「いた」んだあとは、また「むき」あえて 8-4

「それじゃあ⋯⋯真惟まい。またね」


 昇降口の柱の近くで、後ろを向いて二人は小さく手を振った。


「うん。またね」


 去って行く二人に向かって、柔らかく笑いかけながら、手を胸の高さまで上げて、小さくてをふり返し、やがて見えなくなると、そっと手をおろした。


 二人は自転車通学だから、ここでお別れ。

 少し前まで、私も一緒に行っていたのに、これからは駐輪場に行く用事もないのだと思うと、少し寂しかった。


 二人には、これからあまり時間が取れなくなると伝えた。


 それを聞いて、潮音しおんは落ち込んでいるようだったけど、あかりの方は「転校するわけじゃないんでしょ、ならいいじゃん」と言ってあまり気にしていないようだった。


 まあ、それはそうだ。今世こんせの別れではないし、学校にくればまた会える。


 それでも、やっぱり寂しいと感じるのは、それだけ大切に思っているって事、なのかな。

 

 わからないけど、今はそう思いたかった。


 息を深く吸って、気を改めた。


 ノアの事はまだ二人には話していない。


 二人に説明するには、私はまだノアの事をよく知らないし、それにデリケートな問題だから、私の口から話していい話題だと思えなかった。


 でも、いつかはちゃんと話したい。こんなにいい子なんだよって、胸を張って二人にも紹介したい。



 そんな未来を夢見て、よし、と声に出し、背筋を伸ばして歩き出す。


 今は向かわなきゃいけない場所がある。


 昇降口をでて、早く、早く。だんだんと足を早める。


 ただ前だけを見て、アスファルトを踏みしめて、動き出した心のままに、前へとと急ぐ。


 校舎を曲がり、駐車場を抜けて、桜が咲き誇る中央道路へ。朝と同じ、敷き詰められた綺麗なあわいピンク色が私を出迎えた。

 

 それを見て、胸が苦しくなる。

 いつもよりもずっと、心が揺れた。


 逃げ出すように、足をもっと早めた。

 地面を踏む足に力を入れて、左右の足を交互に早く動かして走り出す。


 足が痛い。

 硬い靴底が、衝撃を吸収してくれなくて、地面を蹴るたびにズカズカと足の爪を叩いてくる。


 花びらを踏むたび、ぐにゅ、と滑る。嫌だ、と思っていると、小石につまずいた。


 転びそうになって、体が傾き、目の前に地面と花びらが迫って、転ぶ直前で立て直す。


 前を向く。食い入るように。花びらから目を逸らして。


 どうしようもなく、イライラした。

 とめどなく、ムカムカして、気持ち悪い。


 花なんて嫌いだ。大っ嫌いだ。


 綺麗なのに。素晴らしいのに。それなのに、子孫のために咲いて、勝手に散って。種が育つ頃にはいなくなって。


 どんなに綺麗で素晴らしくても、身勝手だ。何もわかってない。こっちの気持ちなんて、全然知ったこっちゃない。


 気が立った。ずっと抑えていたものが、解き放たれたように。


 苦しくて、呼吸にのせた。上を見上げて吐き出した。無理に上を向いたから、走るフォームがバラバラになって、まるでもがいてるみたいに手足がバタつく。頭上には満開の花が綺麗に咲き誇っていた。

 

 あなたたちはいい、そこで終わりなのだから。勝手に自己満足に浸って、目を閉じればいい。


 でも、残された人は? あなたたちをしたってくれていたであろう人達は、どうやり過ごせばいいの!?


 ぼやけた背中を桜に重ねる。

 真っ暗な部屋で、一人辛そうな母を思い出す。


 どうして散ってしまうの?

 何で見ていてくれないの?

 何で自分を大切にしてくれなかったの?


 あなたたちが勝手につくって、ふれ合って、大切にして、育んだものを、どうして見捨てて行ってしまうの?


 やるせ無い気持ちを、振り絞る。


 教えてもらいたかったわけじゃない。

 やさしくされたかったわけじゃない。


 プレゼントとか、贅沢な事とか、愛情だって何も要らないから。


 だから、ただずっと、ずっと………!




