「いた」んだあとは、また「むき」あえて 8-2

 何度目かのチャイムが鳴ったとき、私はまだ職員室の隅にいた。


 もう既に、今日の学校は終わっているのに、ここで座って机に向かい、四百文字の原稿用紙と向き合い、文章が浮かべばサラサラと書いてみて、違うと思えば、未練もなく、その都度すぐに消していった。


 今書いているのは、今日の出来事への反省文。


 教員に対して、反抗的な態度をとった事への、自分なりの反省と、改善の意思表示。

 

 あともう少しで書き終わる。でもそんな時に限って、心がざわつき、なにも浮かばなくて、気分を変えるために、一度シャープペンを置いた。


 あと数行を書けば、ここから解放されるのに。そうすれば、ずっと待っているノアを迎えにいけるのに。考えれば考えるほど、力むだけで、何も進まなかった。


「手こずっていますね」


 気がつくと白木しらき先生が近くから興味深そうに原稿用紙をのぞいていた。時間がかかっていたから、様子を見にきてくれたらしい。


「はい。最後だけがうまく書けなくて」

「そうなんですか? ちょっと見せてもらってもいいですか?」


 どうぞ、と書き途中のものを先生に差し出した。先生はそれを受け取ると、さっそく私の向かいの席に座り、静かに読み始めた。


「今日のテーマは『怒り』についてですか。さすがですね」

「殴り書きですけどね」

「そんな事ないですよ。よく書けてます。多方面の知識を早瀬さんの視点でまとめてあって、読んでいる僕ですら、今までの自分を照らして、行いを反省したくなります」


 そう言うと先生は再び静かに読み進めていた。どこか儚く、遠くを見るように私の作文を見て、最後まで読み終えると「もう、今日はここまでにしましょう」と私に告げた。


「でも、まだ書き終わっていません」


 もう少しで書き終わるのに。


「もう十分です。それに、今日の早瀬さんは、こんな反省文を書く必要はないでしょう」

 

 ゆっくりと机の上にかぶさっていく、薄くてカサカサした原稿用紙を目で追った後に、顔を上げた。


「聞きましたよ、自分から書くと言ったと。そこまでする必要はなかったのに」


 あの後、一通りの話が終わると石崎先生から「教室に戻っていい」と言われた。でも私はその言葉を断って、反省文を書きたいと、自分から提案した。


「どうしてまたそんなことを?」


 らしくない、と言いたげな先生に、私は何も答えなかった。言い辛い、という事もあったけど、何を言っても言い訳にしかならないと思った。


 そんな私を見て、先生は少し考えて、それから「すみませんでした」と静かに私に謝った。


「どうして、先生が謝る必要があるんですか?」

「僕がしっかりしていれば、石崎先生があのような行動に出る事もなかったですから」

「そんな、元はと言えば私が書いて提出していれば済んだことなのに」

「それを許可したのは、僕ですから」


 先生は表情を緩めると、手に持った私の反省文をクリアファイルに収めた。


「確かに預かりました。だから今日はもう帰ってもいいですよ」


 先生はそれを持って立ち上がった。

 気を落として、少し肩を重そうにして、疲れているようにも見えた。


 私も、そんな先生の後を追って立ち上がり、先生たちが行き交う、空気のにごった職員室を後にした。

 

 職員室から出て、人気のない少し冷えた廊下の空気を吸い込むと、扉の横で待っていた白木先生は私に声をかけた。


「そういえば早瀬さん、石崎先生からこれを預かりました」


 横を向くと、先生が手に持っていたクリアファイルから、私の進路票を取り出した。


「石崎先生はバラバラだと言っていましたが、僕はいいと思います。これで詰めていきましょう」

「でもそれ、結構適当に書きましたよ?」

「それでも、やってみたい事なんですよね? ならいいんじゃないですか。細かい事は後からで」


 んー、と愚守る私と違って、先生は嬉しそうに、私の進路票をみていた。


 多分、先生は安心したんだと思う。


 ずっと私が悩んで、立ち止まっていた事を知っていたから。だから今まで提出していなくても、先生は何も言わず、急かさずに、相談にだけ乗ってくれたいた。そんな問題が今日、不本意ながらも進捗があったのだから、当然なのかも知れない。


「………石崎先生に、進路を決めれば両親も喜ぶだろう、と言われました」


 自分の事のように喜んでいる先生に向かって、声をかけた。ちゃんと何に悩んでいるかを話しておこうと思って。


 すると、私の言葉に反応して、先生が私をみた。その目には驚きと、言葉に表せないような、感情が入り交じった複雑な表情がが浮かんでいた。


 それでも、言葉を進めた。


「その時に、すごく頭にきました。何を言ってるのかと、知ったような口を聞かないでほしい、と。私がどんなにいい進路に進もうとも、私が望んだ進路じゃなければ、あの人も、母さんも、絶対に喜ばない」


 成り行きで決めた進路なんて、あの人は絶対に悲しい顔をするし、母も絶対に納得しない。それがわかっているから。


「そこに書いた進路も、正直、まだ迷っているんです。自分が本当にやりたい事なのか、わから」


 何も望まず、生きていくだけなら、難しい事ではなくて。でも、誰かの期待とか、そう言ったものを背負って、ましてや自分のしたい事を目指して生きていくなんて、


「私には難しいです」


 すっと答えが出る。

 結局はそこなのだろう。

 あの二人が納得する答えなのか、自信がない。二人が喜んでいる姿は見たいけど、それでは自分の為ではなくて、二人の為になってしまう。


 似ているようで、でも矛盾して、絡まっている悩みの答えを、私はまだ出せていない。

 

「なら、今を楽しんでください」


 時間を開けて、少し微笑みながら、先生はさらりと軽い口調で言った。


「え?」

「少しでもいいんです。自分が楽しいと思える事を、まずは何も考えず、楽しんでください。そして、その日の最後に楽しい事がこれからもより良く続いていけるよう、考えてみてください。大丈夫ですよ。早瀬さんならそれだけで、きっと良い未来を選べます」


 予想だにしていなかった先生からの言葉に呆気を取られていると、先生は恥ずかしくなったのか「何てね」とあどけてみせて、それから「気を付けて帰ってくださいね」と言い残して、どこかへと向かい、廊下の先へと消えていった。


 


 先生と別れた後は、教室に置いたままになっている鞄を取りに、一人廊下を歩いていた。


 もうすでに生徒は下校を終えていて、連休明けで、ずっと浮き足だって落ち着きがなかった廊下が嘘みたいに静かだった。

 

「今を、楽しんで」


 先生の言葉を、口ずさむ。

 

 楽しいって、私は楽しんでるよね? と、遠くの自分に囁いてみる。


 つらかった時期もあったけど。多分今は、ずっと、楽しめてると、そう思う。母とも良く話すようになったし、友達だってできた。新しい生活だって。でも、自問してみると、悔しいくらいに、確信がなかった。


 窓の外へと意識を向けると、その先の小学校を見るたびに、胸がずきずきと痛んだ。


 そうだ。楽しんでる場合じゃないんだ。

 早く迎えに行かないと。


 迎えに行くと言ったのに、何をまたボサついてるのだろう。


 でも、早く行かなきゃいけないのに、頭ではわかっているのに、足がくすんで、歩く速度は落ちていった。


 そんな時だった。急にポケットの中の携帯から音が鳴った。誰かと思って、手に取って画面を見ると、そこには母の名前が表示されていた。

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