第十話: 涼を取るのは楽じゃない

火の精霊と風の精デザイアファイア霊に我は請うアンドエアー、熱よ、空気よ、ここにとどまれ。まにまにたゆたうことなく」


 涼風と冷房をイメージした【環境維持エアコン】の請願せいがんに従い、火の精霊がしぶしぶ室温を下げ始め、風の精霊は嬉々ききとして微風そよかぜを吹かせ始める。

 空気が乾いているため、さほど不快には感じなかったものの、よどんだ木材のにおいや草いきれがひんやりとした風によって散らされれば、広々とした空間は爽やかな匂いで満たされていく。


『ああ、いい風だ。生き返る』


 前世の雪山サバイバルにおいて僕らの生命線となっていた精霊術【環境維持エアコン】は、この熱帯の環境下でも依然として活躍してくれている。

 流石さすが生命いのちの危険まではないにせよ、同様に悩みの種となっている厳しい気候――大気状態と気温に対する備えがどれほど重要かなど、今更くどくどと説明するまでもないだろう。


 しかも、我がエルキル家は白人種であり、日中の強烈な陽射ひざしは弱点と言っても過言ではない。

 屋外を避け、閉めきった屋内で活動するなら【環境維持(部屋用)ルームエアコン】の有り難さも一入ひとしおだ。


「村のみんなと同じように、暑い盛りは外の日陰で昼寝シエスタでもしていれば良いんだろうけどねえ」


『この家の人たちは職中毒ワーカホリックがありそうだ。封建領主の一族でやることが山ほどあるにせよ、こんな陽気の中、揃って家に閉じこもっていなくてもよかろうに』


 現在、父マティオロと母トゥーニヤ、それと領の内政に携わる従士たちは執務室で仕事中だ。


 ここ一階エントランスホールは面積の広さに加え、二階の天井まで吹き抜けとなっている。

 それだけの空間に対して【環境維持エアコン】を掛けたことで、今まで執務室に掛けていた方は効果が切れてしまったかも知れないが、あっちはぼちぼち仕事納しごとおさめだと聞いているので問題なかろう。


「む、早いな、シェガロ。冷房を掛けてくれていたか」

「まあ、涼しい」


 僕の予想通り、執務を終えたらしきマティオロ氏と母トゥーニヤがほどなく階段を降りてきた。

 先導するように供をしているのは従士長のノブロゴだ。

 一緒に仕事をしていたはずの他の従士たちの姿はなく、どうやら三人だけで来たらしい。


 と、同時に、別方向――奥のキッチンからカラカラ音を立てながら進んでくる物もあった。

 見れば、家政婦メイドのメーナバが押す配膳車キッチンカートである。お仕着せ姿のファルーラもその後ろに見える。


 リビングへ移り、ゆったりとした長椅子に収まる父母の後を追い、僕も並びの木椅子に着く。


 熟練家政婦メイドの手により、手際よく見る見るうちにテーブルの上が調ととのえられ、数種の小さなパン、燻製肉や焼いたチーズ、ビスケット、ドライフルーツやナッツ……といった軽食が並ぶ。

 各人の前に冷たいお茶が差し出されれば、始まるのは午後のティータイムである。


 給仕に付くノブロゴとメーナバ……はともかくとして、手持ち無沙汰にちょこんと立ったまま無言で恨めしげな視線のみを向けてくるファルーラ@メイド修行中からはつとめて目をらす。


 駆けつけ一杯ではないが、最初の一口でだった体内が冷却され、思わずほぅと息がれた。

 適度に冷房が効いてきたリビング、やっと人心地ひとごこち付けたようでしばしの静寂が訪れる。

 しかし、そこに突如としてバタバタバタという騒音が響き渡った。


「あっづううう! なんなの、もう! この暑さ!! クーラー! 早く冷房クーラーを!」

「「ぷーくすくす、クリスねえさまったら、はしたなーい」」

「ちょっと! うっさいですわよ、双子たち!」

「「つつーん」」


 大騒ぎしながら転げ落ちるような勢いで階段を駆け下りてきたのは姉クリスタだった。

 まだ姿は見えないもののユミラーカとエミルーカ――妹双子も一緒のようだ。


「やんなっちゃいますわっ! 最後の最後で効果が切れるんですもの! ……わあ、涼しっ!」

「「きゃはっ、もうクーラーきいてるぅ」」


 涼しいホールに入って落ち着きを取り戻したクリスタは、僕の隣へやって来て椅子に腰掛け、流れるように自然な動作で目の前に置いておいたお茶のカップを奪う。

 妹たちは母トゥーニヤと同じ長椅子の端へ収まった。


「あらあら、まあまあ、クリスちゃん。先ほどの癇癪かんしゃく挙措きょそはメッ!ですわよ」

「はうっ、ごめんなさい、ママ……じゃなくてお母様」

「うふふ、暑さの中でこそ清涼せいりょうたたずまいを、ね」

「クリスタ姉さんは近頃ずっと魔法術で楽してるから、暑さに弱くなってるんじゃないかな」

「「ひとりだけなにさまのつもりかしらー」」

「しょうがないでしょ。あれは自分専用なんですもの。使わないのも勿体もったいないですし?」

「「ずるい、ずるい、クリスねえさま、ずるーい!」」


 そう、姉クリスタは魔術師であり、自分一人であれば魔法で暑さをしのぐことができるのだ。

 最近、魔法術【耐熱】を習得して以来、日中はほぼ使いっぱなしで過ごしている様子である。


「己の能力なのだから構わん……と言いたいところだが、暑さに弱くなってしまってはいかんな。クリスタ、なるべく魔法術には頼らず弟妹たちと同じように過ごせ」

「うえええ!? はぁい、ですわぁ……はむっ、もぐもぐ」


 豆のペーストを巻いた一口大クレープといった趣のパンをつまみながらクリスタはうなずいた。


『少しばかり、かわいそうに思えるけども、冷房に頼りすぎれば体調を崩してしまうのは事実。僕自身、【環境維持エアコン】を常用しないように気を付けている』


「……でも、まあ、しばらくこの暑さっていうのは参るよ、実際」


 小さくぼやき、手にしたティーカップ――先ほど姉に奪われたのとは別の物だ――を置いた後、ゴマをまぶして焼き上げたリング状のパンを一つ取り、サクっとかじれば。


「壊れちゃった【送風】の魔道具が直せたのなら良かったのですけれど、ね」


 野イチゴやイチジクなどの甘いドライフルーツと共によく冷えたハーブティーを口にしつつ、母トゥーニヤが僕の言葉を拾い、軽く溜息ためいきく。


「買うとしても、届くまで数ヶ月は掛かろう。明日からは昼間に仕事を入れぬようにせねばな」


 最後にマティオロ氏がそう話を締め、濃い塩味が付けられた干し肉ジャーキーにかじりついた。

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