堅実なので、罰則がなくとも守っていたが、実際には、かなり大変なものであった。

 その期間は、一か月未満だったが、街から人は消え、店も薬局と、スーパーやコンビニ以外の店は閉まっていた。インフラはそのままだったが、電車に乗れば、通勤ラッシュの時間でも、休日よりも人が少ないという状況だったのだ。

 さすがに、自由を縛ることができないので、

「外出禁止令」

 は敷くことはできなかったが、店も何もかもが開いていないのだから、外出しても、疲れるだけである。

 皆巣ごもりしていたのだ。何と言っても、伝染病が怖いというのが、根底にあるのだからである。

 そんなことを考えていると、

「本当にすごいよな。あの時期を乗り越えたんだから」

 と言えるのだが、被害がなかったわけではない。

 店はひと月の休業を余儀なくされ、政府からの補助金など、スズメの涙。ただ、一律に近かったことで、売り上げがほとんど普段からなかった店は、大助かりであった。

 不公平さが顕著だったが、仕方のないところもあったのだろう。

 だからと言って。破産して、店を畳まなければいけなくなった人はたまったものではない。

 従業員も、路頭に迷うことになったのだから、何を言っても不謹慎なのかも知れない。

 だが、若者の中には、そんな時期から、ずっとマスクをしているということに、抵抗あおろか、

「ありがたい」

 と思っている人の方が多かったに違いない。

 なぜなら、

「マスクをすることで、人に自分が何を考えているか悟られる心配はない」

 ということだからだ。

 昔であれば、

「目は口程に物を言う」

 などと言われて、目が見えれば、

「ある程度何を考えているか分かる」

 と言われたものだが、実際にマスクをしているとそんなことはないのだった。

 あくまでも、目を見れば、相手の気持ちが分かるというのは、

「顔全体が見えているからだ」

 と言えるのではないだろうか?

 というのも、口元も相手の気持ちを分かるのに大切な要素だ。

「口元が歪んでいると、怪しげな笑いであったり、歯を見せれば、何も考えず楽しんでいる、ある意味無防備な態度ではないか?」

 という風に感じるからだった。

 しかも、マスクをしていると、異性を見ても、せっかくの魅力が半減してしまうであろう。

「顔の一部しか見えなければ、まず誰かというのは、よく知っている人でも分からないものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 そういえば、風俗嬢のパネル写真でもそうではないか。口元を隠したり、目元を隠したりして映っている。

 風俗嬢が一番怖がっているのは、

「身バレ」

 というものである。

 昔と違い、最近では、風俗嬢になる人も変化しているようで、昔だったら、

「借金があり、風俗で働かないと返せない」

 という人がほとんどだっただろう。

 しかし、最近では少し変わってきている。

 中には、借金という人もいるだろうが、それも、

「ホストに嵌って」

 という女性も少なくはないと聞いていたが、それはさておき、最近では、気軽に風俗嬢になる人が多いのだろう。

 普通に就職する感覚で、風俗嬢を選んだ。あるいは、

「アイドルのように、ちやほやされて、自分が主役になりたい」

 と思っている人もいるだろう。

 または、

「ここでお金を稼いで、いずれは自分のお店を持ちたい」

 という野心を抱いている人もいることは知っている。

 実際に、夜や休日に風俗で働いていて、普段の昼間は、昼職をしているという人も結構いたり、普段は。

「女子大生をしています」

 という現役女子大生もいるくらいである。

 バイト感覚というと語弊があるかも知れないが、

「自分を売ることに抵抗がない」

 という感覚なのだろう。

 ただ、それは悪いことではないと思う。今の時代。貞操観念など、あってないようなものだと言えるのではないだろうか。

 それを思うと、あまり必要以上なことを考えないようにしようと思った。

 だから、昔のように、風俗にいく男性も、罪悪感のようなものを持つ人は少ないのではないだろうか?

 そういう意味で、今の風俗嬢の存在は、どこか地下アイドルのような感覚に似ているように思う。

 たぶん、彼女たちも、いずれは、メジャーにという感覚ではないかと思うと、男としても応援したくなる。今の風俗はそういう時代なのかも知れない。

 話が逸れてしまったが、マスクをすることで、相手の気持ちが分からないということになると、パンデミックが収まってきてから、

「マスクをする必要がない」

 と政府が言い出した時期に、もちろん、マスクをしないでもいいと言っても、完全に伝染病がなくなったわけではないので、条件付きではあるのだが。

 そんな時期であっても、マスクを完全に外すという人はそんなにいなかったような気がした。

 男は意外と簡単にマスクを外していたが。女の子は、マスクをしている人が多かった。

「女の子は用心深い性格だろうから、伝染病が怖くてマスクを外せないんだろうな」

 と言われていたが、実際にはそうではなかった。

 というのも、

「マスクをする勇気がない」

 という意見が多かったのだ。

 その勇気というのは、

「病気が怖い」

 ということではなく、

「人に自分が何を考えているのか分からないと思われていたのを、マスクを外したことで、相手は絶対にこちらの気持ちを探ろうとするはず」

 というものであった。

 さらに、

「私だって、無意識に相手を探ろうとするんだから、皆同じことよね?」

 という。

 そして、女性が魔数を外したがらない理由があった。

 本当はこちらの方がリアルで切実な問題なのではないかと思うのだったが、男は分かっているはずだが、分かっているのは無意識な部分で分かっているということであって、女性が何に怖がっているのか。最初は分からなかったはずだ。

 というのは、

「マスクをしている時は、誰が誰だか分からない」

 というのが、大きな特徴であったが、マスクを外すと、相手の個性が見えてくるようになり、パンデミックが起こるまでは普通だったのに、

「女性が可愛く見える」

 という発想が出てくることだった。

 しかも、マスクをしている時期、女性に対して、マスクをしている女性に、性欲は湧かないと言えばいいのか。実際に、人と接触することが危険だと言われている時代だったので、そういう意味では、

「事なきを得ていた」

 と言ってもいいだろう。

 つまりは、数年間というもの、行動制限がある中で、性欲なども制限できていたのが、マスクをしているからだったと言えるだろう。

 実際に性欲が湧いてこない。草食系男子がばかりになってしまったことで、風俗業も大変だったのは分かるのだ。

 もちろん、

「密着が一番怖い」

 と思っているところに、性欲が抑えられているのだから、

「何も店に行かなくても」

 と考えるのだ。

 だが、規制が緩和されてきて、女の子がマスクを外し始めるとどうだろう?

「皆可愛いじゃないか?」

 ということで、男子の性欲がよみがえる、女性を見る目が、性欲でギラギラしてくるかも知れない。

 女性はそれを怖がっているのだ。

「マスクさえしていれば、マスクをしている女の子を性欲でギラギラした目で見ないだろう」

 ということであった。

「そんなギラギラした目で、性欲を発散させたいのなら、風俗に行けばいいのよ」

 と彼女たちは思うことだろう。

 しかし、彼女たちは、意外と風俗嬢だったりが多いかも知れない。普段から男を見て仕事をしているので、このあたりのことは直感するのだろう。ただ、彼女たちは、店の外と店とではまったく違っているのではないだろうか。普段はマスクをして自分を隠しているが、客として来てくれれば、癒しを与えよう」

 と、普段は怖いとしか思っていない男性と、店の中では手なずけるくらいの状況にあることくらいは、簡単なのかも知れない。

 男にはそこまではできないだろうが、女性を見て、

「女の方がしたたかだ」

 と言っている人がいるとすれば、それだけ、自分を表に出すことができる反面、普段は怖がりなのかも知れないと感じるのだった。

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