第十三話: 甘い悦楽に蕩ける男

「先生、気持ち良いですか?」

「あ、ああ。気持ち良い……かな」

「本当ですか? 遠慮していませんか? 物足りなければもっと強くても平気ですよ?」

「いや、正直、初めてだからよく分からないんだが、これくらいで良いと思う」

「それでは続けましょう」


 トントン、トントン、トントン、トントン……。


 芯まで暖まってほぐされた風呂上がりの身体からだへリズミカルに与えられる、美須磨みすまの快感刺激。

 これは法的に許される行為なのだろうか? 異世界だから裁かれることはないとは思うのだが、おそらく婚姻関係にあるわけでもない肉親以外の異性に許されるギリギリのラインを攻めている、そんな感がある。

 いや、なんなら罰を受けたって一向に構わない。

 頑張って良かった。生きていて良かった。明日からも頑張ろう。


 トントン、トントン、トントン、トントン。


「すみません、少し疲れてしまったので、そろそろ揉む方はいかがでしょう?」

「揉むっ!? な、なぜ?」

「あ、揉む方は苦手でしょうか?」

「いや、嫌いな人間はいないと思う。それも初めてだから分からないが」

「くすっ、私も初めてですから、先生のご期待に添えるかどうか自信はありませんけれど」

「美須磨なら大丈夫だ。よろしく頼む」

うけたまわりました」


 もみもみ……もみもみ……。


 優しく丁寧な絶妙な力加減で柔らかな部位が寄せられ、広げられていく。

 手のひら全体でさするように、指で押すようにつまむように、やがて奥の方にあるまだ固い部位の感触も得られるようになってくる。

 どうやら僕は随分ずいぶんと凝り固まっていたらしい。これほど幸せな気持ちになれる行為が世の中にあったのか。肉体だけでなく、頭の中までくびきから解き放たれていくような天上の開放感。

 嗚呼ああ、人は……こんなにも自由だったのだ……。


 もみもみ……もみもみ。


「はい、お粗末様でした」

「……ありがとう。信じられないほど楽になったよ」

「それは何よりです。思いきってさせていただいた甲斐がありました」

「ああ、肩叩きと肩揉み・・・・・・・がこんなに気持ち良いとは知らなかった」


 涙さえ浮かんでいたかも知れない目をゆるませ、自分史上最高と思える笑顔で心よりの礼を言う。

 雪山探索から帰還し、玄室に戻ってきたところでいきなり美須磨みすまが肩叩きを提案してきたことには驚かされた……と言うか、幾度も固辞し、せめて後にしてくれと逃げるように風呂へ入り、汗と汚れをしっかり流して覚悟を決めて望んだ。その結果は、言語に絶する素敵体験だった。

 世のお父さんは、一年にたった一日しかない記念日に、子ども達から肩叩きをしてもらうため、馬車馬ばしゃうまのように頑張って毎日働いているとも聞くが、その気持ちが分かったような気がする。


「幼い頃、施設の先生にしてあげて喜ばれた記憶もあるけど、これは納得だなぁ」

「施設の先生ですか?」

「ん? ああ、僕は学園がやってる養護施設の出身でね」

「そうでしたか……。あの、すみません」

「そのことで苦労したわけではないから気にしなくて良いよ。それに、異世界では関係ないさ」


 僕のいた当時は養護施設と呼ばれていた、現在で言うところの児童養護施設である。

 今ではもう公的に使われていない“孤児院”という俗称で認識している人もいるだろう。

 まぁ、いろいろあって、僕は物心ついたときから中学校を卒業するまで施設で育った。

 戦後、学園の出資により設立された施設でいろいろと関係も深いのだが、それも良いか。

 中学卒業を機に施設を出て、高校・大学はどうにか一人暮らしをしながら奨学金で通うことができたため、手伝いや顔見せに行くことさえ滅多にしなくなっていた。今更ながら、もっと何か恩返しをしておきたかったなどと思ってしまう。


 ……おっと、話題を変えようか。



「ところで、持ち帰ってきた果実はもう見てみたかい?」

「はい、一応、まだ氷漬けのままにしてあります」

「木材の方も助かるが、まずは果実が食べられるか調べたいところだな」


 遭難時などのサバイバル下において、植物は手に入れやすい貴重な食材であるが、見た目では食べられるかどうか、そもそも安全かどうか、素人には判断が難しいために要注意である。

 ちなみに、植物ではなく動物の場合、少なくとも地球上においては、火を通して食べるならば陸棲の動物で毒にあたることはまずない。注意が必要なのは水棲動物――魚介だけである。

