第2話 真実

「ここは……?」


 床に手を付き、立ち上がる。 粘度のある液体が掌にベチョリと付着したが、 そんな事は気にしない。

 掌どころか、 全身が液体塗れになっているのだから。

 まるで、 血液を頭から被ったように――――。


 その瞬間、 酷い頭痛がドクドクと脈打ち、 同時に眩暈が襲いかかった。 全身の力が抜け、 うつ伏せに倒れ込む。 腕に力を入れ再度立ち上がろうとするが、 腕はぷるぷると震えるだけでそれ以上の力は入らなかった。


 俺は力を振り絞り顔を上げると、 灰色の布を纏った人々が全員、 両手を合わせていた。 まるで神に祈るように。 手は人間のそれではなかった。 手入れされていないだろう長く伸びた爪、 太い指……緑色の肌。


 獣の唸り声が木霊する。


 胃の中が込み上げ、 俺は嘔吐した。 俺から出された吐瀉物が、 俺の顔を汚していく。

 這いつくばったまま顔を上げると、 目の前のそれと目が合った。


 それは、 鰐を何十倍も醜くしたような、 化け物と言えば誰にでも伝わるような恐ろしい顔をしていた。 爬虫類のような目、 耳まで裂けている口。 唾液は止まることを知らず、 垂れ落ちている。

 

 そこで俺はまた意識を失った。




――――――――――




 目が覚める。 どうやらここはベッドの中のようだ。 金持ちの寝室にある高級ベッドをイメージして貰えると理解出来るだろう。 それだ。

 ベッドから降りる。 すぐ近くにあった全身鏡、その中の俺と目が合う。

 白いシャツに灰色のズボン。 誰かが着替えさせてくれたのだろう。 ズボン呼び派とパンツ呼び派がいるが、 俺はズボン派だ。 パンツは下着だろ。


 そんな独り言を脳内で遊ばせている間に理解した。 さっきのは夢だったんだな。 で、 これも夢だ。

 再度俺はベッドに向かい、 二度寝を決め込もうとシーツに潜る。 良い香り、 安心して眠れそうだ。


――――コン、 コン


 ドアを小突く音が鳴った。

 突然の来訪者に驚き、 身構える。 先程の夢が脳裏にこびり付いている。


 俺は少し間を置き、


「どうぞ」


 シーツを剥ぎ、 ベッドに腰掛けた。


「……失礼します」


 ドアを開け、 現れたのは金髪の女性。 年齢は20代に見える。 赤を基調にした、 俗に言うシスターの格好をしていた。

 誰かがそういうサービスを頼んでくれたのかと期待したが、 そうではないようだ。 彼女はとても怯えていた。


「まずは……。 まずは、 謝罪をさせて下さい」


 そういうと彼女は腰を降ろし、 両手を突き出し、 ひれ伏した。 掌は上に向けている。 謝罪という言葉からその体勢は、 土下座に近いものなのだろう。


 俺は突然の行為に理解ができず固まっている。


「貴方様を、 貴方様をこの世界に召喚したのは私です。 大変申し訳ございませんでした」


 彼女は頭を上げようとしない。 身体は小刻みに震えている。


「……」


 流れる沈黙に、 耐え兼ねた彼女は続ける。


「直ぐにはできませんが元の世界にお送りすることは可能です! ですがその前に! 元の世界に帰られる前に! ……神を殺して欲しいのです」


 何だ何だ。 まるで訳が分からんぞ。


「とりあえず顔を上げて。 立って下さい」


 彼女はゆっくりと顔を上げ、立ち上がった。

 整った顔立ち、 化粧など必要ないような白い肌。 エメラルドグリーンの瞳が潤んでいた。




――――――――――




 先程のシスター、 ミスティと名乗った彼女に説明された事を要約する。


 三年後、神が世界を滅ぼす。 だから神を殺してくれ。 俺が召喚に選ばれた理由は本当に偶然。

 元の世界に戻る方法だが、 今回の召喚に殆どの魔力を使用してしまった。 五年くらいで魔力は完全に回復するので、 そしたら送ってあげる。

 ……結局神様殺さんと帰れないじゃん。


 俺はこの世界にやって来てすぐ、高熱で三日程度寝込んでいたらしい。 あの化け物はやっぱり夢だったか。

 言葉が理解できるのはその高熱のお陰、 召喚された時にこの世界の言語情報が一気に流れ込んだからだと。


 どうやらこれは夢ではないらしい。 頬をつねれば痛かったし、 何より美味い。

 何が美味いって、 肉だ。

 

