『あゆみ』の跡は、とても『ふか』くて 4ー3
十歳になる前だろだろうか、母が急に私を外食に連れて行くようになった。
母は料理をしない、だからそれまでは毎日のようにスーパーのお惣菜か冷凍食品を買ってきて、それを食べていた。
けれど、私が料理をするようになってからは、毎日のように外に連れ回されて、いろいろな場所で数々の料理を食べた。
チェーン店、ジャンクフード、予約の必要な高級飲食店。場所はまちまちで共通点はなく、昨日は中華、今日はイタリアンと、種類すら統一性はなかった。
ときには車で片道二時間以上も走った事だってある。仕事が終わった後だったのに、いま考えるとよく続いていたと思う。
そんな日々は、半年以上続いて決まって毎日同じ質問をされた。
『真惟、おいしい?』
そう、一言だけ聞かれた。
うんざりはしていなかったと思う。母の事は今も昔も大切だし、あの頃は今と違って会話をしていなかったから、一緒にいるだけでうれしかったはずだ。
そのはずなのに、どんなに思い返しても、質問にちゃんと答えた記憶がない。
思い出そうと深くに沈んでしまっている記憶を
何かは答えていたはずなのに、その内容だけが思い出せなくて、苦しくなる。
その感覚から逃げるように、思い返した記憶たちを、再び感情と一緒に胸の奥地へとしまいこむ。
記憶は大切で、そこに
たとえ傷ついた記憶で、忘れようとしていても、あの頃を手放したくない。
「まーい?」
「んー? てっ、うぉ!」
名前を呼ばれて隣を向くと、
「あはは、いい反応」
「はぁ、やめてよ。びっくりした」
手に取っていた商品を棚に戻し、灯の方を向いた。
「いやー、またぼーっとしてたから、目を覚ましてあげようかと思って」
「本当にそれやめてよ。まあ、今回は頭を叩かれなかったし、許すけど」
手で頭を押さえて示す。
「
見ていなくても叩かないでほしい。痛いから。
「そういえば潮音は?」
「あっちで何か見てるよ」
指を指した方を辿ると、興味があるのかは分からないけど無表情に棚に並んだ商品を見ていた。
昼食を終えたあと、特に目的もなく、歩きながら気になるテナントがないかを見て回った。
こういった場所に一番興味のありそうな灯は、私が寝ている間に買い物を済ませてしまっていて、あとはそっちに任せたー、と行き先にはあまり口を出さず、ただ私たちの後をついてきて、ときおり口を挟んだり、ちょっかいを出してくる。
私も潮音もあまり外出をする事はなくて、とくに行きたい場所もなく、ただアウトレットの中を歩いていると、調理器具を取り揃えている店が目に入って、なんとなく入ってみた。
「今まで気にもしなかったけど、変な道具がいっぱいで楽しいね」
「そう? それはよかった」
二人は料理をしないから、退屈させたら申し訳ないと思っていたけど、そんな事はないららしい。
「真惟は何見てたの?」
「ん? これだよ」
商品棚にかけてある二折のフライパンをみて指差す。
「ワッフルメーカー? 真惟ってこういうの好きだったっけ?」
「そんなに。でも作ってみてもいいかなーって」
パンケーキを作ってあげたように、またノアが寝坊した時に、何か作ってあげられたら良いなと思った。
あの日以来、朝だけは起きてきているけど、なら休憩の時に作ってあげても良いし、そうしたら、喜んでくれるのかな。
「へー、じゃあさ、今度食べさせてよ」
「いいけど、灯は自分で作る練習した方がいいんじゃないの? ほら、バレンタインの時も今度恋人ができた時の練習って、お菓子作ってたじゃん」
私と潮音を巻き込んで。
そのあまりにも酷い有様は、潮音に「チョコレートに対する冒涜だ」と言わせる程のものだった。
「料理なんて結局は場数でどうにかなるから、何でもいいから手を出してみるのが一番だよ。私だって昔は酷かったんだから」
初めの頃はたくさん失敗したし、それこそ食べられたものではなかった。それでも続けてきたから、今では食べてもらえてるまでには、上達できたと思う。
「それは、そうなんだけど・・・」
聞こえてきたのが思いの外、歯切れの悪い返事で、様子を伺う。
いつもなら明るい声で、あしらったり、からかったりして、こちらを笑わせてくれるのに。今の声からは、そんな余裕は感じられなかった。
心配になって「灯?」と声をかけたところで、
「ねえ、これって何?」
と、いつの間にか近くに来ていた潮音に声をかけられた。
