『きれつ』のふちを、ただ『なぞ』って 6-4

 くしゃくしゃなわたしの髪と違い、黒くてさらさらとした長くて綺麗な髪が目を引く女の子。


 その子もまだ来たばかりなのか鞄を背負っていました。わたしには見向きもせずに、机の上に鞄を置いて荷物を取り出すと、一度ため息をついて、そのまま目を細め机を見ていました。


 何となくなのですが、その子はどこか寂しげに見えて、胸の奥で何かが引っ掛かりました。

 声をかけてもいいのでしょうか? 

 少し悩んでから、すぐに決心をします。きっと、お姉ちゃんなら声をかけると、そう思ったからです。


「あの……」

「んー?」


 勇気を出して話しかけると、その子は何の迷いもなく振り返って、その少し冷たい視線にひるみました。でも、それに負けないように、


「おはよう、ございます!」


 と声を振り絞ると、思っていたよりも固い挨拶になってしまい全身に鳥肌が立ちます。


「あ……うん。おはよう」

 

 でも、その子はあまり気にしていないのか、静かに微笑みながら優しく挨拶をしてくれました。

 

 その事に逆に驚いてしまって、何も言わずに固まっていると、気を遣ってくれたのか、今度はあちらから話しかけてくれました。


「えっと、廊下で何度かすれ違った事あったけど、初めまして……で合ってるよね?」

「あ……はい。わたし、きずくノアって言います。その……よろしくお願いします!」


 緊張のあまりに、ガクッと不自然に背中を曲げて頭を下げました。

 またやってしまいました。何がよろしくなのでしょうか? 自分で言っておきながら、主語がない言葉に恥ずかしくなります。


「“きずく”って、もしかして…………」


 え? とかけられた言葉に反応して顔をあげると、その子はハッとして、手のひらを胸の前に出して慌てて振りました。


「あ、そんなかしこまらないで! 肩の力抜いてよ。私は、」

「“きずく”ってあれだろ! 母親抱いてたっていう」

 

 視覚の外から聞こえた声に、身の毛がよだちました。

 ゆっくりと、声のした方へと顔を向けます。


「ん? 何それ?」

 

 隣の席の男の子が不審そうに聞くと、立っていた子は眉をへの字に曲げました。


「お前知らないのか? ほら! 年明けに少しだけ噂になったやつ」

「あー、知ってる。あれでしょ、母親が死んでたって」


 立っていた男の子たちが話題を広げて会話しています。その様子は楽しそうで、一体どんなふうに反応していいのか困っていると、バン! と大きな音を立てて、隣の席の男の子が立ち上がりました。


「おい! やめろよ!」

「えー、でも噂の真相知りたいじゃん。先生たちが注意したせいで話題出せなかったし」

「そうそう、気になるじゃん! なー、実際どうだったのやっぱマジなの?」

「だから! やめろって!」


 大きな声におびえながらも、呼吸を整えます。


 わかっています。

 男の子達はただ知りたいだけで、悪気があるわけではないのだと。前のクラスでもよく聞かれて、その度に話をして、離れた子もいれば、変わらずに接してくれる子もいます。

 そもそも、隠せるわけがないのです。だから、話すなら早めに、今、ここで……


「………あのねっ」

「やめなさいって!」


 勇気を出して口を開くと、それを遮るようにまだ名前も知らない前の席の女の子が、わたしたちの間にわって入りました。ものすごい気迫きはくで相手をにらんで、それに男の子たちがひるみます。