 俺は今、 宴に参加している。 召喚が成功したことを祝う宴だそうだ。 主役はミスティとこの俺、 アリス。

 勿論アリスは偽名、 苗字から取った名前だ。

 宴の式辞にて名前を伝えた際、 ミスティや村人たちが一瞬硬直した気がしたが……気のせいだったようだ。

 不思議の国に人が訪れたらそれはアリスだ。 そうだろ?


 今は夜。 時間は分からないが、 赤く染まったまん丸の月がこちらを見つめている。 無数の松明の炎が照らし、 安心感が闇から守ってくれている。


 空になった目の前の皿に、 こんがりと焼かれた肉が追加される。 つい先程まで焼かれていたその肉は、 まだじゅうじゅうと鳴いている。


「なぁミスティ、 これって何の肉なんだ?」

「魔物、 ヒュームの肉です。 美味しいでしょ? 生だとちょっと匂いが凄くて、とてもじゃないけど食べられませんけど」


 魔物ヒューム。 夢で見たアイツを想像してしまい、 一瞬だけ肉を不味く感じてしまった。

 ミスティと話をしていると、 二人の男が近づいてきた。


「あ、 村長」

「ミスティ、 此度は良くやってくれた。 アリス様、 ご決断感謝致します」


 ミスティから村長と呼ばれたその男は、 謝意を述べると深く頭を下げた。 もう一人の男も合わせて頭を下げる。


「いえ、 ご丁寧にありがとうございます」


ご決断。 神を殺す。

決断も何も、 それしかすることないし……。


「こちらはウルと言います。 この村では一番の実力を持つ神官です。 分からないことだらけでしょうから、 今回の旅にお供させて下さい」


 神官に神を殺す話を……おそらく仕えているのは違う神なのだろう。 問題ないか。


 よろしくお願いします、 とウルと呼ばれた男は再度深く頭を下げる。 金色の髪がぶらんと垂れる。

 ミスティは潤ませた目でじっと見ている。

 ウルを。 潤ませた目で。


「それで、 アリス様に明日以降のお話をしたいと思うのですが。 村長、 よろしいでしょうか」

「そうだな、 では私はここで。 アリス様、 どうぞ最後までお楽しみ下さい」


 俺たちに背を向け、 村長は歩き出した。 段々とその姿は小さく、 見えなくなっていった。

 村長の姿が完全に見えなくなったのを確認した後、 ウルは直ぐに口を開いた。


「アリス、 着いてこい」


 ウルはこちらの反応も待たずに歩き出した。

 急に呼び捨て。 何だこいつ。

 ミスティを見る。 いってらっしゃい、 と手をひらひらさせている。 あの時の震えはどこに行った。

 言いたいことはいくつもあったが、 黙って後を着いていく。





―――――――――




「ここだ」


 ウルが立ち止まる。

 海に着いた。 元いた世界とは違って赤い海だ。


「アリス」


 何ですか、 と返事。

 ウルはこちらの方を向き、 自身の右掌を見つめている。


「お前、 ここに来て熱は出たか?」

「それで三日くらい寝てたって、 ミスティが」

「なら安心だ」

「?」

「死ぬことはないだろう。 まぁ大丈夫だろ」


 一体何の話をしているのだ。


「この世界に来て高熱が出ると、この世界の言葉が理解出来るようになる。 それは知っているな?」


 知ってる。 現に体験してるし。

 ってかそれ、 右手光ってない?


「だがそれだけじゃない。 高熱が出ることによって他にも変化は起きるが……とりあえず一つ教えておく」


 ウルは右手を伸ばし、 掌を天に向ける。 掌上には光の玉が浮いている。 周りには光の粒が飛び交い、 まるで命を吸い取っているのだと言わんばかりに吸収している。


「その身体には魔力が宿る」


 握っている。 拳では無い。

 その手には一本の槍が――――――


「行くぞ。 お前の魔力を見せてみろ」


 鋭く尖った槍頭は俺に向けられている。

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