第二十四話: うっすら姿、冷と温

 一ブロック、一ブロック、粘土板に刻んできたほこらの下層――大迷宮の地図があらかた埋まり、あとは残る空白地を一つずつ調べていくだけ、そんな状況で不気味な敵に出遭であった。


「おおおあああああ……――」


 正体不明のおぼろな人影……いや、解りやすく言ってしまおう。それは幽霊だ。


 暗闇の中でも形が分かる程度にうっすらと発光しながら、角灯カンテラの光を当ててもハッキリと姿を見て取れない程度にうっすらとした半透明の身体からだは、もはや顔の判別もつかぬほどに腐って崩れ落ちているような有様を映し出している。

 ボロボロの布きれを身にまとっているが、元は仕立てが良かったのか、よく見れば明るい染め色を留めており、多少の贔屓目ひいきめによればいたんだ礼服と言えなくなさそうだ。

 ケオニ族やイヌマンのような獣っぽさはなく、印象としては人間の貴族の死体といったところ。


 小さな玄室を発見した僕たちが、内部を調べるために全員で足を踏み入れた瞬間、背後の扉が勝手に勢いよく閉ざされると同時にこいつが出現し、いきなり襲い掛かってきたのである。


「……わぅ?」

「みゃ?」

「一応、人のようではありますけれど、松悟しょうごさん?」

「あー、ここまで来てお化けを怖れるような君ではないか。話は……通じなそうだな。やるぞ!」


 もっとも、この幽霊は見た目のおどろおどろしさに反し、てんで大した強さではなかった。


 まるで影法師かげぼうしか立体映像かといったうつろな姿は、武器による攻撃だけでなく精霊術であってもダメージを与えているのか自信がなくなる手応えの無さで、かなり辟易へきえきとさせられてしまったが、奴からの攻撃もひんやりとした手で触れてくるだけという極めて無害なものだったのだ。


 お互い、決め手に欠ける攻撃を延々と繰り返す泥仕合を制したのがどちらかであったのかは、まぁ、言うまでもないだろう。そもそも四対一では負けようもないしな。


 月子の両手にある双短刀ツインエッジが目にもまらぬ四連撃によって虚ろな影を切り裂くと、その斬風ざんぷうに散らされたかのように幽霊ファントムは消え去っていった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 幽霊ファントムが現れた小さな玄室の片隅には、こぢんまりとした祭壇がしつらえられていた。

 特に何かがそなえられているわけでもなく、手入れもされていない、石を積み上げたそれは……ことによれば先ほどの死者の墓石なのかも知れない。


「いや、やっぱり墓という感じではないよな」

「このような場所に人の霊が出てくる理由も含め、考えても仕方がない気がします」

「ここで誰かが生命いのちを落とし、死体すら残らないことをいたんだ同行者が墓石を立てた……なんてドラマも想像できるが、たまたま幽霊が出る部屋に慰霊碑を建てただけとか、いくらでも好きに言えてしまいそうだ。確かに、考えてもせんのないことか」

「はい、気を取り直して調べてしまいましょう」


 無遠慮に触れるのは少しばかりはばかられるが、既に幽霊を撃退した僕らだ。もはや怖いものなどありはしない。お化け屋敷の備品か何かだと思っておこう。

 と、周囲を調べてみれば、び一つ浮いていない奇妙な青銅の鍵を見つけることができた。


 今のところ、この迷宮に鍵が必要な扉はなかったはずだが……。


「いずれ必要になるかも知れない。拝借していくとしよう」



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 青銅の鍵は、それからすぐ役に立ってくれた。

 粘土板に描いてきた地図上でまだ埋まっていない広い空白地帯へと続く扉が、固く施錠せじょうされていたのである。


 以前にも軽く説明したかと思うが、この迷宮を構成している建材は、石・木・金属の別なく、ほぼすべてが破壊不可能の不思議素材となっている。ハンマーでぶっ叩こうが壁や床にはへこみの一つも付かず、小さな蝶番ちょうつがいで固定された木製扉であっても取り外すことなどできやしない。

 当然、扉に鍵など掛かっていた日には、合う鍵を手に入れていなければ完全にお手上げだった。


「ひとまず攻略の目処めどが立ったことだし、少し戻って今日は切り上げとしないか?」

「よろしいかと思います。亡者もうじゃに体温を奪われてしまったせいか、お湯が恋しいですね」

「それなら、近くに泉の湧く玄室があっただろう。またベアきちと一緒に見張りをしているから、かしてゆっくりあったまると良い」

「ふふ、お言葉に甘えさせていただきます」


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、湯を浴びてぽかぽかになった僕たちは、まだうっすらと湯気が立ち込めている玄室で二人と二頭、ぴったりと密着して横になっていた。


 何故、こんな状況に……?


 いつも以上にもふもふあったかヽヽヽヽヽヽヽヽなベアきちを背にした僕の胸元には、同様にもふもふつやつやヽヽヽヽヽヽヽヽなヒヨスを背にした月子が正面からぴったりとくっついている。


 いや、本当にどうしてこんな状況にっ……!?


「寒いのですから仕方ありません」

「部屋も身体からだもずいぶん暖かくなったと思うんだが……」

「いえ、松悟しょうごさん、それは危険な考えです。人の身体に備わっている体温調節機能は、お風呂で温まった体温を下げるため、急激に熱を発散し始めます。いわゆる、湯冷ゆざめですね。ですから、お風呂上がりにこそ、こうして身体を温めておくことが肝要かんようとなるのです」

「うん、湯冷めは知っているけれども――」

「それだけではありません。万が一、就寝中に襲撃があった場合、このように密着していれば、誰かが身動みじろぎした瞬間に全員が気付けることでしょう」

「じゃあ、僕が見張りを――」

「いけません」


 身を起こそうとした僕を押さえ付けるかのように、ぐいぐいと密着感を強めてくる月子。

 危険だ。何が危険かは自分でもよく分からないのだが、このままではとても危険な気がする。

 彼女の小柄なのに意外なほど豊かな一部分と関係があるかも知れない。ないかも知れない。


「待ってくれ、月子。よく考えてみると、さっきの幽霊のような奴が他にもいたら、閉ざされた扉を通り抜けてくる可能性もあるわけだろう? やはり全員で寝るのはどうかと――」

「……ふぅ、分かりました」

「分かってくれたか」

「はい、それではベア吉とヒヨスに後番をお願いするとして、私たちはこのまま交替まで起きていましょう」

「そうだな……ん?」


 なんだかよく分からなくなってしまったが、二人揃って起きている分には問題ないのかな?

 妙な圧を弱め、少しだけ身を離してくれた月子に安心し、僕はまたゆったりと横になる。


「……わふ」

「……にゃあ」


 何故だか呆れたような声で鳴くチビどもの毛並みに包まれ、僕と月子は額が触れるほど近くで今後のことから他愛のないことまでつらつらと話しながら夜遅くまで過ごした。


 その後、数時間の眠りから目覚めた二頭と見張り番を交替し、二人で共に目を閉じたときには、冷静に後から思い返してみれば、いつの間にやら自然と密着してしまっていたような気もする。

 しかし、このときの僕は既に距離感がおかしくなっており、うとうとした意識の中でうっすら見える彼女のまつげが長くて綺麗だとか、そんなことばかりを考えながら眠りにいたのだった。

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