このときめきは終わらない。

増田朋美

このときめきは終わらない。

その日も暑い日であった。一般の人達は普通に働いて、普通に学校へ行かなければならない。それにしても、この暑さでは、毎日学校へ通学するというパターンを改めなければならないほどの暑さだった。

杉ちゃんとジョチさんは、新しくやってきた利用者の話を話を聞いていたのであるが、その女性の無鉄砲な発言にあきれていた。

「はあ、つまり、35歳になった今でも高校を目指していらっしゃるんですか。」

ジョチさんがそう言うと彼女はにこやかに笑って、

「ええ。中学生のときに学校にいけなくなって、それから22年間ずっと病院と家に入り浸っていましたが、それでは行けないと思うようになりまして。」

というのだった。

「しかしだな、村田さん。なんでまた吉永高校に行こうと思ったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい、伝統のある学校で入るにはやっぱり由緒ある学校に行きたいと思ったんです。」

と、彼女村田裕子さんは答えるのであった。その真剣そのものの表情を見て、杉ちゃんもジョチさんも吉永高校の現状を言うのは、ちょっと辛くなる気がした。

「それはそうなんだがねえ。吉永高校は、18歳までの生徒さんしか受け入れないことになっている。お前さんは35歳でしょ。それなら、吉永高校へ入れる年齢はとっくに過ぎている。」

「やっぱりだめですか。」

杉ちゃんにそう言われて、村田さんは、落胆の表情を見せた。

「まあねえ、35歳になっても吉永高校で学びたい気持ちがあるというのは、評価してもいいとは思うんだが、それは、実現するのは難しいと思うよ。それより、勉強したいっていう意志があるんだったら、別の学校へ行ったらどうなの?」

杉ちゃんは腕組みをしていった。

「そうですね、勉強したい意志を我慢するのは難しいでしょうし、別の学校へ行ったほうがいいですね。それなら通信制の高校を紹介して上げましょうか?」

ジョチさんがそう言うと、

「でも、通信制の高校は悪い人ばっかりって噂を聞いたことがあるんですが。」

村田さんは申し訳無さそうに言った。

「うーん、そうかも知れないけどね。それは偏見だぞ。それよりも、ワケアリの生徒さんが一杯通っている。お前さんのように、35になって初めて学校へ行くやつも居るし、中には、80歳になって高校に行った生徒さんも居るんだ。だから、全然悪い人はいないよ。大丈夫だよ。」

杉ちゃんはでかい声でそういうのであるが、

「それでも、株式会社創立とか、訳の分からない学校法人が立てた高校なんて、大した教育もできないのではないかって。」

村田裕子さんは言った。

「いや、それはないね。返って全日制高校より良い教育をさせてくれる高校もある。教師だって、そういうワケアリ生ばかり扱うから、簡単にバカにするような事を言うこともない。それは大丈夫だから、安心して通信制の学校に言ってご覧よ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなんですね。私は、長年ずっと精神病院にいましたし、世の中のこととかあまり詳しく知らないから、吉永高校はいい学校に見えたのかもしれません。理事長さんや、杉ちゃんの言う通りなら、もしかしたら通信制でもいい学校が見つかるかもしれません。それなら、少し信じてみようかな。」

と、裕子さんは言った。

「そうだよ。お前さんのいいところは、そうやって、素直に応じてくれるところがいいんだ。それを、実生活で失ってはだめだ。それはおまえさんの最大の長所だからな。世の中にはな、素直に応じてくれるような女性は、なかなか居ない。信じてみようと言っても、実は裏で変な事をやっているやつもいっぱいいる。だからな、それを失くしちゃだめだぞ。」

杉ちゃんに言われて、村田裕子さんは、小さい声でハイと言った。

「そういうことなら、あたし、杉ちゃんの言う通りにしてみます。通信制の高校を探してみます。」

杉ちゃんも、ジョチさんも二人揃って大きなため息を付いた。全く、問題の多い高校なのに、今でも吉永高校をいい学校と思っている人が居るのは皮肉なものであった。

「じゃあ、今日はここまでにしましょうか。これから、また新しく利用者さんが、来てくれることになっていますのでね。最近は、エアコン代がたまらないと言われるのでしょうか、結構ここを利用したがる人が多いのですよ。」

