第三十二話: 空を斬り裂く音四つ

 ふわふわ、ぷかぷか、中層エリアに並ぶ建物の屋上を越え、それらの壁とほぼ一体化している切り立った崖より飛び出さんとする大きな風船……のような何かが見える。


 その風船の下部に掴まり、ぶら下がっているのは確かにファルーラだった。


『まるでアドバルーンだな』


「それ、初めて見たときにも言ってたよね」

「ありゃあアドブルブルだな! なんだって町ん中に……てか、耳長ちゃん、何やってんだか」

「ファルが従えてる風の精霊獣・フーセンの鳥さんだよ。それよりも見て! 追われてる!」


 よく見れば、彼女に続いて屋上へ現れるいくつかの人影も確認できた。

 身のこなしと風体ふうていを見る限りでは大した手練てだれではなさそうだ。ごろつきのたぐいだろうか。

 しかし、手に手に物騒な得物えもの――ロープや棍棒、ナイフまで――を携えているのが分かる。


 どう好意的に見ても、ファルーラを助けようとしている善意のだとは思えない。


 僕と斥候せっこうは、既に全速力で駆け出している……が。


「チッ、遠すぎるぜえ」


 僕らの現在地からファルーラと悪漢どもがいる辺りまで、水平方向におよそ百メートル近く、加えて垂直方向では岩壁の上方へ十メートル以上もの高低差があった。

 真下まで数十秒もあれば辿り着ける距離とは言え、空中高く浮かぶファルーラを狙い、早くもナイフやロープを投げつけ始めた奴らを止めるには、まだ彼我ひがの距離が離れすぎている。


『いかん。あいつらに捕まるだけならまだマシな方で、あのままだと墜落させられてしまうぞ。おい、念のため、【風浪の帆ホバーセイル】で飛ん――』


 と、そのときだ。


――ひゅっ!


 鋭く空気を斬り裂く音と共に、何かが僕らの脇を瞬時に追い抜いていった。

 かと思えば、数十メートル先の高所にいる悪漢が一人、弾かれたように後ろへ吹き飛ぶ。


――ひゅうっ! ……ひゅん!


 続けて同様の音が一つ、二つ、数秒間隔で鳴ると、やはり同様に二人の悪漢が吹っ飛んだ。

 突然の攻撃に悪漢どもが驚き戸惑っている隙、ようやく僕と斥候せっこうは現場の真下まで辿り着く。


風の精霊に我は請うデザイアエアー、全力で跳ね上げろ」

「うっひょおおおっ!?」


 風の精霊術【高飛びハイジャンプ】によって一気に十数メートルの高みへと跳び、崖の上――中層エリアに立ち並ぶ建物の屋根を見下ろせば、目を見開いている悪漢あっかんどもと真っ正面から目が合った。


雷の精霊に我は請うデザイアサンダーはしれ、紫電しでん!」


 振りかざした愛用マイスコップの先端よりほとばしりし一条の電光【雷の矢ライトニングボルト】が悪漢二人を貫くと同時、斥候せっこうが放った投げ矢ダーツが三本、別の三人へと突き刺さり、速効性のしびれ毒をもって無力化を果たす。


「ファル! 大丈夫!?」


 屋根の上に着地した僕は、敵の全滅を確認しつつ、横手の宙に浮かんだ幼女へ声を掛ける。


「しろぼっちゃ~ん……手ぇ、つかれちゃった……」

「ちょっ! もうちょっと頑張って! 風の精霊にデザイアエ――」

「むりー」


 瞬間、ファルーラは掴まっていた風船から手を放し、真っ逆さまに落下してしまう。

 彼女がぷかぷかと浮かんでいた位置は、この中層エリアの建物が立ち並ぶ崖の先、その足下あしもとに地面などなく、二十メートル以上もの虚空によって下層エリアと隔てられていた。


『ダメだ! 【風浪の帆ホバーセイル】では今から飛んでも間に合わない!』


「――我は請うアー、ゆっくり落とせ!」


 請願せいがんしかけていた精霊術を咄嗟とっさの判断で【制動気流スローフォール】へと切り替えれば、落ちていった幼躯ようくが増大した空気抵抗を受け、ふわりヽヽヽわずかに浮き上がったかのように思えた。


 だが、まだ少しばかり減速は足りていない。

 たとえ墜落死を免れようと、着地に失敗すれば大怪我おおけが……そんな高度と速度だ。


――ひゅうっ! バスン!


 四度よたび、鳴り響いた裂空の音! そこから間髪容かんはついれず激しい打撃音が轟く。


「ふわぁあああ!?」


 慌てて屋根の端から下方をのぞいた僕たちが目にしたのは、下層エリアの建物の壁にぶらーんヽヽヽヽと宙吊りになっているファルーラだった。

 彼女が身にまとう長い表装布トーガの先端が、一本の矢によって壁面へと縫い付けられている。


「あっぶねえな。最悪、こうなると思ったぜ。チッ、ショーゴの奴がまずファルを捕まえとけよ」


 そして、遙か下の路地、モントリーの背中に立ち、長大な弓ロングボウを手にした青年の姿がある。

 伸ばした黒髪で顔の半面を覆い、更に頭からフードを被っている黒い肌の彼は……。


「ジックにいた~、ありがと~」

「んっ、ファル、無事か? 受け止めてやるから降りてこいよ」


 あれは、騎乗と弓射に優れた強力な職能ジョブ・猟兵を持つ、我がエルキル領随一の弓取りだ。

 その強弓ごうきゅうから放たれた丈夫な矢は、幼女の体重くらいでは折れるどころかしなヽヽヽってさえいない。

 ファルーラのことはイーソーと彼――村の若者ユゼクに任せておけばいいだろう。


 僕と斥候せっこうは胸を撫で下ろしつつ、弓矢に射貫かれた二人を含む総勢七人の悪漢あっかんを拘束し、町の衛兵たちが到着するのを待つことにするのだった。


************************************************

※フーセンの鳥さん = アドブルブル。

 ブルブル(bulbul)とはヒヨドリを意味し、風船のように大きく膨らむ鳥型モンスターです。

 詳しくは下記の近況ノートにて。

https://kakuyomu.jp/users/proetos/news/16818093091167086757

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