『なぞ』った跡は、また『いた』んで 7-1

 桜が舞ってる。


 朝の新鮮な空気を吸って、校門から校舎まで続いている中央道の周りに植えられた桜並木を見ながら、そう思った。


 足元には落ちた花びらが、まるで絨毯じゅうたんのように積もっていて、まだ人通りが少ないからか、どれも綺麗に形を残していた。


 その花びらに、躊躇ちゅうちょなく足を踏み込んだ。


 とたんに、すべる。

 ローファーの硬めの靴底から、薄い生物なまものが擦り潰れて、そのあとに硬くザラついたアスファルトの感覚が伝わってくる。


「なんだか、気持ち悪い……」


 目を細め、奥歯を噛み締める。


 そう思ってしまうのは、きっと桜のせいではない。


 こんな気分になってるのは、きっと、


「おはよう御座います。早瀬はやせさん」


 聞き慣れた男の人の声に顔をあげると、スーツを着た、細身で少し心許ない三十代に入りたてくらいの男の人が箒を持って立っていた。


「おはようございます。白木しらき先生。朝から道路の清掃ですか?」

「そうです。花びらは綺麗ですが、これが原因で生徒が足を滑らせたら大変ですからね」


 国語の教科書のような丁寧な言葉使い。

 白木先生はどんな人に対しても敬語を使う。理由はありそうだけど、なぜ? と多くの生徒が理由をいては、敬語が好きだから、と答えては煙に巻いて、その真意は誰も知らなかった。


 大人からの敬語に、私も最初は戸惑いを感じたけど、今はそこまで感じない。他の生徒と一緒で、こういう人なのだと、すでに受け入れていた。


「わかります。歩いていても滑るので、自転車だと危なそうですね」

「ええ。勿体ないですがね」


 そういうと先生は物悲しそうに周囲を見渡した。せめて心にはとどめておく。そういう事なのだろう。


「先生は、桜は好きですか?」

「好きですよ、人並みにですが。そういう早瀬さんは……嫌いそうですね」


 ふっ、と笑う先生に決めつけるのは失礼じゃないかと内心思いながらも、うまい反論が頭に浮かばず、目を伏せた。


「そういう訳では、ないんですけどね」


 綺麗だとは思う。けれど、桜と言うより花がそのものが好きではない。


「落ち行く花に、意味を見出せないだけです」


 せっかく綺麗に咲いているのに、それは花にとって始まりではなく、終わりを示している。

 一生を使い、子孫を残すために全てをかけて、子を見ずに枯れる。そんな仕組みに、色々な物を重ねてしまうから。


「意味、ですか。相変わらず難しい事を考えていますね」

「気にしないでください。十代特有の戯言たわごとなので」

 

 上を見上げると満面の薄い桃色が広がっていた。どの木もすでに満開を迎えて、あとは散るのを待っている。


「そこにいて欲しかった」


 散るのではなく、ただそこに。


「何か言いましたか?」

「いいえ何も」


 そうですか、と言って先生はそれ以上は訊いてこなかった。

 踏み込むべきか、そうではないのかを、この人はわきまえて、知っている。

 そんな知識が私にもあれば、もっとうまくできるのでは、と思わずにはいられない。


「そう言えば早瀬さん。今朝はずいぶんと早いんですね」

「あ、そうでした。先生急なんですが、私今日から通学をバスに………」


 そこまで口にして、はっ、と気がつき言葉を止めた。


「すみません。もう担任ではありませんでしたね」


 白木先生は、去年のクラスの担任の先生だった。

 先生にとってはあのクラスが初めての担任だったらしく、初めて登壇した際はえらく緊張していて、何を話すにも二言目には言葉を噛んでいた。


 そんな初々しかった先生も、今ではすっかり落ちついて、生徒から頼りにされているのだから、一年もあれば人は学び、変われるのだろう。

 

「去年は色々とお世話になりました。先生のクラス、楽しかったです」

「ありがとうございます。早瀬さんにそう言ってもらえると、何だか天狗てんぐになってしまいますね。僕も楽しかったですよ、出来るのならこのまま卒業まで皆さんを見守って行きたいと願ってしまう程に。でも、それでは“傲慢だ”と言われてしまいますかね?」


 その問いの答えを、私は知らない。そもそもその問いは、私に向けられてはいない。

 私も訊いてみたい。だから、問いかけられた言葉を胸の奥で響かせた。

 胸の奥にしまい込んだ記憶と、追ってきた知識を頼りに、たずねてみる。すると、すぐに答えが返ってきた。


「………言うのではないのでしょうか。あの人は去る事に重きを向けていたみたいですし」

「でしょうね。僕も上手いこと置いてかれましたから」


 共通の人物に対して、二人して同じ答えにたどり着き、互いにふっ、と小さく笑ってしまう。

 やっぱりあの人はぶれないんだな、と改めて感心する。


「通学の件ですが、新しい担任の先生に伝えてください。定期が必要なら、必要な書類を用意するので」


 もう関係ないのに、先生は先ほど言いかけた私の問いに答えてくれた。そういう丁寧な対応も、生徒から慕われる理由なのかもしれない。


「はい」


 そう返すと、少しの間だけ、道路に積もった桜の花びらに目を向けた。


 私もこの景色を思い残しておこう。きっと帰りには違う景色なのだから。



 

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