第二十九話: 恋人たちと鬼の王

 大迷宮の最奥部となる巨大なドーム状の地下空間に僕たちは足を踏み入れていく、が。


「……わふ」

「……にゃあ」


 何故か、ベアきちとヒヨスは後を付いてこようとせず、入り口の大扉手前で座り込んでしまう。

 二頭とも、どことなく申し訳なさそうな表情だ。


――そやつらは置いてくるがよかろう。本来は此処ここまで立ち入れぬはずなのだがな。よくもまぁ試練の魔獣をそこまで手懐てなずけたものよ。


「そう言えば、拠点の玄室にも入ろうとはしなかったっけな」

「なんだか懐かしいですね」

「仕方ない、お前たちはここで少し待っていろ」


 言い聞かせながら、ベア吉の黒い鼻面とヒヨスのくりくりとした耳を撫でてやる。

 しかし、お気に入りの撫で方をされても、なおチビどもは不安そうな声で小さく鳴く。


「ん? 大丈夫だ。別にお前たちを置いていったりはしないさ」

「ええ、すぐ戻ってきますからね」

「みゃ」

「わぅ」


 僕は二頭から手を放し、月子と二人、再び大扉を潜った。

 物資を積んだ荷車はチビどものそばに残し、地の精霊術による土人形ロボットを護衛として連れていく。


 土人形ロボット

 元はと言えば、こいつは大迷宮第五層で最初に僕らの前に立ちはだかった番人である。

 敵だったときには三体いたのだが、倒した後に残された大量の土を使い、月子が地の精霊術で一体の操り人形【土人形ロボット】としてよみがえらせたのだ。

 身長二・五メートル、ある程度は自律的に行動可能で、もちろん、月子のめいには最優先で従う。

 この第五層の戦いでは大いに活躍してくれた、新たなパーティーメンバーである。


 まぁ、チビどもと比べてしまえば、大分だいぶ頼りないものの、ここは致し方あるまい。


 閑話休題。


 僕と月子、そして土人形ロボットが空洞内へ入ると、背後の大扉が再びギギギィ!と音を響かせながら動き始めた。先ほどとは逆に、ゆっくりと大扉が閉じられていく。


 さて、既に分かっていたことだが、この空洞は非常に広い。

 天井の高さは二十メートルほど、左右の壁まではそれぞれ一〇〇メートル近くはあるだろうか。しかも、ドーム状の円形空間となっており、立方体のブロック単位で構成されていた大迷宮とは明らかに作りが異なっている。


 それだけではない。

 ケオニ族が暮らしていた玄室と回廊、そして地下の大迷宮、この場にいたるまで常に周りを取り囲んでいた不思議石材が、この空洞内にはまったく見当たらなかった。

 必然的に、内部はほぼ真っ暗であり、僕と月子がそれぞれ手にげている角灯ランタンの明かりだけが辺りを照らしだしている。もっとも、光と闇の精霊術【暗視ダークビジョン】によって、僕らの視界では闇が薄れ、地面や物体のすべてがうっすら光を放っているため、行動するのに大した支障はない。


 その空洞内、中央やや奥側の壁近くに人影がある。

 ケオニどころか、僕たちを基準にしても大分だいぶ小柄な姿だ。


――クックククッ。いかんせん、客を招くような場ではないのでな。いたずらに時と労を掛けさせたが、無事に我がもとへ辿り着いたこと、まずは褒めておくとしようかのう。


 地面から一段盛り上がった小さな円舞台の上であぐらを組んでいるのは、一人のケオニだった。

 戦士ケオニの荒々しさも弓ケオニの鋭さも感じさせない、いっそ穏やかとさえ言えるたたずまいの年老いたケオニが、たった一人、そこにいた。

 ただし、身なりを見れば、あの赤毛の女性ケオニ以上に整っており、明らかに族長……いや、王と呼ぶべき存在であることがうかがえる。

 空洞内に調度品のたぐいは一切なく、なまじ広々としているだけにがらんヽヽヽとした印象が強いものの、このケオニ王の周囲だけは異なる空気が流れているかのようだ。


「ああ、はい、お招きにあずかりましたよ。貴方あなたが上で聞いた声の主なら……ですが」


――ククッ、相違ないな、異世界転移者。そなたらのことはずっと見ておった。声の届く所まで何時いつになれば参るやらと大層歯痒はがゆかったわ。


「ずっと……?」


――おう、初めは神界より落ち来たりし時よのう。目だけは届くのでな。


 ……って、ホントに異世界に来た瞬間からか!?

 いや、そんなことはどうでも良いか。口ぶりからすると、ただ見ていることしかできなかったようだし、見られていたからどうだという話だ。


「なるほど、ではこちらの事情はご存じということで、早速、本題へと移らせていただきたい。僕らをここから解放してくださるという話でしたが?」


 目の前の王自身やケオニ族のこと、日本語として頭の中に直接響いてくるこの妙な音声のこと、玄室や迷宮のこと、この山地のこと、世界のこと……聞きたいことはいくらでも思いつく。が、それらはすべて単なる興味だ。最初に聞くべきことは下山方法以外にありはしない。