 というわけで、ってきた果実をまずは毒見していこうと思う。


「パッチテストですね」

「よく知っているな。医学用語だったか? 僕の周りではそのまま可食テストって言ってたよ」


 やること自体は簡単だ。

 何か異常があっても問題になりにくい身体部位――利き手じゃない方の上腕や背中のすみなどに毒見したいものを軽く押し付け、離してから十五分ほど待つ。

 これでれたりかぶれたりしたら、それは絶対に食べてはいけない。

 対象部位をよく水で洗い流した後、何も問題がなかった場合は同じことを次は唇で、それでも問題なければ舌の先で――口内で広げたり飲んだりしないように――行っていく。

 ここまで問題がなければ、少量だけ咀嚼そしゃくして飲まずに様子を見る。

 最後に、ごく少量だけ飲み込んで数時間体調の変化をうかがう……といった手順となる。


 念のため、採集物の部位ごと――果実ならば果皮、果汁、果肉、種……でそれぞれ行えれば、より一層安心できるだろう。


「それじゃ一つ解かしてみるぞ。水の精霊に我は請うデザイアウォーター、この果実を解凍してくれ」


 生活拠点の玄室から続く大きな部屋、門を入って左側に並ぶ二つの扉のうち手前側に位置する作業室へ、収穫してきた氷の果実を凍ったままで持ち込み、検査を始める。


「見た目はアボガドに似ているでしょうか」

「僕は若いヤシの実っぽいと思ったが、これは思いの外、甘い匂いだな」

「初めての匂いですけれど、まるで南国の果物トロピカルフルーツのようですね」


 緑色をした皮は硬く分厚そうで、一見すると未成熟のようにも見える。

 しかし、果実を覆う氷が解けていくにつれ、凍っているときには感じられなかった甘い匂いが一気に広がってきた。

 ねっとりとした強い匂い。熟した果実であることは間違いないのではなかろうか。


 果肉も見てみようと上の方を切ってみれば、スイカを思わせる水気たっぷりの実があらわとなる。

 色は青、食べ物としてはいささか抵抗がある色合いだ。

 が、ぷるりヽヽヽと震える柔らかい果肉が、ハチミツに近いとろぅりヽヽヽヽとした質感の果汁をまとう様は、新鮮なスイーツに飢えた僕の口の中によだれを湧き上がらせるのに十分な威力を発揮した。


美須磨みすま、これは……大丈夫なんじゃないか? このままでも、食べられそうじゃないか?」

「落ち着いてください。最低でも果肉とおつゆはしっかりテストしましょう」


 美須磨みすまにやや冷たく一瞥いちべつされ、どうにか欲求を抑えつけることができた。

 そこから一時間弱を掛け、皮膚と唇・舌に触れても何も問題が出ないことを確認した僕たちは、いよいよ咀嚼そしゃくテストに入る。

 僕は果肉を、美須磨は果汁を、それぞれ銀のスプーンで薄くすくい上げ、ゆっくり口へと運ぶ。


「「……!?」」


 これは! 果実の王様と名高い、あの……!?


 特有の、強い癖があるにおいはせず、食感も随分ずいぶんと違うのだが、味の方向性は非常に似ていた。

 毒見だということを忘れて思わず飲み込みそうになってしまい、慌てて息を止める。

 そのまましばし、口中に違和感がないかと探っていくが、これといった異常を感じることもなく、僕は内心で嬉々ききとしながら最終テストとしてごくりヽヽヽと果肉を飲み込んだ。


「うん、驚いた! やっぱりドリアンの味だ!」

「ドリアンとは、こういったお味なのですか?」

「いろいろと違いはあるが、言うなれば、ドリアン味のプリンかゼリーといったところかな」

「とても濃厚な甘さです。明日の朝に食べられたら良いのですけれど」

「これで身体からだを壊さなければね」


 可食テストの結果がどうなるにせよ、氷樹ひょうじゅの実は解凍しても皮を切っても異常な反応を見せることなく、雪の中、氷漬けの状態でるという点を除けば、地球の果実と何ら変わらないように見えた。

 この後、持ち帰った氷樹の枝も調べてみたが、表面の雪と氷を払って乾かしてみれば、伐採の折に受けた印象の通り、表面の樹皮だけでなく中心までスカスカした質感を持ち、非常に軽く、弾力性に富んだコルクのような木材だった。

 どうやら、氷樹はなかなか有望な植物素材と見て良さそうである。



 翌朝、比較的浅い眠りからすこやかに目覚めた僕は、既に起き出していた美須磨と互いの体調に異常がないことを確認し合った後、満を持して氷樹の実を実食した。

 味もさることながら、ボリュームが凄い。久しくなかった満足感。

 さほど食にこだわりがなさそうな美須磨にも気に入られたように見える。

 鼻をつまみながらクマ肉を呑み込む食事風景が一変した瞬間だった。


 これは、しばらくは周辺の氷樹林を巡る日々が続きそうだな。


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 ここから序幕の前編へと続きまして、次回は序幕後編の続きとなります。

 少しばかり話が飛びますので、ご注意ください。

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