ジョチさんは、椅子から立ち上がって、机の上にあった手帳を取り出した。

「どんな人が見えるんですか?」

村田さんが言った。

「はい。男性の方なんですけどね。なんでも、足がお悪いということで、高校に居たのですが、退学されています。年齢は、まだ20代だそうですが、かなり老けた様子だとお母様がおっしゃっておられました。名前は、川村千秋さん。富士市内に住んでいらっしゃる方です。」

と、ジョチさんは手帳に書かれている事を、読み上げるように言った。

「そうなんですね。ここを男性が利用するのは珍しいですね。それに川村千秋なんて変わった名前。」

村田裕子さんは、そう笑っていった。

「もうあと30分くらいしたら来るそうです。」

と、ジョチさんは、スマートフォンを眺めながらいうと、裕子さんは、それではおじゃま虫はきえますねと言って、応接室を出ていった。それからしばらくして、

「失礼いたします。こちらは製鉄所という施設ですか?」

と、若い男性の声がした。

「はいどうぞ。川村千秋さんですね。」

ジョチさんは玄関先へ行った。行ってみると、一人の男性が、玄関先に立っていたのであるが、なんだか松葉杖をついて歩くのがやっとという感じで立っている。ジョチさんはとりあえずお入りくださいというと、川村千秋さんは、ヨロヨロと製鉄所の建物内に入っていった。なんだかそれが日本舞踊でもしているような感じのあるきかただったので、多分、川村千秋さんは、舞踊病に間違いなかった。ジョチさんはそのことについては言及せず、とりあえず彼を、応接室に連れて行った。

「えーと、川村千秋さん。住所は富士市中里、、、となると、随分遠くから来ているんですね。そのような体でよくこちらに来られましたね。まずこの暑さの中それがびっくりです。」

とジョチさんは彼を椅子に座らせながら、そういった。川村千秋さんは椅子に座るのも大変そうだった。

「ええ、大丈夫です。体一つさえあれば、何でも移動できます。」

川村千秋さんは、にこやかに言ったのであるが、

「そうかも知れませんが、こちらとしても、移動する道中でお倒れになる可能性もありますからね。」

ジョチさんは心配そうに言った。

「いえ、大したことありません。僕は、強いのですから。確かに足が不自由であっても、できることは何でもやります。だからぜひ、こちらでお手伝いもさせてください。」

という川村千秋さんであるが、ジョチさんは困ってしまった。そんな手伝いをするような事は、川村千秋さんにはできないのではないかと思われた。だってそのような体では、まず初めに床の雑巾がけもできないし、草むしりもできない。

「そうですね。確かに強い方かもしれないけれど、そのような体では、、、。まず初めに貴男が舞踊病にかかったのは、なぜなんでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ、病気ではありません。これは、運動会の練習で起きた事故です。ただ、三段の塔を作っていたとき、その三階から転落しただけのことです。」

と、川村千秋さんは答えた。

「つまり、組体操ですね。まあ、あれは困りますな。あんな危険なマスゲームをやらせるなんて、学校が見栄っ張りで、ただ、いいところを見せたいだけの、それだけのことなんですけどね。しかし、貴男はそれでそのような障害を負って、学校に損害賠償とか訴えなかったんですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ。それをしようと思いましたが、治療とかそういう事で、それはできませんでした。でも仕方ないですよね。勉強をし直したいと思っても、僕には無理なことだとわかりました。だから、もう諦めて、こういうところでお手伝いをしようと思って、こさせていただきました。」

と、彼は言った。

「そうですが、お前さんのような立ってるのもやっとというような男に、できる手伝いがあるかな?僕も車椅子で、歩けないけどさ。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。ジョチさんも困った顔をした。本当に彼にできるお手伝いは何も無いのだった。

「だってお前さんは、庭掃除もできないじゃないか。ご飯の支度だってできないでしょ。床掃除もできないし、布団干しもできない。確かに居場所として、ここに居るのはいいけどさ、、、。お手伝いをするために来るのでは、ちょっと、、、。」

「だったら、貴男も先程話した女性と同じように、学校で学び直したらどうでしょう?」

とジョチさんが言った。

「ちょうど、通信制の高校に入り直したいと言っていた女性が居ましてね。先程話しをしたんですが、彼女は勉強をする意欲はすごくあるのに、通信制で勉強をするのはちょっと恥ずかしいと言っている。そんな彼女と一緒に、学校へ行って、一緒に勉強をしてきたらいかがでしょうか?」

