第二十七話: 隣り合わせの死と恋慕

 何も見えず、聞こえず、触れる物もない暗闇の中で揺蕩たゆたっていた。


 と言っても、いつもの悪夢とは少しばかり様子が異なっている。

 うに見飽きた無駄なドラマが放映されないばかりか、頭のてっぺんから足の先まで、全身が心地ここちよいぬくもりに包まれており、とても落ち着いた気分だ。


 僕は、どうなったんだったか……。

 えっと……ああ、確か、あの子を見失って、心がけっこう参ってたところに毒で体を動かなくされちまったんだったか。

 この様子からすると、ひょっとして、あのまま死んじまったのかねぇ?


 もう一度、あの子に逢いたかったな。


 考えてみれば、異世界に来てからはずっと一緒だったよな。

 片時も離れず……とまではいかなくても、四六時中しろくじちゅう、同じ場所で過ごし、苦楽を共にし、車で出発してからは、それこそ片時も離れず寝食を共にしてきたんだから、もう……ほら、なぁ?

 正直に言わせてもらえれば、そろそろ気持ちを表に出さないようにするのも限界近かった。


 彼女が好きだ。


 初めは類稀たぐいまれな美貌にかれただけだったのかも知れない。

 でも、その弱さを知り、強さも知り、僕の方も同じように情けないところも多少強いところも見せながら、二人で助け合い、必死で生きて、気が付けば月子のすべてが好きになっていた。

 あ、そうだ。月子だ。美須磨みすま月子。どうして忘れてたんだろう。


 僕――白埜松悟しらの しょうごは美須磨月子に恋してる。


 は~ぁ、まだ死にたくはないなあ。

 せっかくの異世界なんだから、月子と二人で町を歩いてみたい。

 こんな寂しい雪山じゃなく賑やかな町を、ごてごてした防寒具じゃない洒落しゃれた服で歩くんだ。

 それから、目的もなく買い物したりして、そうそう、まともな食事もしたいよな。


 ははっ、我ながら中学生のデートプランみたいで恥ずかしい限りだけれども。

 いや、仕方がないだろう。自慢じゃないが、生まれてこのかた、そんな経験したことないんだ。

 こんな幼稚なおっさんに恋心を向けられてるなんて知ったら彼女は困るだろうか。


 でも叶うなら、この先もずっと共に生きていたい。

 望めば何でも手に入りそうなのに、色々なことを諦めたような目をするあの少女と、人並みの小さな幸せってものを少しずつ集めていくのも、きっと悪くはない。

 すぐに彼女はとんでもない偉人になるだろう。

 その隣に立ち、相応に大きな幸せを分かち合える男と成れていたら、よろこびは如何いかほどのものか。


――月子、君をあいしている。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



――さん! ――さい!


 激しく身を揺すられる感覚があった。

 痺れて何も感じなくなっていた身体からだに感覚が戻ってきているようだ。

 と言っても、今なお目蓋や口は動かせず、耳も遠いため、何一つ反応を返すことができない。


松悟しょうごさん! 松悟さん! お願いします! 目を開けてください!」


 首に回された細い腕の感触は強く、耳のすぐそばで発せられている声は、わざわざ言葉の意味を考えるまでもなく、取り乱して必死な様子を痛いほどに伝えてくる。

 たとえ状況が理解できずとも、相手が誰なのかということだけは即座にわかった。


「どうしてっ!? 処置が遅かった? 地球の血清じゃだめなの? いやだっ……松悟さん!」


 とにかく、僕はまだ生きているらしい。それなのに、この子に……月子にこんな声を出させているっていうのか? 冗談じゃあないぞ!


――動け! 頑丈なのはお前の数少ない取り得だろう! 動けよ!!


 口を動かせ。目を開け。手を持ち上げろ。動かない? ならば舌を震わせろ。目蓋を緩ませろ。指を動かせ。なんでもいい。生きていることを彼女に示せ。今すぐに!


 ゆっくりと目蓋が上がり、ややぼやけた玄室の天井が見えてくる。

 指が、手首は少しだけ動かすことができる。しかし、残念ながら月子の身体からだにまでは届かない。

 舌はまだ痺れがひどく、半開きになった口から言葉を発するのは難しそうだ、が。


「ぁ、ぁあ……ぅ……つ、き、こ……」

「し、松悟しょうごさんっ!? あぁ……あああぁ~っ!」


 即座に身を起こし、僕の目を見て表情をゆがませる月子のそのほほに、滂沱ぼうだのような涙が流れ出す。

 いつも完璧に整っていたかおがちょっとだけブサイクな泣き顔へと変わってしまう。が、しかし、もうそこに一切の痛ましさは感じられない。


「ごおりゅう、できた……か」

「はい……はい、ベアきちがやってくれました。ヒヨスもいますよ。もう……大丈夫です……すん。ご心配をお掛けしてすみませんでした。それに、それに、ご無事で良かった、本当に……」


 そうか、僕はまだ君と共にいられるんだな。


 そう思った途端、心と体の両方にあらがいきれない強い衝動が込み上げてきた。


 どうにか腕を持ち上げ、横になった僕にすがりつく月子の背へと回す。まるで力は入らない。それでも思いっきり抱き締める。「え? あの? しょうご……さん?」と驚き戸惑いを見せる彼女だが、拒んだり離れようとする気配はほんのかすかにも無い。


 額が触れ合うほどに間近となった彼女の貌、その瞳を見つめ、言う。


「あいたかった、つきこ……きみがすきだ」


 うん、今言うべきことではないよな……と頭の隅で思いつつ、自然と口に出た。

 今、僕はどんな表情をしているのやら。


 いや、それよりも月子の反応は――。


 ……って、おや? 見れば、月子の表情は意外と変わってはいなかった。

 涙のあとを色濃く残しながらも、すっかり綺麗に整え直された微笑みを浮かべ、じっと僕の目を見つめ返してくる。


「くすっ、とっくに知っていますよ。きっと言ってはくださらないと思っていましたけれど」

「あー、たぶん、きみがおもってる、そういうすきじゃないんだ。ぼくは……きみを――」


――ちゅ。


 不意打ちの……これは、キス? 僕に? 月子が?


「……っふ。……これで、合っていますよね? 私も好きです。あなたをおしたいしています」

「え? あ? いいのかい? ……って、いかん! こんな、年も離れた……君ならもっと――」


――ちゅ。


 僕の言葉を封じる二連続のキスに、頭がかされてしまう。

 以前にしてしまった人工呼吸なんかとは似ても似つかぬ幸せな感触。

 ようやく身体からだの痺れが取れてきたはずなのに、再び口と舌が固まって動けなくなる。


 月子は、そうして動けなくなった僕の顔を両手で包み込むと。


――ちゅっ……。


 それまでよりもずっと長い、三度目のキスをしてくれたのだった。




 こうして、僕は、生まれて初めて……人から愛されるということを知った。

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