第四十話: 毛玉と戦う幼児

――カリカリ、カリカリ……。


「あたま……さわって? あたま……」


――カリカリ、カリカリカリ……。


 夜、静まりかえった簡易岩屋ロッジの中にそんな小さな音が響き続けている。

 ダンジョン内の様子からすると、時刻は【森ノ二刻(二十二時頃)】くらいだろうか。

 昼間の疲れを癒やすため、当番の見張り役を除き、皆、既に眠りにかんとする時間帯だ。


「……って、うるせえ。寝れやしねえ(小声)」

「……もうっちまうか? 森からは相当離れてるしよ(小声)」

「何故、奴はどこまでも付いてくるのだ?(小声)」

「知らないよ! あれに聞いとくれ!(小さな怒鳴り声)」


 説明の必要は無いだろうが、騒音の正体はあの角無しウサギである。

 野営のために築いたかまくらヽヽヽヽ状の岩屋が外側からずっと引っ掻かれているのだ。


「なんとかせんとな……魔術師よ、奴を朝まで眠らせておけるか?」

「夜中ですしね。一匹だけなら目覚めにくいでしょ……いや、雨風ですぐ起きちまうかな」

「それなら、もう一戸いっこ、岩屋でも作りますけど? どうします? 仕舞しまっちゃいます?」


 早速、魔術師さんが魔法術【睡の雲オーキヒ・ピリビ】を詠唱えいしょうすれば、奴は抵抗できずぷぅぷぅヽヽヽヽと眠りに落ちた。

 仕上げとして地の精霊へ請願せいがんし、それを密閉するように小さな岩室いわむろ――ウサギ小屋を築く。

 こうして、深夜のダンジョンにやっと静寂しじまが取り戻されたのだった。


「思ったんだけど、いっそ、このままずっと閉じ込めておいたら良いんじゃない?」

「やめとけ、中で餓死でもされて俺らのせいと思われたらかなわんぜ」


 返す返すも面倒なモンスターである。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌朝、例によって早起きした僕は、一人、岩屋ロッジの外へと出ていく。


 と言っても、ここは何が起こるかも分からぬダンジョン内、当然、遊びに行くわけではない。

 見張り番にいていた神術師さんとノブさんに声を掛け、彼らの目の届く範囲からは離れず、軽く垂直上昇して朝一番の哨戒しょうかい、日課のストレッチ、五羽のモントリーの世話……というような雑務諸々もろもろをこなす。


 それら一通りをし終えると、少しばかり手空きの時間が訪れた。

 手遊てすさび感覚で目に付くゴミダマ――今朝は割りと少なめだ――を吹き飛ばしたりしていると、夕べ、仕舞しまい込んだあのウサギ……角無しナイコーンの妙に静かな様子が気になってきた。


「まだ寝てるのかな? のぞいてみても大丈夫だと思う?」

「ここまで来りゃ、大して危険はねえと思うが、気ぃつけろよ」

「はぁい、地の精霊に我は請うデザイアアース……」


 こんもりと盛り上がった岩室いわむろの天井を地の精霊術によって少しずつ崩していけば、やがて中にみっしりと詰まった体長七十センチほどもあるクリーム色の毛玉が見えてくる。


『どこがどのパーツなんだか、まるで分からないよな、この生き物』


 やはり、まだ眠っているらしく、ゆっくりと小さく身体からだが膨らんだり縮んだりしている。

 起こさないように観察していると、垂れた耳を発見、ようやく頭の位置が判明した。

 よく見れば、額の中央には長い毛の中に埋もれて数センチばかり折れた角の根元が残っている。

 鋭い部分は無く、分厚いメダルかボタンでも貼り付いているような感じだ。


 そのとき、パチリ!と音でもしそうな勢いで突然、角無しナイコーンの両目が開かれた。


「あたまさわって?」

「わあっ!?」


 間髪かんはつれず、後脚でダン!と地面を蹴り、岩室を崩しながらグイッと頭を突き出してくる。

 ちょうど角へ手を伸ばしかけていた僕は、かわせば良いものを、つい反射的に受け止めてしまう。


――グイグイ……グイグイ……グググイグイ……。


 この有無を言わせぬ圧は、かつて前世で感じたそれとまったく同じ。

 異世界のモンスターに地球のアンゴラウサギとの近縁関係などあろうはずもないが、ともあれ、僕は身の丈に迫るほどの巨獣にのし掛かられ、頭を撫でることを余儀なくされてしまった。


「何やってんだ、シェガロボン。あんま、そいつに構うなって。あぶねえんだからよ」

「好きでやってるんじゃないんだけどねえ」


 一応、噛みついたり、角の根元で攻撃したりする気配はなさそうだが……。


『凶器の角と狂化のたちさえ無ければ、単にでかくて力の強いアンゴラウサギでしかないようだな。ん? 待てよ? それだけで十分すぎるほどに厄介な生き物なんじゃないか? 実際、これは!』


「でかい! 重い! 暑苦しい! あと手が疲れた! もう離れてくれないかなあ!」


 起き出してきたみんなが揃って生温かい目を向けてくる中、ひたすらまとわりついてくる角無しナイコーンの頭を、小一時間もの間、ひたすら撫でさせられていた僕である。




 やがて、角無しナイコーンは満足したのか、潰れたかのように地面にうつ伏せ、ぐったり大人しくなった。

 その機を逃さず、再び【睡の雲オーキヒ・ピリビ】で眠らせると、僕らは手早くキャンプをたたんで出立した。


 いくら無害に見えようと、肉や毛皮といった生産物が魅力的であろうと、やはり連れ歩くには危険が大きすぎ、殺傷でさえけるべき面倒の種だということに変わりはない。

 このまま置いていくのが賢明だろう。

 少なくとも、迫り来る飢饉ききんの備えになどなりえないのだから。




 出発後、一刻(約二時間)ほどが過ぎても、奴が追いかけてくる姿は確認できなかった。

 ここまで来れば、もう完全にいたと見ても良いのではなかろうか。


 いつものように空中に浮かぶ僕は、ホッと胸を撫で下ろしつつ、行く手へと目を向ける。


 そこには次の目的地である大きな水場が広がっていた。

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