異世界崩壊~三年後、 世界は消えてなくなる~

天慈

第1話 それは思い出から始まる

 小学一年生の頃の話だ。

 母は幼い俺一人を食わせるために朝から深夜まで働き詰めだった。 深夜零時を回る頃、 俺は玄関の前に立ち、 仕事から帰って来た母を出迎え、少しの疲労も感じさせない笑顔で抱きしめられる。 艶のある黒色の髪がふわりと揺れる。


 二人で遅めの夕飯の廃棄弁当をつつく。

 テレビも無い六畳の部屋で、 完成された空間がそこには存在していた。


 母はいつも俺を力強く抱きしめて眠る。

 黒色の長い髪が俺の顔にかかり、小刻みに揺れている。

 母の温もりを感じながらゆっくりと目を瞑った。




――――――――――




 ある日曜日。 母と遊園地に行った。

 観覧車、 コーヒーカップ、 ジェットコースター、 俺はその中でもメリーゴーラウンドがお気に入りだった。


 アヒル型、 てんとう虫型、 様々なボートが設置されている大きな池の前を通り、 俺たちはメリーゴーラウンドに到着した。


 その中で俺は年季の入った馬を選ぶ。 鼻の塗装は剥げ、 ハンドルは錆び付いている。 母は柵の外で手を振っている。


 二、三周した所で機械は止まったが、 物足りなかった俺はもう一度乗りたいとせがむ。

 仕方ないなぁ、と母。 再度馬に乗る俺。


 音楽が流れると共に馬の機械が徐々に動き出した。

 視界が回る。 上下に回る。 母の姿を探すが見当たらない。

 曲が終わるタイミングに合わせ、機械もゆっくりと止まっていく。


「お母さん!」


 機械が完全に止まる前に馬から降り、 慌てて柵の外へ出る。 周囲を見渡すが、母の姿はなかった。


「お母さん! お母さん!」


 園内を駆け回り母の姿を探す。

 身体の成長に合わせて変化のできないその靴が俺の足首に噛み付いている。 踏み込む度に軽い痛みが襲い、 傷口を広げる。 白みのかかった肌色を、 赤がじんわりと染めていく。


 大きな池の周りには人だかり。

 アヒルやてんとう虫は一台も泳いでいないのにもかかわらず、 大勢の人間がスマホを向けている。


 背中に冷や汗が流れた。

 自分の倍近くあるだろう雑踏を、段々と早くなる鼓動に合わせてすり抜ける。

 好奇心の群れを抜け、 転落防止の柵にしがみつき、 注目を集めているそれはどれだと探す。


 母は見つかった。池の中央で。

 広がる波紋に合わせるように、 黒色の髪がゆらゆらと揺れていた。




――――――――――




 じっとりと滲むような汗、首筋にピタリとくっ付くシャツの襟が煩わしい季節だ。

 毎年言われる最高気温の更新、 なんちゃら現象が――、 地球温暖化が――、 とテレビの中の司会者は異常性を訴えていたが、 周りの人間は話に入る訳でも無く、 ただただ頷いていた。

 外では蝉がこの世の終わりかというくらいに絶叫している。




 ここは、よもぎ塾。 以前高校教師をしていた者が突如教師を辞め去年に開校。 教師は1人、生徒は7人。 30歳にもなっていないだろうイケメン教員が話題の、 個人経営の小さな塾だ。

 1コマ45分、 休憩15分。 中途半端にクーラーが効いており、 生温い空気が不快指数を更に上昇させる。


 俺は1番後ろの席で、 将来何の役にも立たないだろう暗号とも取れる数字の塊をノートに書いていた。


 ……来年に行われる大学入試のために。


 所謂「受験生」というやつだ。 毎日毎日、 黒板に写された文字をそのまま延々とノートに書き綴っている。

 内容を理解している訳もなく、 ただその通りに写しているだけだ。


 教員は黒板に文字を書き殴り、 額に汗を垂らしながら必死に生徒たちに知識を伝えている。

 真面目に話を聞いている生徒は1人もいない。

 携帯電話と睨めっこ――、 机に上体を預けて突っ伏し――、 鏡に映る自分を良く見せようと顔に落書きを――。


 俺は左腕を少し前に伸ばし、 顔は黒板を向いたまま、 祖父の形見である腕時計を視界に入れる。

 30年以上も前からこの世に存在しているこの時計は、 今でも誤差を起こすことなく正確に現在の時間を示している。


 19時25分。 今日の授業ももうすぐ終わる。

 時間が進むにつれ、 生徒たちの落ち着きが無くなっていく。 既にノートや参考書を片付けている生徒もいるが。


「今日はここまで。 お疲れ様でした」


 19時30分。 教員は頬をハンカチで拭い、 フラフラと教室から出ていった。

 待ってましたと言わんばかりに、 既に片付けの終えていた生徒が出ていく。 さっきまで寝ていたはずの生徒の姿もいつの間にか消えていた。


(そろそろ俺も帰るか)


 新品同様の参考書やプリント、 それらを鞄にしまい込み教室を出る。 外は薄暗く、 生温い風が妙に心地良かった。




――――――――




 駅へ向かう途中、 しゃがみ込んで泣いている少女を見つけた。 赤いワンピース。 腰までありそうな長い黒髪に目を奪われる。

 通行人たちはまるで、 そこには何も居ないかのように、 そ知らぬ顔で少女の前を素通りしている。


 俺は少女に近づき声を掛けたが反応はない。

 困った。 こういう時はどうすれば良いのか。 腕を組み、 周囲を見渡す。 通行人には俺の姿も見えていないようだ。


 ポケットからスマホを取り出し110番を押すと、 反応は直ぐにあった。


「アッペド ユベ○! △✕、 ボ☆ルン□!」

「!?」


 受話口からは、 意味不明な言葉がまだ聞こえている。

 先程打った電話番号を確認する……が、 画面には意味不明な文字列が表示されている。


「なんじゃこりゃ」


 その瞬間――――少女は立ち上がり、 俺を指差す。


「みつけた」

「?」


 後ろを振り向き、 周囲を見渡し、 そこで違和感。

 今までいた通行人たちはどこへ行った?

 少女は天を指差す。 それにつられて俺も空を見上げる。 空が赤黒く渦巻いている。 黒い雨がポタポタと落ちてきた。 直ぐにそれは豪雨となり、 俺の視界を黒く、狭くしていく。


「何だよこれ! どうなってんだ!!」

「―――! ――――――――――!」


 少女は涙を流し、 何かを伝えようとしている。


「――――! ―――――――――――!!」

「何だって!? 聞こえねぇって!!」


 全てが黒に染まったその瞬間、 俺の意識は途切れた。

 少女が雨の中何を訴えていたかは分からなかったが、 最後の瞬間、 辛うじて聞き取れた言葉だけは覚えている。


「私を見つけて」

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