「僕、彼女を呼んでくる。」

杉ちゃんは急いで車椅子を動かして、先程の、村田裕子さんを呼んだ。

「お前さんと一緒で、通信制高校で勉強したいと言っている、村田裕子さんだ。二人で協力しあって、一生懸命勉強するといい。通信制高校は、いつでも生徒さんを募集しているそうだから、一緒に行くといいよ。」

杉ちゃんが川村千秋さんにいうと、

「ありがとうございます。川村千秋です。よろしくお願いします。」

千秋さんは、とてもうれしそうにそういうのであった。

そういうわけで話はとんとんと進み、川村千秋さんと、村田裕子さんは、一緒に通信制高校である、望月学園の学校説明会に行くことになった。望月学園は、富士市でも有名な通信制の高校である。

そして、学校説明会の日。とりあえず、川村千秋さんと村田裕子さんは製鉄所に集合し、ジョチさんの名義で介護タクシーをお願いした。そして、川村千秋さんをワゴンタイプのタクシーに乗せてもらい、村田裕子さんは、座席に座った。そして行き先を望月学園と告げると、運転手は冗談で、はああデートですかなんて言うので、二人はちょっと照れくさそうな顔をした。

「いいねえ。若い人は。そうやって、出かけられるんだから。俺もそういう事をしてみたいよ。古女房と。」

なんて運転手は言っていた。

二人はとりあえず望月学園の正門前で、タクシーから降ろしてもらった。ちゃんと学校説明会と張り紙がされていた。二人が、学校の入口へ行くと、

「はい、学校説明会に来られた方ですかな?」

と受付係が、二人に聞いた。

「ええ。私は、村田裕子で、彼は川村千秋さんです。今日は是非、こちらの学校を見学させて頂きたいと思いまして。」

裕子さんがそう言うと、

「わかりました。それでは、まずお教室を見学なさってください。」

と受付係は、二人を教室へ通した。

「本校は学年がありませんので、好きな授業のときに登校してくれればいいのです。なので、年齢も全く無関係です。それ以外はオンライン授業で勉強していただき、わからないことがあったらこちらへ来るというパターンの生徒さんが多いかな。登校は月に一度でもいいし、毎日来てくれてもいいです。」

教室へ入ると、校長先生だろうか、ちょっと年配のスーツ姿の男性が、二人を出迎えてそういった。

「こちらは授業が行われている教室ですが、隣の部屋は自習室になっておりまして、個別に勉強していらっしゃる生徒さんもいらっしゃいます。その他図書室や、生徒食堂もございます。」

校長先生は、にこやかに言ってくれた。教室では、5人位の少人数で生徒が集まり先生の説明を受けている。生徒と言っても、いわゆる全日制の高校に行っているような生徒は一人もおらず、みんな50代とか60代くらいが大半であった。校長先生の話では、35歳というのはまだ若い方であると言うことだった。

「皆さん、子育てが終わったとか、仕事を定年退職をして自分の時間が欲しくなり、こちらへ勉強に来ると言う方が一番多いです。なので、30代の方が見られるのは珍しい事例ですよ。」

「そうなんですか。こちらでは若い人は珍しいんですね。それでは、私たちが最年少ということになるのでしょうか?」

と、裕子さんが聞くと、

「20代で来た方もいらっしゃいますので安心してください。ただ、そのような歩けない方ですと、、、。」

校長先生は、ちょっと大変そうに言った。

「彼ですが、そのような松葉杖をついてやっと歩けるとなりますと、うちの学校には階段もございますし、それはちょっとむずかしいのではないでしょうか?」

「いいえ、そんな事はありません。だって、勉強したいっていう気持ちはあるんですから。それを、否定するような事は言わないでください。」

校長先生に向かって、裕子さんは言った。

「彼の、勉強したいって言う気持ちを否定することはしないであげてください。どんな人だって、勉強したい意志があるのですから。」

「えーと川村千秋さんと言いましたね。それでは、階段や段差などはどれくらい制限がありますか?どうしても、学校には、段差ということが発生してしまいますからな。」

校長先生がそう言うと、

「とりあえずあるきかたは変だし、きちんと歩けないということもありますが、それでも勉強したい意志はちゃんとありますし、通うことになったらきちんと最後まで通います。」