「あなた達何考えてんの? そんな事して楽しい?」

「は? 何だよいきなり、おまえには関係ないだろ?」 

「あなた達だって関係ないでしょ?」


 きつめの言葉にその場にいた全員が引き下がります。


「あの、わたしは大丈夫だからっ」

「どこが大丈夫なの? きずくさんは何も言わなくていいから」

「はっ? 大丈夫って言ってるんだから、話させればいいだろ!」


 止めどなく爆発するように熱のこもった言葉が行き交えます。


 もはや、始まった理由など関係なく、みながムキになっていて、いつの間にか、わたしは蚊帳の外にいました。


 どうしたらこの場を収める事ができるのでしょうか? こんな筈ではなかったのに。ただ挨拶したかっただけなのに、わたしが争いのきっかけをつくってしまいました。


 気づけばクラスの誰もが私たちに注目しています。


 人の間から、里奈りなちゃんが体を動かしてこちらの様子を伺っている姿が見えました。その表情はとても必死で、心配しているみたいです。


 どうにかしないと。


 里奈ちゃんに心配をかけないように、この場を鎮めるために、もう一度口を開きました。


「もういいよ、あの、そんなに大した事じゃないから。話せる事だから、だからっ」

「大した事じゃない? そこまで怯えてるのに、そんな訳ないじゃない。それに、私はこいつらの………興味本意で他人の不幸を笑おうとしてる奴らが気に入らない!」


 そう言うと、髪の長い女の子は再び男の子たちと向き合いました。


「うるっせーな! 大体何でお前が出てくるんだよ。なんかとくでもあるのかよ!」

「は? 理由なんているの? 大体そんな事として………」


 歯を噛み締めて、あごを引き大きくためると、


「城さんが思わないの?!」


 あの子は、そう言い放ちました。




 “ぷつん”と音がして………わたしの中の何かが切れました。


 音がよく聞こえません。

 視界に映る世界は騒がしいのに、とても静かです。


 でも焦りはなくて、なんだか穏やかで、すーっとして、天井から何かに釣られているかのようにふわふわして、意識が散乱します。


 自分に起きた事がわからなくて、前を見ていたら、クラスメイトが一人、また一人とわたしを見てそのまま固まり、やがて言い争っていた人たちも静かになりました。


 急にどうしたのでしょうか? よく分かりませんが、でも、言い争うのをやめてくれたのでよかったです。


「ノアちゃん!」


 誰かの声に驚き、手を掴まれて、ようやく世界に音が戻ってきます。


「里奈ちゃん?」


 掴まれた手の先には慌てた里奈ちゃんがいました。こんなに慌てている姿を見るのは、出会ってから初めてです。


「ねえ、ノアちゃん。ちょっと外いこうよ。図書室でも保健室でもいいから。私も一緒に行くから」

「えっ? でも、もうすぐ先生がっ………」


 のどに違和感を感じて、言葉がすぼみます。喉に手を当てようとして、前へとかざすと、視界の隅がぼやけていました。

 

 なに? と目をこすると、指に水滴がつきました。


「ねえ、あの子泣いてるの?」

「誰だったっけ?」

「ほらあれだよ、隣のクラスだった」

「あぁ、年明けの」


 教室中がざわついて、その一言一言がわたしに響いていきました。


「ノアちゃん! 行こう!」


 里奈ちゃんは必死になって、手を引いています。けれど、わたしはその手を振り解きました。


「だいじょうだよ、里奈ちゃん。目にごみが入っただけだよ」


 苦し紛れの言い訳をして、あいた両手で目を強く擦り、どうにか涙を止めようとします。


 きっとすぐに止まるはずです。そうです。笑顔だって練習したんです。みんなに気を遣わせたくなくて、まだ強くはなれませんが、弱い自分を隠すために、あの日からずっと練習したんです。


 それを証明したくて、目元を擦り続けていると、また誰かの手がわたしの手を掴み、止めました。


「ちょっと……やめなよ。目を痛めちゃうよ……」


 その手の先で長い髪のあの子が、不安そうな表情でわたしを見ていました。


「だいじょうぶ。ほんとに、すぐに」

「やめなって! ごめんなさい、私が悪かったから」


 何で謝るのでしょうか?

 あの、母のお葬式にいた、あの人たちと同じような⋯⋯⋯哀れるような、その視線を向けて、どうして謝るのでしょうか?

 


 何で、そんな目でわたしを見るのでしょうか? やめてほしいです。それでは、まるで、まるで………


「だいじょうぶだよ!!」


 大声を出して、手を振り解いて一歩下がり、顔をぬぐいます。


「だいじょうぶなんだよ。ほんとに、だいじょうぶで、問題なくて、いつもどうりで、だからっ」


 胸をおさえて、歯を噛み締めて、目を擦って、息をして、それでも涙は止まらず、溢れてきます。


『あの子がそうだって』

『あー、そうなの。かわいそうに』


 うるさいのです。


『やっぱり、女手一つでは無理だったのよ』

『子供を一人残して行くなんて、何を考えてたんだか』


 何がわかるのですか? 


 全てが終わった後に現れたあの人たちに、わたしと母の


『そんな事して………きずくさんが思わないの?!』


 何にも知らないのに。




「かわいそうだなんて⋯⋯⋯⋯いわないでよ………」

 

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