第十話: 巨大グマと戦う二人

 ピっピっ♪ ピっピっ♪


 ホイッスルの音に合わせ、巨大な氷塊が一段一段、ゆっくりと石段を登っていく。

 これも美須磨みすまの精霊術だ。


 内部に巨大グマを収めたその氷塊は、岩石で出来た御輿みこしに載せられ、ワイヤーロープによってくくりつけられており、全部合わせれば相当な重量になるであろう。

 それを移動させているのは、御輿本体の左右に生えた三対六本の脚と、前後左右に取り付いて持ち手を担ぐ無数の土人形である。


「ああ、美須磨、ストップ! ちょっと右に傾いてきた」


 ピピ~♪ ピっ♪


「こちらですか、先生?」

「そうそう、もうちょい……オッケーだ!」


 石段を整えながら御輿を先導する美須磨に対し、僕は後ろから全体のバランスを見守る係だ。

 土人形が足を踏み外したり、氷塊が落ちたりすれば大変なので、これでなかなか気を抜けない。

 あ、言うまでもないだろうが、ホイッスルを吹いているのは僕ではなく美須磨である。


「あと後ろをもう少し持ち上げた方が良さそうだな。何かあったら滑り落ちるかも」

「分かりました……これくらいでは?」

「よし、問題ない」


 ピピ~♪ ピっピっ♪ ピっピっ♪


 御輿の脚の太さを変えたり、土人形の配置を変えたりしてバランスを取った後、行進再開。


 そこそこ長い時間を掛け、無事に御輿を洞穴ほらあなの中まで辿り着かせることに成功するのだった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 洞穴の入り口を塞いだ後、固定の明かりを灯し、部屋モードで精霊術【環境維持】を実施した。

 解体作業はこの岩屋内で行うこととする。


「まず手順の確認だ。おそらく知識はそう変わらないと思うがり合わせていこう」

「はい」

「一.解凍。当然、精霊術で一気に解かす」

「中まで完全に凍っていそうですし、水の精霊ではなく火の精霊の方が良いでしょうか」

「そうだな、水の精霊で表面を解かしたら、全体的に少しずつ熱を加えながら並行して次に移る形が良いと思う」


 肉やあぶらに余分な熱を加えないよう、自然解凍を早める感じでやれたら……流水にさらすか。


「次は血抜きですね?」と確認してくる美須磨みすまうなずきを一つ。

「二.血抜き。これが上手くできるかで食肉の出来が決まるらしい。なるべく妥協だきょうせずやろう」

「水の精霊術でしたら十分な血抜きができるのではないかと思います」


 本来、クマはよく暴れ、体温が高いため、その大きな全身に血が回ってしまい易く、素人しろうとには血抜きが難しいようなのだが、この点に関しては我らが精霊術の強みが発揮されそうである。

 美須磨なら、その気になれば毛細血管の中の血さえ抜いてくれるんじゃないかと思う。

 願わくば、せめて食べられる味の肉に仕上がりますように。パンパン!


「そう言えば、抜いた血の処理も問題だな。使い道は思いつかないが、どうしたものか」

「そのまま表に捨てるわけにも参りませんし、ひとまず凍らせておきましょうか」

「他の獣が集まってきたりしたら困るからなぁ。そうしようか」

「川があれば流してしまえるんですけれど」

「あ、下に持っていって風呂場から流せば――」

「絶対にめてくださいね」

「う、うん……すまない」


 そのうち谷底にでも捨てに行くとしよう。


「さて、ここまで手際よくできれば一段落……なんだが」

「この先は道具がありませんので大変そうですね」

「三.血や汚れをよく洗い流した後、内臓を抜いていく。まぁ、状況に応じて君に道具を作ってもらうことになるかな。どんな道具が必要なのか、まだちょっと想像が付かないけれども」


 切る部位に合わせた様々な形状のナイフを使うんだが、さすがに覚えていないしな。

 内臓を傷つけないように端の方を切って、取り分けていくということだけしか分からない。

 もしもここで失敗すると汚物まみれになった挙げ句、肉も皮も台無しになってしまうそうなので、くれぐれも慎重にやるとしよう。


「四.皮剥かわはぎ。僕としては毛皮が一番の目当てだったんだが、これが素人には難しそうなんだ」

「この辺りはもう丁寧に切っていくというくらいしか」

「そうなんだよ、残りは全部そうだ」

「五以降ですね。頭を落として、四肢を切り離して、骨を分けていく……で合っていますか?」

「ああ、要するに内臓を抜くところまで終わってしまえば、後は丁寧に皮と肉と骨を切り分けていくというだけだな。本来は肉に血が回ったり、温度が上がったりするのを避けるため、手早くしないといけないんだが、有り難いことに、そこは僕たちにとってさしたる問題じゃない」