と川村千秋さんは言った。その言い方は、自分より強い意志を持っていると、村田裕子さんは思った。

「そうですか、わかりました。本校でも、貴男のような学生がまた来られるかもしれないので、段差を解消するように工夫してみますね。」

校長先生はにこやかな顔でいった。そして、村田裕子さんと川村千秋さんは、校長室へ通されて、学校のルールとか、学校生活についてのこと、学生割引のことなどを説明を受けた。その椅子に座るのにも川村千秋さんは本当に大変そうで、一人ではとても学校に通うことはできなさそうだった。それでは誰かがそばに付いていなければならないだろう。村田裕子さんは、それを手伝おうと心に決めた。

「もし、入学を希望する場合はもう一度面接しますから、いつでも来てください。」

校長先生は、二人に望月学園のリーフレットを渡した。そこにも通っている生徒さんは若い人ばかりのように書かれているが、実際に、学校に来るのは中年以上で、学校のPRのために若い生徒を載せているようなものであった。

「ありがとうございます。それなら、こちらでお世話になろうか、少し検討した上で、お返事いたします。」

村田裕子さんはにこやかに笑った。川村千秋さんはちょっと不安そうな顔であったが、

「大丈夫よ。あたしが居るじゃない。」

と、裕子さんは千秋さんに言った。

「それではお二方にお願いがあるのですがね。」

いきなり受付係がそういい出した。

「本日の学校説明会に、二名の生徒さん候補が来たことを、写真にとって掲載してもよろしいですか?本校としましても、宣伝に力を入れたいのでして。」

川村千秋さんは、ちょっと困った顔をした。多分これだけ重度の障害を持った自分が、学校のウェブサイトに掲載されてもいいかどうか、疑問に思ったのだろう。

「そうですね。それはちょっと遠慮させて貰えないでしょうか。こんなに足の悪い人間が、学校のウェブサイトに載ってしまっては、ちょっと、まずいのではないでしょうか。」

と、川村千秋さんは言っているが、

「何を言うのよ。いいことじゃないの。どんな人でも学びたいって言う気持ちがあるのは変わらないし、こういう人も学校に来られるんだって、安心感を与えることにもなるわ。」

と、村田裕子さんは、写真撮影に応じることにした。千秋さんもそういうことならといったので、

「じゃあ、お二方、校長室の油絵の前に立ってもらえますか?」

と受付係が言った。校長室には、一枚の蓮を描いた油絵が設置されていた。なんでも校長先生が趣味で描いたもので、誰か新入生やその候補が来ると、そこで必ず記念写真を撮るのだという。恥ずかしそうなかおをしている川村千秋さんを無理やりその前に立たせ、村田裕子さんは写真撮影に応じた。

「撮りますよ!」

と受付係が、スマートフォンを出して、写真を撮るアプリを立ち上げ、シャッターボタンを押した。アプリは、きちんと写真を撮る音を出してくれた。

「ありがとうございます。それでは、本校で一緒に勉強できる日を楽しみにしています。」

と言って校長先生は二人に編入試験の日程を渡した。試験と言っても、作文と面接だけである。作文の課題は、これから学校で学びたいことを書くことだと書かれていた。

「本当にありがとうございました。僕もやっと居場所が見つかってよかったです。」

川村千秋さんは、申し訳無さそうに言った。多分その言葉は本当だと村田裕子さんは思った。多分きっと川村千秋さんは、足が不自由な体になってから、何処にも居場所が無いと思っていたに違いなかった。確かに、学校で組体操の事故にあって、損害賠償もできないほど、精神状態も良くなかったのだろう。そんな彼が再び勉強できるということは、どんなに嬉しいことか。それは、村田裕子さんにもわかることであった。

「それでは、一緒に頑張りましょうね。」

校長先生に言われて、二人はありがとうございますと言って、望月学園を出た。それを出るのも、川村千秋さんは本当に大変そうだった。ときには受付係が手伝ってくれたりもしたけれど、千秋さんの日本舞踊のような動きは、まるで不自由さそのものをあらわしているような、そんな感じのあるきかただった。二人は、受付係が呼び出してくれたタクシーに乗り込んで製鉄所に戻った。

「一体何を笑っていらっしゃるのですか?」

川村千秋さんに言われて、村田裕子さんは、

「いいえ、単に嬉しいだけよ。」

と微笑んで言ったのであった。そして自分の中で、このときめきは終わらない、終わらないでくれますようにと祈ったのだった。


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このときめきは終わらない。 増田朋美 @masubuchi4996

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