『なぞ』った跡は、また『いた』んで 7-2

 

 掲示板に貼られていたクラス分けを見て、昇降口で靴を履き替え、新しい下駄箱に靴を入れて、廊下を歩く。

 

 意外な事に、もう既に何人かの生徒は来ていて、廊下で会話を楽しんでいた。

 なら、もう誰かはいるかなと考えながら、廊下を歩いて新しい教室の扉を開けると、あては外れて、まだ誰も来ていなかった。


 人生で初めての、一番乗りの登校。


 別に嬉しくもなんともなく、なんにもないな、と静かな教室を見渡して一人自分の席に着く。

 

 鞄から何冊か本を取り出して机の上に重ね眺める。どの本も何度も読み返して、端は白く削れ、ページはよれてしまっていた。


 そんな古びた本を一冊だけ手に取って、ページをめくる。


 今日は授業はないし、学校も午前中だけで、何も持ってくる必要は無いはずなのに、こうして持ってきてしまっているのだから、これはもう依存でしかない。


 長年繰り返して身に染みた行動。

 私が落ち着く為の行動。


 その行動をしてる自分が、どうしてか腹立たしくて、手に力が入る。


 舌を噛み切ってしまいたいほどの衝動を抑えて、代わりに本を閉じ、目をつむる。


 何をこんなに苛立っているのだろうか?

 理由はきっと明白だ。

 それは誰のせいなのだろう?

 自分以外に誰がいる。

 

 自問を終えて、目を開ける。

 さっきよりは落ち着いた気がした。

 静まった教室にただ一人。自分の呼吸を聞きながら、自身の問題に目を向けた。




「………昨日あったアイツ、絶対チーターだって」

「だよなー。運営仕事しろよー」


 廊下から気の抜けた声がして、続いて扉が開く音がした。ゆっくりとそちらへと目を向けると、教室の入り口に立った仲の良さそうな男の子たちが目に入った。


 二人と目があって、挨拶をしようと口を開けると、二人は急に慌て出した。


「すみません! うるさかったですよね、静かにしてます!」

「おい! うるさいって! すみません勉強の邪魔ですね、あっち行ってます」

「あ、ちょっと待って!」


 何故か出て行こうとする二人に向かい、立ち上がって呼び止めると、何だか気まずい空気が流れ出す。


「えっと、おはよう。別に勉強してるわけじゃないし、邪魔ではないから。気にせず普通に過ごしてよ」


 そう言うと二人は顔を合わせて、それから私に向かって頷いて、緊張した様子で席に向かった。


 ふー、と息を吐いて再び椅子に座り、また本に視線を戻す。


 相変わらずだけど、私は嫌われる。

 それもそのはずで、誰もこんな面倒な性格をした人と話したくはないだろうし、警戒されても仕方のない行動を、私はしてきた。


 距離を置かれることは構わない。今に始まった事ではないし、いまさら何も気にしていない。

 でもこの居心地の悪さを相手も感じているのなら、その事を負い目として、感じずにはいられなかった。



 それから少しすると、一人、また一人と新しいクラスメイト達が教室にやってきた。

 みな教室に入るまでは元気で、扉をくぐると静かになる。


 空気が重い。


 教室中がまるで考査前のように、緊張に包まれていた。席を立っている人はいなくて、全員が何もせずに静かにしている。


 廊下からは楽しいそうな声が聞こえてくる。わーとか、きゃーとか、誰かが走り回る音も聞こえて、それらの音が虚しいくらいに、静かな教室に響いていた。

 

 我慢ができなくて、席から立ち上がる。

 ここを離れよう。居心地が悪いし、きっとこの空気は私が原因だから。

 

 そう決意すると、机の上に置いてある本の中から、一冊だけ手にして廊下に向かい歩き出す。

 歩き出したとたん、至る方向から視線を感じて、それらに反応しないように意識した。


 廊下に出ると、大きなため息が溢れた。そのままくたびれて、隣の教室との間の壁に身を委ねる。


 気を張るのは疲れる。

 それがどんな相手でも、そこに誰かがいれば私は意識せずにはいられない。いもしない相手を追いかけているうちに、そう育ってしまった。

 それはきっと悪いことだけではないけれど、誰かと過ごす上で、いつも多大なストレスを私に与えてくる。


 この事さえなければ、誰とでももっと自然に過ごせるのに。


「あっ! ほんとに真維まいいた! おはよー!」


 明るい挨拶に、気を取り直して顔をあげると、廊下の先であかりが茶色い髪をなびかせて元気に手を振っている姿が見えた。その隣には、鬱陶うっとうしそうに灯の手を避けている潮音しおんもいる。