「はい、大まかな流れは理解しました」


 よし、それじゃ始めようか。



――それからはまさに悪戦苦闘だった。


 まず、解凍し始めた途端に漂う凄まじい獣臭じゅうしゅう

 そして生き物としての姿が露わになったことで感じる、その遺体を解体していくという行為に対する、恐怖と嫌悪が入り交じったような心理的な抵抗感。

 解凍が進んできたところで天井から逆さ吊りにし、頸動脈けいどうみゃくをナイフで切って血を抜き始める。生前の姿を留める肉に刃を突き立てる嫌な感触。更に強まる獣臭、加わる強烈な血生臭ちなまぐささと死臭ししゅう

 極めつけに、岩屋全体を霧のように覆っていく細かな血飛沫。


「うわっ! 風の……いや、水か!」

水の精霊に我は請うデザイアウォーター――」


 この時点で僕たちは慌てて自分たちの周りに水の壁を張り巡らせた。

 既に二人のコートにはかなりの血痕が付いてしまっている。後で洗い落とすのが大変そうだ。

 シャボン玉を思わせる薄い膜状の水壁をもってそれぞれの全身を覆い、以降の作業はその中から両手だけを外に突き出し行っていくこととする。


 美須磨みすまの水の精霊術によってクマの身体からだからどばどばヽヽヽヽあふれ出し、あらかじめ床に掘っておいた溝伝いに流れてくる大量の血を、僕は火の精霊術によって熱を奪うことでカチカチに凍結させ、ブロック状になったところで岩屋の隅へと積み上げていく。

 この血のアイスブロックは、美須磨により氷として状態を固定され、自然解凍することはない。


 天然の冷凍庫と呼べるような環境にて、死亡直後から急速冷凍されていたおかげだろう、幸い、まだクマの死体には腐敗が始まっている様子は見られなかった。

 肉付きの良さを見る限り、健康的なクマだったんじゃなかろうか。

 ちなみに雄である。


 血が流れてこなくなったら、次はいよいよ内臓の処理だ。

 腹をナイフで縦一文字に切り裂き、そこに手を突っ込んで作業していくわけだが……。

 まぁ、これについてはあまり詳細に語らないでおく。聞きたい人もあまりいないだろう?

 結果だけを見れば、素人にしてはなかなか上手い具合に内臓を取り除くことができたと思う。


 ちなみに、クマの胆嚢たんのうを始めとする内臓が古来より薬として珍重されてきた……ということは僕も知っていたのだが、残念ながら、製法や効能についての知識はまったくないので、これらも血液と同様にまとめて廃棄することにした。

 って言うか、これらの部位を利用しようとか食べようとか考えた先人の勇気には、畏敬の念を禁じ得ないです。いや、もうね、マジ無理。



「ふぅ、手慣れた人と専用の設備や道具がなければ、これほど大変なものなのですね」

「そもそもこんな大きなクマだしな……手順や作業方法も何もかも手探りだ」


 冷水でクマと作業場全体を洗いながら一息く。


「水の精霊がぐずり始めているな、反応が鈍い。そろそろ一旦休憩にしようか」

「はい、それでしたら風の精霊も休ませてあげた方が良さそうです」

「そうだな。入り口を開けて、しっかり換気したらしばらく下へ戻って休むとしよう」


 解体作業の開始時より、洗浄、血抜き、水壁……とずっと活躍してもらってきた水の精霊は、いい加減、相性の良い美須磨みすまの頼みであっても聞き渋るようになってきている。

 また、ずっと岩屋内の空調と消臭のための換気を頼んでいた風の精霊も反応が鈍くなってきた。

 切りの良いところまで終わったここらが、休ませるにはちょうどの頃合いだろう。


 美須磨が洞穴ほらあなの入り口に近付いてゆき、塞いでいた岩を開け放つ。


風の精霊に我は請うデザイアエアー、岩屋の中の空気は大空高くへと吹き上がれ。同時に外から新鮮な空気を取り込んで集めてくれ」


 僕の、ごちゃごちゃした請願せいがんを聞き入れ、中から外へ、外から中へ、強く強く風が吹く。

 ふと洞穴の外へと目を向ければ、分厚く空を覆っている黒雲の隙間より、細い幾筋かの陽光がし込んでいた。

 思い返してみれば、これが異世界で見る初めての日の光かも知れない。


 辺りは相変わらず薄暗く、その光はほんのわずかなものである。

 しかし、かすかであっても光に照らされた風景は今まで見ていた景色とはまるで違っていた。


 眼下できらめく広やかな銀世界、周囲を包む綿の如く柔らかそうな白い雲、その切れ間からのぞあおい山肌とくろい谷間、遠くで突き出しているいくつものみねはやはり白雪を被り、伸びゆく稜線りょうせんと同じくつややかに輝いている。


 そんな、初めて目にする風景が遠く、遠く、遙か遠くまで、見渡す限り延々と続いていた。


 その雄大な絶景に思わず目を奪われる。

 隣で美須磨みすまが同じく息を呑んだ気配を感じたが、それすらも一瞬。

 僕らは言葉もないまま、二人並んでいつまでも外の世界を眺め続けていたのだった。

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