 足から伝わってくる感覚が急に変わって、次の瞬間、目の前を車が横切った。驚きのあまり、急に立ち止まる。


 いつの間にか校門を出ていた。

 振り返ると、あの辛い記憶を呼び起こす桜並木は、もう、はるか後ろにあった。


 膝に手をついて、大きく息をはく。それから肩を揺らしながら、気がついたように、息を切らした。


 急に走ったから、喉が焼けるように痛い。あと、信じられないくらい、脇腹が痛い。喉のおくで、胃酸が逆流したがっているのがわかる。


 呼吸を整えながら、胸をおさえる。


 何で、あんな事思ったんだろう。

 今日は、やっぱりおかしい。


 突発的に、自分が抑えられなくなる。

 こんなの全然らしくない。


 自分らしさって、よく分からないけど。でも、ここまで抑えが効かないのっていつ以来だっけ? と思うくらいには、今日は情緒不安定だと思う。


 これも全部、母さんに怒られたからなのかな? それとも、ノアのおかげかな?


 そう思うと、何だかすべてがおかしく感じられた。別に二人を責めてるわけじゃない。何だか今は気分が良かった。


「うん、やっぱり今日はおかしい」


 頭の中はぐちゃぐちゃで、整理なんてできないのに、どうしてか清々しい。


 視界が彩られている。目に映る物全てが綺麗に感じる。


 まるで夢の中みたいに落ち着きがなくて、ふわふわしていて、でも、やっぱりおさえた脇腹が痛いから、これは現実なんだと実感した。


 そんな事を考えていると、道路が静かになった。


 前を向くと、近くの横断歩道の信号が、青に変わっていた。


 体を起こし、また足を進める。


 あと少し。もうひと頑張りだ。


 この道路を渡れば、ノアの待つ場所までは目と鼻の先だ。


 起きた出来事も、過ぎた時間も、もう取り戻す事はできないけど。でも、これから出来ることは、まだ起きていない事は、もっとよくしていきたい。


 私に出来ることなんて、きっと些細な事だけで、それでもしてあげたい。


 たとえ側にいる事しかできなくても、もしかしたら誰からもそんな事は望まれていないのかもしれないけど。それでも今は、自分にできる事を、一つでも多くしたいんだ。

 


 

 

 


「すみません!」


 息切れしながら、職員玄関の傍にある、小さなガラス戸から事務室に向かって声をかけた。


「え? あ、はい。どうしましたか?」


 ガラス戸を開けて、その先にきょとんとした若めの男性の人が、顔を出した。


「向かいの高校に通っているっ、早瀬と、言います。あの、こちらに通っている五年生のっ」


 そこまで言って、咳き込んだ。

 ここまで全力で走ってきたから、声を出すのも大変なくらい、息が上がっていた。


「ちょっと君、大丈夫? 息切れしてるけど?」

「大丈夫ですっ! それよりも、こちらに通ってる五年生の、きずくノアを迎えにきました」


 強く言って、勢いのあまり、ガラス戸の前にあった木できたテーブルに、手をついて身を乗り出す。


「わかった、わかったから。とりあえずちょっと落ち着いて。えっと、確かに保護者が迎えにくるって聞いてたけど、名字が違うし、どういった関係の方?」


 どういう関係か? そんなの、決まってる。


 数日前にあの子が玄関を通ってから、その時からずっとそうだ。もう迷わない。今度はちゃんと答えが湧いてくる。その決意を言葉にするために、姿勢をただし胸に手を当てて、息を大きく吸った。


「私は、あの子の………!」


「……まいちゃん?」


 言葉の途中で声がした。え? と急に頭の中が真っ白になって、血の気が引いた。

 

 あれ、今何て? 今の声って?


 澄んだ頭で、記憶をたどって、壁に当たって、嘘だと思った。そんな訳がなかった。怖かった、でも気になって、顔を動かして声のした方を確かめる。


 数メートル先の廊下の縁。そこに立っている女性の教員。私と一緒で、信じられないものを見たかのように、目を見開いて、驚き。ほんの少しだけ空いた口から白い歯が見えた。


 目が合うと、動かせなかった。

 頭の中では色々なものが込み上げて、混ざって、整理なんてできなかった。


 そんな中で、意識もしていないのに、口が自然と動いて、確かめるように名前を呼んだ。


葉桐はぎり先生?」


 すーっと出たその名前は、ずっと口にしていなかったのに、嘘みたいにしっくりときた。


 淡い記憶がよみがえる。


 とおい、とおい、ずっと昔の、忘れることの出来ない古い傷跡。れればんで、うみが出てる。どくどくと鈍い痛みを発して、その度にこれが罪なのだと、そう自分に言い聞かせてきた。


 静かな廊下に空気が流れて、意識を吸われる。時間が止まったかのように静かに佇み、私をその先にいる人へと、いざなった。

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