 こちらに向かって歩いてくる、昨日ぶりの二人に挨拶をした。

 

「二人ともおはよう。今日は一緒にきたんだ」

「そうそう! 不安だから、一緒にクラス表みてくれーって潮音が頼んできて」

「言ってない!」


 呆れたように、潮音が強く否定する。


「じょうだんだよ、冗談。もう、そんなに大声出さないでよ」

「変な冗談つかないで、面白くないから」


 私の前で、リズムよく二人は会話をする。

 潮音はそう言うけど、私はそうしている二人を見るのが好きだ。なんだか自然で、とても落ち着く。


「あ、そうだ真維。今年のクラスは三人一緒だね。去年は潮音だけ省かれてたから何だか嬉しい!」


 そう言うと、灯は潮音の肩に手を回した。潮音は見るからに嫌そうな顔をしてるけど、手をどけないあたり、そこまで嫌ではないらしい。


「そう……なんだ」


 多分、喜んでいる二人に対して、複雑な返事を私は返した。


「そうなんだ……って、クラス表みてないの?」

「ごめん。自分の名前しか……みてなかったから」

「いや……別に真維が謝る事ないんだけどさぁ………」

 

 私の一言のせいで、灯はさっきまでは楽しそうにしていたのに、今は困ったように表情を曇らせている。


 潮音は何も言わずに、真剣な眼差しを向けて私をみていた。


 その視線から逃れるように、歩き出す。


「真維」


 歩いた先で、潮音に呼び止められて振りむいた。


「何かあったの?」


 心配と疑問が入り混じった表情で、潮音はいてくる。


「ごめん、今はちょっと一人になりたい」


 それに理由を話すわけでもなく、嘘をつかないように、今の気持ちを正直に話した。


 潮音なら、それでわかってくれると、心のどこかで甘えていた。そして、そのとおりに「わかった」と潮音は一言で返してくれた。


 やっぱり潮音はやさしいね、と口に出さず感謝して、代わりに安心させるように、できるだけ穏やかに微笑み返した。


「ありがとう。心配しないで、一人で考えたいことがあるだけだから」


 そう言って二人に背を向けて、一人になれる場所を求めて歩き出す。

 廊下を進んで、階段を降りて、また廊下を進んで、やがて別棟に続く渡り廊下まで辿り着くと、ようやく一人になれた。


 手すりにひじを置いて、春の生暖かい風を感じながら外の景色を眺めて、それから手に持っていた本へと目を向けた。


「先生も置いていったんだ」


 黒いブックカバーをつけた本に向かって言葉をかける。


「どんな別れだったの?」


 つらかった? 悲しかった? それとも、笑っていた? どんなふうに別れを演出して、それでいて、何に向けて人を動かしたの?


「教えてよ………」


 本は何も話さない。中に書かれている内容は、いつも私の問いに答えをくれない。


 あの人は答えを知っているのに、何も残してくれなかった。教えるだけ教えて、振り回すだけ振り回して………

 それによって、残された人がどれだけ苦しんだかを、あの人は知らない。


「ほんと、無責任………」


 そして、その無責任さを、私も受け継いでしまっている。

 そう思い、歯を食い縛ると、遠くの方でチャイムの音が聞こえた。

 おそらく隣の小学校のものなのだろう。授業時間が違うから、講義中でもうっすらと聞こえてくることがある。


 ノアは、どうしているのだろう。


 私と違って、学校に楽しみがあると言っていた気がする。友達と過ごすのが楽しいとも、言ってたっけ。


 新しいクラスはどうなったのだろうか。

 不安そうにしてたけど、仲のいい子と一緒になれたかな。


 そうなればいいなと、私には願うことしかできない。側にいてあげると言ったけど、学校が始まってしまえば、日中の間は会うことはできない。


 これから先も、どこまで一緒にいてあげる事が出来るのか分からない。


 そんな不確定な未来に、傷つけると言う確定された出来事が待っているなら。



「一緒にいない方がいいのかな」

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