『ふか』い跡は『きれつ』になって 5-2

 お昼が過ぎて、普段よく寝ていないせいか、ゆっくりとうたた寝をしていた時でした。


 急にき気がして、わたしはトイレへと駆け込みました。


 そこまでは我慢できていたのですが、トイレについて、少し口を開けると、おさえの効かず、胃から押し上げてきたものを、そのまま吐き出しました。

 

 胃からのどを通って、食べたものが流れていく感覚は、いつになっても好きにはなれませんでした。

 ですが、変に力まずらくにしていれば喉を痛めないで、体の疲労も抑える事ができると、母が亡くなってからの、この数ヶ月の生活の中で学びました。


 喉の奥から感じる、変な酸っぱさと、口の中に残った食べ物の残骸を気にしないようにして、トイレを流し、洗面台に行き、口をゆすぎました。


 また、吐いてしまいました。


 ここにきてからは、はじめてのことで、もう、大丈夫かと安心しきっていたことと、今日お姉ちゃんがお出かけをする前に作ってくれた物を吐いてしまった、その事実が、深くわたしの心をえぐりました。


 油断をしていたのです。


 あれだけ毎日のように吐いていたのに、すっかりとそれは収まって、色々と言葉をかけてもらえたおかげか、少しは自信もついて、それなのに、一人になったとたんにこれでした。


 うたた寝をしたときに、夢を見ていました。


 母のお葬式の、あのひつぎに収められた姿を。

 眠りが浅いせいか、現実味のあって、脳裏に何度も再生されるその姿を、強く思い出してしまったのです。


 この有り様を、お姉ちゃん知ったらどう思うのでしょうか。


 きっと心配してくれて、はげましとはまた違った言葉を、かけてくれるのでしょう。


 あの人は、やさしすぎるのです。


 人にあまえずに生きよう、そう誓ったのに、無意識のうちにあまえてしまいます。


 ほんとうに不思議な人で、あまえていても、どこか厳しくされていて、それがここちよくて、自然とそうしていたくなります。


 出会ってから数日しか経っていないのに、わたしを信用してくれて、わたし自身もそれに応えたいと、強く思うのです。


 だから、あの人がお友達と遊びたいと言った際に、わたしの事を気にせずに行ってきてほしいと、楽しんできてほしいと思いました。


 数日前に、そばにいると、あの人はわたしを抱きしめながら、そう言ってくれました。

 その言葉はまっすぐで、ただ励ますだけのやさしいだけの言葉ではなく、そうするからと、決意の表れのようにも感じられて、ここにいてもいいのだと、ようやくそう思えたのです。


 ですが、わたしのいることで、あの人の日常を崩してほしくないのです。


 わたしがくる以前から続いてきた生活を、これからも大切にしてほしいのです。


 母はずっと一緒にいてくれました。その生活をわたしは当たり前だと思って⋯⋯最後はああなってしまいました。

 

 だから、もっと頑張らないと。

 好意にあまえているだけではなくて、一人でもいられるようにならないと。


 明日には、学校が始まるのですから⋯⋯




 時刻は午後の二時を過ぎた頃でしょうか。

 いつもご飯を食べる部屋にある、大きなテーブルにほほをつけながら、窓の外を眺めていました。


 外はよく晴れていて、雲もゆっくりと流れています。


 一人、というのは退屈です。

 

 眠くないわけではないので、寝てしまっても良かったのですが、また夢を見てしまいそうで嫌でした。

 

 静かな部屋のなかで、冷蔵庫から聞こえてくるよくわからない電子音に耳を傾けていると、ぐー、とお腹が鳴りました。


 さっき吐いてしまったからでしょう。

 再び気分が落ち着いてきて、余裕ができたおかげなのか、お腹が空腹を知らせてきます。


 仕方なく立ち上がって、冷蔵庫の前まで行き、扉を開けて、お昼に残したものを見つめました。


 お昼にわたしが食べるように、お姉ちゃんがお出かけをする前に作ってくれたのですが⋯⋯どうしてなのか、量が多くて半分くらい残してしまったのです。

 

 それらを手に取って、電子レンジで温めてテーブルに運び、再び席につきました。

 

 料理にかけてあるラップをめくると、もあっとした蒸気と一緒に食欲をそそる香りが顔をなでました。


 味がよくみたチャーシューの入った炒飯に、野菜が多いのに形が綺麗で、ちゃんとお肉の味がする餃子。しかも、どちらも冷凍食品ではなく、手作りなのです。


 いただきます、とここにはいないお姉ちゃんにむけて一声かけて、それから料理を口にしました。味は少し濃いめにしてあって、きっと冷めてしまってもおいしく食べられるようにしていたんだと思います。

 

 お昼に一度口にしているのですが、吐いた時の感覚を忘れてしまうほどおいしかったです。でも、どうしてこんなに作ったのでしょうか? ほんとうに、


「ふしぎな人です」


 そう、料理を味わいながら、思いました。


 朝ごはんを食べて、また寝てしまった後に再び起きてくると、お姉ちゃんはまだキッチンでこの料理を作っていて、悪いとは思ったのですが、追い出すように、かしてしまいました。


 多分、待ち合わせにはまだ時間があったのでしょうけど、何だか決意がらいでしまいそうで、それで背中を押してまで早めに行ってもらいました。


 お姉ちゃんは出かける寸前まで、少し心残りがあるような、引きつった表情をしていました。

 それでもわたしが「いってらっしゃい」言うと、かんねんしてか、やさしく微笑みながら「いってきます」と言って出かけて行きました。


 心配してくれているのはわかるのですが、少し過保護すぎる気がします。 


 わたしだってもう五年生で、あと数年もすれば中学生です。

 もう子どもじゃないなどと、大それた事は思っていませんが、それでも何もできないほど幼いわけではないのです。


 ですが⋯⋯先ほど吐いてしまった事で、少し明日のことが怖くなってしまいました。


 連休明け、というのは大なり小なり不安を感じるものですが、今までとは違った不安を、春休みに入る前から感じていました。


 明日からは、学年とクラスがかわるのです。

 

 お姉ちゃんにも相談しましたが、今まで仲が良かった友達とも、色々と話を聞いてくれて、わたしのことを理解してくれている先生とも、離れてしまうのです。


 もしかしたら、一部の人とはまた同じクラスになれるかもしれません。ですが、大半は話したことのない、名前の知らない同級生と一緒になるはずです。


 今は、その新しく出会う人たちと良好な関係をきずけるのか、それが不安で、怖いのです。


 いったん食べるのをやめて、目を閉じ、ひざを抱えました。

 また吐き気がしてきたわけではありませんが、後ろを向いて、暗くなろうとしている思考を落ち着けたかったのです。


 やっぱり、一人は嫌です。


 一人でいると、気分が暗くなり、自暴自棄じぼうじきになろうと思えば底が見えず、どこまでも引きずり込まれていきます。

 一人で抜け出すのは難しくて、たすけて、と心が誰かに向かって手を伸ばしてつかもうとします。

 

 でも、それではいけないのです。

 

 お姉ちゃんのように強く、一人でも生きれるようにならなければ・・・・・・きっとまた誰かを不幸にしてしまいます。

 

 それをふせぐ為に、まず空腹を何とかしないとと、姿勢を正して、再びつくってもらった料理を口へと運びました。

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