 かたわらで黙ったまま、僕に言葉を任せている月子の手を握りしめ、ケオニ王の返答を待つ。


――そう焦らずともわしは逃げたりせぬが、そなたらにとってみれば、閑談かんだんに興じるゆとりなし。鬼胎きたいいだくも無理からぬことであろうの。


「ええ、正直に言わせていただければ、もう一刻も早く山を下りたい気分ですよ。この環境は、人の身にはあまりにも厳しすぎる……」


――もあらん。の世に神が降臨せぬようになり幾年月いくとしつきか。魂のことわりも書き換えられて久しい。そなたらが此の地に囚われるなど、流石さすがの天界にとっても慮外りょがいの事象であったろうよ。よもや、グレイシュバーグがきつけられる者とはのう……クックックッ。


 あー、ご老人の話は要領を得なくて参るなぁ。何を言っているのか、さっぱり分からない。

 ここまで来たら、いくらでも待つつもりだけれども。


「あの、よろしいでしょうか?」


 って、月子? 何を言う気だ? やはり、若い女の子には居たたまれない空気だったか。


――なんだ、異世界の娘。


「念のためにうかがいたいのですけれど、もしも私たちがこの場を辞したとして、山々の麓……いえ、人の暮らす場所までは、一体、どれだけの時間があれば辿り着けるのでしょうか?」


 ふむ、確かに知っておきたいことだ。

 ここから妙な条件を突きつけられて交渉決裂……なんて流れもあり得るしな。

 なんだったら、ついでに下山ルートの詳しい情報を聞き出しておくのも良いかも知れない。


――ない。


「「え?」」


――そなたらだけでは、この地より逃れることはできぬよ。絶対にのう。


 そんなバカな!? どれだけ広大だと言っても山には違いないだろう。

 現に、遅遅としたペースとは言え、僕たちは着実に高度を下げてきたわけだし、雲の隙間から下界の景色が垣間見えることだってあった。

 手段を問わなければ、いくらでもやりようはある。下山が不可能だって? 信じられるものか!


「……ど、どういうことですか? 絶対と言いきる、その理由を説明してもらえませんか」


――この地は山であって山ではないのよ。もう一つの異界とでも称せば理解は及ぶか? 畢竟ひっきょう、定められたみちを辿らぬ限り、永遠に麓へなど達しはせん。空を飛ぼうが、穴を掘ろうがな。


「そう、だったのですね」

「まさか信じるのか、月子? こんな話を」

「はい、いくつかに落ちたこともあります。一向に近付かない書き割りのような遠景、狂った空間識……。私たちが実際に旅立てば分かることですし、たばかる理由はないように思えます」

「だが、それでは……」

「はい、私たちのる途は――」


――この地に骨をうずめるか、わしを信じて従うか、二つに一つとなるな。そなたらが構わぬなら、いつでも始められるが如何いかにぞ。今ならば帰去ききょするとしてもめはせぬがの。


 それは実質的に選択の余地がないと言うのではなかろうか。


 おそらく、ここで天寿をまっとうするまで生きていくのも可能ではあるだろう。ベアきちとヒヨスがいれば寂しくはないし、ひょっとしたらケオニ族とだっていずれ友好関係を築けるかも知れない。

 しかし、それを月子と目指すべき未来にはしたくはない。……他に途がある以上、絶対に!


 ただ、いい加減、この地より解放する・・・・・・・・・という、その方法は気になってくるのだが。


 隣に目を向ければ、月子と目が合った。

 覚悟を決めて一つうなずくと、彼女も頷き返してくれる。


「分かりました。教えてください、僕たちを解放するという、その言葉の真意を」


――おう、ならばくがよい。グレイシュバーグのはらへと!


 僕の言葉を受け、それまでの穏やかな様子から一転、ケオニ王は大きく叫ぶ。

 びりびりと大気が震えるかのように錯覚しさえする大音声だいおんじょうは、初めて聞いたときと同じように僕らの頭の中で激しく反響した。あのときの苦痛を伴う違和感こそないものの、ケオニ王として相応ふさわしい荒々しさをもって、直接的に精神への威圧を仕掛けてくる。

 そして、瞬時に警戒の度合いを引き上げた僕たちを更なる衝撃が襲う。


『地の精霊に我は請う……』


 な!? それは!?


 頭の中に響いてきた言葉は、この異世界において常に僕たちの助けとなってきたあの言葉とは、音が異なっている。しかし、まったく同じ意味を持っているであろうことがすぐに理解できた。そして、これから何が起こるかまでは分からずとも、恐るべき何かが起こるであろうことも。


 反射的に動いてくれた身体からだは、足下あしもとへの警戒をげんにしつつ、月子の前へと滑り込んでいく。


 当然、僕と同時……いや、更に早く月子も動き始めていた。

 しかし、後方へ控えさせていた土人形ロボットを踏み出させつつ、入れ替わりに背後へ飛び退いていく彼女の死角――真下の地面が小さく波打ったことに気付けない。

 横合いにいた僕だからこそギリギリ見つけられた必殺の刺客、その影だ。


「月子ぉ! うおおおっ!!」


 小さく宙に浮いた月子を押しのけるようにして、でかい図体ずうたいを割り込ませ、出現しようとする何かに対し、袈裟斬けさぎりの軌道でスコップを振るって迎撃を試みる。


 意外なほどに音も立てず、滑るようにして地面から現れいずるは岩の大剣!


 その速度は想像していたレベルを遥かに超え、視界を上下にかつ一筋の閃きとして目に映る。

 そして、その威力は肉を断つ抵抗など存在しないかのように――。


 僕の両腕をたやすく切断してのけた。

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