回廊③
朝は静かで、気持ちのいいくらい穏やかな朝日がカーテンの隙間から差し込んで、部屋の中を照らしていて、その空間の中で私は布団の上にただ座り、下を向いて動けないでいた。
ただじっと、足元に視線をおとして、物音を立てないよう意識していると、こんこん、と扉をノックする音がして続いて母の声が聞こえてきた。
「真惟、起きてる?」
答えなかった。だって、音を立てたら起こしてしまいそうだったから。
「………入るわよ」
そう言われてまた返事をしないでいると、ゆっくりと扉が開いて、母が部屋へと入ってきた。
「おはよう、真惟」
「おはよう」
下を向いたまま関心を向けずに、答えた。
「朝よ、そろそろ準備をしなさい」
「わかってる」
そんな事は言われなくたって理解してる。けれど、動き出すことが出来なかった。
「あなたの部屋、初めて入ったわ。こんなふうだったのね」
こんなふう? そんなの見なくたって母は知っているはずだ。
「ここにある物のほとんどは、母さんが買ってきた物でしょう?」
私はこの部屋に何も置こうとしていない。ここでは寝ることができて、あとは勉強さえできれば十分で、他には何も要らなかった。
「そうね。あなたは何も要求してこなかったものね。それで、いつまでそうしてるの?」
顔をあげて母を睨んだ。斜めに入った朝日が母の体だけを照らしていて、顔には影がかかって不気味に感じた。
「もう少ししたら準備する」
「もう少しっていつ? ほら、ノアちゃんも起こさないと」
「やめてよ!」
手を伸ばそうとした母に、強く言った。
「もう少し寝かせててよ」
また下を向いて、足元で眠っているノアを見た。大きな声を出してしまったのに、彼女はまだ夢の中で、穏やかだった。
朝、目を覚ますとノアは私の隣で眠っていた。
いつからそこにいたのかはわからないけど、自分の布団から出て、毛布に包まり小さな体をさらに小さく丸くなって身を寄せて、また私の腕を掴んでいた。
「私に何ができるの……?」
あたたかな手を握り返して、自分に問うた。
「自分の事すら何一つできてないのに」
しあわせであって欲しい、健やかにここで過ごせるようになって欲しいと思う。
でも、そのためにどうすればいいのかがわからない。
自分の幸せすらはっきりとしなくて、辛かった記憶をずっと引きずってるのに。
「あなたって、なんにも変わらないのね」
げっそりとするような冷たい声に、背筋が凍えた。
「母さん?」
声が震えて、顔をあげたくても、視線が怖くて、恐怖に負ける。
「その子がどうしてここに来たのか、どこまで知ってるの」
「……母親が亡くなったって」
そこまでしか聞いてない。
「そう、実はねその子のお父さん、まだ生きてるの」
「は?」
「まあ、離婚はしてなかったけど別居してたし、会ってみたらどうしようもない人だったけど、その子のお婆さんはとってもいい人でね、どうやって育てていくのが一番その子の為になるのかよく話し合って、その上でその子に訊いてから決めたの」
語られた言葉が耳を流れていって、定着しなくて、頭の整理が追いつかない。
「そうやって、その子は自分で決めてここに来たのよ」
何が? どうやって? と混乱していると、母の手が、そっと静かに私の肩を掴んだ。
ゆっくりと顔が近づき、恐れていた視線が、目前に広がり、逃げられない。
「その子の母親との別れがどんなのだったか聞いた?」
囁くようなその声が怖くて、首を横に振る。
聞いてはいない、だってその前に私が遮ったから。あの子を抱きしめて、“また今度にしよう”と言ったから。
「そう、でも想像がついてるんでしょう?」
「わからないっ」
「嘘ね。だってあなたは頭が良くて、察しがいいもの」
そんな事ないと、さっきよりも強く首を振った。私は馬鹿だ、出来が悪い子だから、わからない、そう頭の中で否定した。
「なら、教えてあげる」
母はいつもと同じ当たり障りのない笑顔を向けると、まるで泣く子をあやすように話しだした。
「その子はね、抱いてたの。ずっとずっと、何日もの長い間、衰弱して意識を失いながらも、他の誰かが訪れるまでずっと」
さっきまでとは違って、ゆっくりと、一語一句、丁寧に語り、その言葉たちが、
「腐った自分の母親を抱いて寝てたのよ」
私の中で繋がっていった。
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