第3話 祝福

 槍頭は弧を描き、 風を切った。 かと思われた。

 すれすれで回避したつもりの俺の頬に鮮血が滲む。


「ちょ、 ちょっとタンマ!」

 慌てて俺は両手を突き出す。 戦う気はないという意思表示だが、 ウルはそれに目もくれず槍を振り回し、 連続で攻撃を繰り出す。


 擦りはしたものの、 致命的な傷は一つもついていない。

 以前よりも身体が軽い。 何とか回避できている。


祝福ギフトで魔力を得て、 動体視力と身体能力も向上する。 外から来た人間ってのは狡いよな」


 祝福ギフト。 あの高熱のことか。 あれもあれでキツいんだぞ。 全然覚えてないけど。


 振り回す。 突き刺す。 その一つ一つの動作に殺意は全く感じなかったが、 まともに喰らえば致命傷だ。 死に物狂いで全て回避する。


「とりあえずさ、 魔力見せろ言われてもやり方分かんねぇよ! せめてコツだけでも教えてくれ!」

「ん、 確かに。 それもそうだな」


 ウルが攻撃の手を止め、 それと同時に、 握っていた槍が先端から霧散する。 槍が完全に消えてしまった所で、 懐からあるものを取り出した。


「?」


 煙草だった。 この世界にもあるのか。

 人差し指にふっと息を吹く。 指先に火が灯され、 そのまま咥えた煙草に火を移す。 一服。

 手をヒラヒラと振ると火は消えた。 熱くないのだろうか。


「アリス。 まずは目を瞑れ。 で、 体内にある魔力を想像する。 炎でも氷でも何でも、 どんな形でも良い」


 俺は言う通りに目を瞑り、 氷をイメージした。 炎でも良かったのだが、 火傷でもしたら大変だ。 凍傷? そんなのは知らん。 段々と鼓動が速くなるのが分かる。


「次に手を開く。 海に向けてだ」


 ウルは俺の後ろで美味そうに煙草を吸っている。

 右手を海に向ける。 指の隙間からは青白い光が漏れている。


「光が見えているだろ? それを放出するイメージだ」

「放出……ふんっ」


 次の瞬間、 硬かった蛇口が開いた。

 ぶわっと風が吹き、 どこからともなく発生した衝撃に吹き飛ばされた。

 1メートルくらいだろうか。 宙を舞った俺は背面から砂に埋まる。 じゃりじゃりと口の中が気持ち悪い。


「……なんだこれ」


 目の前の光景に驚いている俺とは反対に、 ウルは落ち着いて海の方を見ている。


「これは予想以上……。 いや、 やりすぎだな」


 見える範囲の海―――が凍りついている。 その表面には、 氷柱が剣山のように無数に生えていた。

 煙草の火を足で踏み消し、 ウルが近づいてきた。


「ちなみにだが、 こんなことも出来るぞ」


 光る右手で凍った水面に手をかざす。

 すると、 無数の植物がにょきにょきと蔦を育て――――。


 辺り一面は花の世界に遷り変った。 白、 赤、 青、 黄。

 その素晴らしい景色を、 俺は忘れることは無いだろう。


「言い忘れていたが」

「?」

「これは魔力ではない。 魔法だ。 魔術とも言うが」


 それは分かる。 魔力を使って魔法・魔術を発動。 そんなもんだろ。


「……ここまでだ。 帰るぞ」


 一通り、 魔術についての知識を叩き込まれた後、 俺たちは海を後にした。


「明日になれば海も元に戻るだろう」


 希望とも取れる言葉を、 ウルは紫煙と共に吐き出す。


「そうなのか?」

「知らん」

「……」


 真っ暗な林の中を、 紅月の光だけを頼りに俺たちは足を進めた。



――――――――――




 目が覚めた俺はきょろきょろと見渡し、 理解した。

 ドアを開け、 数歩先に見えた階段を降りる。


「アリス、 起きたか」

「アリス君、 おはようございます」


 ここはウルと……ミスティの家。 どういうご関係なのか聞きたかったが、 野暮なので辞めた。

 深夜何か聞こえていたが、 あれはおそらく野鳥なのだろう。


 おはよう、 と二人に返事をし、 洗面台へと向かう。 洗面台の前で俺は両掌に水を浮かべる。 ばしゃばしゃと勢い良く顔を洗い、 鏡の中の自分と目が合う。

 頬の傷跡は無くなっていた。


「昨日お兄ちゃんが治癒ヒールかけてたからね」


 洗濯カゴを抱えた彼女が俺の後ろを通り過ぎる。

 魔法……分かってはいた事だが、 なんて便利なんだ。


「で、 今からの事だが」


 優に三人は座れるだろう、 大きな黒いソファからウルの声が聞こえた。


「まずはギルドに行き身分証を作る」


 ソファの後ろから見えるウルの声をした煙草の煙が言う。  寝煙草はやめよう。


「その次はテレサに買い物に行く。 服くらいは買ってやる。 ミスティに見繕ってもらえ」

「やったぁ! あそこに売ってるパルフェが食べたかったんだ!」


 洗濯物を干し終えたミスティが外から勢い良く顔を出した。 青い目をキラキラと輝かせている。 まるでデートにでも誘われたようだった。

 ミスティ越しに見える空が赤い。 この世界は海も空も赤いのか。 窓から身を乗り出し、 ミスティは続ける。


「テレサってことは、 ジークがいるんじゃない?」

「……いるだろうな」

「アリス君も来たことだし、 これでサーガ復活だね」

「まぁそろそろ動かんとだしな」

「だね! お昼になったら出発しよう」


 じゃあ、 とウルはソファから起き上がり、 金色に輝く髪を掻き上げた。


「昼まで俺と稽古だ。 行くぞアリス」

「まじか……」


 裏庭へと向かうウルの後を、 俺は渋々着いて行った。

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