第二十五話: 迷宮の罠、突然の消失

 扉を開けると、たった一ブロック――五六ごろくメートル四方の小さな玄室が見えた。

 それ自体は特段とくだん変わったことではない。人が暮らしているわけではない大迷宮である。こんな無駄に思える空間がそこかしこに設置されており、この地下三層・・・・に辿り着いた僕たちにとっては、『ああ、はいはい。また外れかい』と流す程度のものでしかなかった。


「みゃあ」

「空き部屋だと思いますけれど、一応、見ておきま――」


 と、玄室内を確認するため扉をくぐったヒヨスと月子の姿が、何ら前触れなく消失するまでは。


「月子?」


 彼女たちが扉をくぐり、ほんの数歩を踏み出したところでの出来事だった。

 荷車をいている僕と巨体のベアきちは扉の手前で待機していたのだが、彼女たちが消えた瞬間、距離は三メートルも離れていなかったにもかかわらず、何が起こったのかすら理解が及ばない。

 ただ、呆然と名を呼び……。


「月子っ!? な、何が起こった!?」


 刹那の後、我に返って玄室へ飛び込み、辺りを見回すも、どこにも不審な点は見当たらない。真っ先に疑ったのは落とし穴だったのだが、床にも、天井にも、やや離れた四方の壁にさえも、見ようが触れようがおかしな痕跡などは残されていなかった。


――落ち着け! 消えた瞬間のことをよく思い出せ! 何か無かったか……?


 だが、いくら思い返しても、兆候も無く、瞬き一つの間に消えたとしか考えられない。

 まばたき? それにしては不自然な明滅めいめつではなかったか? カメラのフラッシュのような……。いや、なんにせよ、あまりにも手掛かりが無さ過ぎる! まさか神隠しにったとでも言うのか!?


「ばうっ!」


 思考の渦に飲み込まれそうになっている僕を、ベア吉の吠え声が現実へと引き戻してくれた。


「ベア吉、どうした?」

「わっふ」


 その黒い鼻先が指し示すのは何もない空間だ。

 ちょうど月子とヒヨスが消えた場所ではあるものの、床から天井まで真っ先に調べてある。

 が、角灯カンテラで照らして目をよく凝らせば、そこに先ほどまでなかったはずの異変が起こっていた。


 まるで晴れ渡った春の野に見られる陽炎かげろうのような、細く縦に揺らめく半透明の柱が現出する。

 それに気付くと同時、見る見る揺れ幅を小さくしながら消えゆこうとする柱の中に二つの白い影を視認した僕は、半ば反射的に足を踏み出し手を伸ばした。


「ばうっふぅ!」


 瞬間! 荷車をいてかたわらへ走り込んできたベア吉と共にまばゆい光の中に飲み込まれてしまう。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 眩しい光を感じて思わず目を閉じた僕が、わずかの後に目蓋まぶたを開くと、驚くべきことにその場の景色は一変していた。

 直前まで扉を背にした一ブロックの玄室にいたはずだが、目に見える景色は十字路の真ん中だ。


 思わず平衡感覚を失い、よろめいた僕の手がふわりヽヽヽとした感覚をとらえる。

 それは、すぐそばに控えていたベア吉の毛皮だった。


「……わふぅ」

「ああ、お前も一緒だったか。更に分断されなくて良かったよ」

「わふっ」

「つまるところ……瞬間移動という現象なのか? 月子とヒヨスも近くにいてくれれば良いが」


 そんな甘い期待を打ち砕くように、ズルズルと石床を這いずる音が近付いてくる。


「この気色悪い音はハンマービルだな。さっさと凍らせてしまおう。先を急ぐぞ、ベア吉」

「ばう! ばうっふ!」


 月子たちであれば、どんなモンスターに対してもそうそうおくれを取りはしないだろう。

 だとしても、先のように予想し得ない危険をはらむ異世界の大迷宮である。

 はやる心を懸命けんめいに抑えつけ、回廊の先に見えてきたぬめぬめと光る生き物――トンカチのような頭を持つ巨大な環形動物かんけいどうぶつに対し、僕は火の精霊への請願せいがんを発していった。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 必死の捜索にもかかわらず、丸一日が経っても月子たちとの合流は果たせていない。


 と言うのも、すべて忌々いまいましい瞬間移動――転送罠のせいだ。

 そこかしこに仕掛けられ、事前に察知することは不可能なソレは、一方通行の片道切符かたみちきっぷ一度ひとたび、飛ばされてしまえば、もはや現在地を把握することすら叶わない理不尽極まりない代物しろものである。


 しかも、ご丁寧なことに、移動先には必ず怪物モンスターの群れが待ち構えており、戦闘しているうちに別の罠に掛かってしまい、すぐ次の所へ強制移動させられるという連鎖的コンビネーションまで決めてくる始末……。


 おそらく、月子たちも同様の経緯でどことも知らぬ場所へ飛ばされているのだろう。


 心配なのは食料だ。

 知っての通り、食料を積んだ荷車は、今も僕がいてきている。

 モンスターであっても平気で平らげてしまうヒヨスはともかくとして、月子はちゃんと食事をれているのかどうか。


「月子……せめて無事を告げる君の声だけでも聞きたいよ」


 たった一日、離ればなれになっただけでひどく彼女の存在を恋しく想う。

 月子が隣にいない……。それが、これほどまでに世界をくらかげらせることだったなんてな。


 気ばかりがはやり、一刻も早く合流しろとかされるが打開策は浮かばず、せいぜい壁に目印を残しながら、地道に地図を作っていく他にできることはなさそうである。


 風の精霊が知らせてくれた、巧妙に偽装されている床の落とし穴をこわごわ回避し、手持ちの地図にその位置を書き記しながら、僕とベアきちは今もって三割も踏破されていない大迷宮第三層の探索を進めていく。

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