手元を見ると銀色のコップのような容器と、長い棒のついた蓋のような道具を持っていて、興味深そうにその道具を見ていた。
「え、あえっと、それはね・・・エッグカッターかな、卵の殻を割る道具」
手にもっている物が何かわかると、潮音はまるで宝物を見つけた子供のように、ぱっと明るくなった。
「そうなんだ・・・! 漫画に出てて、何かずっと気になってた。よし、買おう」
灯も私の隣から覗き込むように潮音の手元をみる。でも、この上ないくらいに喜んでいる潮音とは裏腹に、彼女の目は冷めきっていた。
「殻を割るだけ?」
「そう、割るだけ。シェルブレイカーって呼ばれてたりするよ。昔からある道具で、最近はよくみかけるかな」
「手で割ればよくない?」
言葉に困る。
実際その通りで、半熟卵でも無駄なく食べられるとか紹介されているけど、結局のところ、その食べ方に納得ができるかどうかで、物の価値は決まるわけで。
「いらなくない?」
「は? この
「全く」
だから、と説明を始める潮音と、耳を傾けながらも反論する灯。
止めようかなと考えて、踏みとどまり、再び商品棚に視線を戻した。
二人の会話を、もう少しだけ聞いていたい。
二人の会話にはいつも頭が下がる。
互いに譲れない気持ちを、相手にも知って欲しくて、言葉にして伝える。
側からは言い争いに見えても、しっかりとした議論になっていて、ただ真っ直ぐに互いの気持ちを伝えて、受けとめている。
過剰だと言う人もいるかもしれない。
けれど、どんな言い争いになっても、二人はこうして過ごしているのだから、どこかで折り合いをつけて、納得しているのだと思う。
私には・・・ここまでの会話をする事は出来ない。
踏み込む、と言うのだろうか。その行為がどうしても怖い。
過去に、言葉で人を傷つけてしまった経験があるからだろうか。
当たり障りのない言葉はたくさん言える。そのせいなのか、他人から“やさしいね”と言われることも何度かあった。
でもやさしいって、きっとそう言うことじゃない。時には相手を傷つける覚悟で、伝えなければいけない事だってあるはずだ。
それが出来ないのだから、私はきっと、やさしいのではなくて、ただ臆病で、殻に篭った身勝手な人なのだろう。
その殻がいつまでも壊せないでいる。
謝れなかったから?
後悔を・・・してるから?
どうしてかなんて、わかっている。
理由なんて本当はどうでもよくて、結局は自分に言い訳をして踏み出せずにいるだけ。
わかってる。今まで友達をつくらなかった理由も、優しくできない事も、自分勝手な事だって、全部。自分が一番よく知っている。
それでも、踏み出せない。
ノアは・・・踏み出せたのに。
「はーー、まあいいや。灯には説明するだけ無駄だし」
潮音の冷めた声の後に「何ですとー」と怒った灯の声がした。
さすがに周りに迷惑になると思って、少々熱を帯び始めた灯を抑えて、宥めた。
「灯、落ち着いた? 潮音、少しどころじゃなく、言い方が悪かった」
仲裁しなかった私も悪いか。
潮音は私の言葉を聞いて、視線を逸らし落ち込んでしまった。そこまで気にしなくてもいいのに、私の言い方も、悪かったかな。
こうなってしまったのは、私にも責任があるわけで、だからそっと、できるだけ優しく話しかけた。
「ねえ潮音。今度さ、それ使ってみなよ。灯に理解してもらうのも、言葉よりも実際見せた方が早いから」
使ってみればわかる、とは言い切れないけど。どんな事も口で説明するよりも実際に見せた方が理解しやすくて、きっと灯は快く付き合ってくれる。
「ね、灯?」
「え? あ、うん。あたしは、食べさせてくれるなら、なんでも」
すぐに返事が帰ってくる。道具よりも食べることが大事らしく、灯らしいなと思った。
でも、潮音の方は一向に目を合わせてくれなくて、話してもくれない。
それでも、潮音が話してくれるのを待っていると、口元をごにょごにょと動かして、それから恥ずかしそうに話し始めた。
「それなら、教えてよ。・・・使い方わからないし、卵の方もどうしたらいいか、わからない、から」
気づけば潮音の顔が真っ赤になっている。恥ずかしく、言いづらそうで、でもその真剣な姿勢に、私までも釣られて少し緊張してしまう。
「うん・・・私で、よければ」
ネットで調べれば簡単にわかるのに、でも私の返事を聞いて、潮音の表情がパッと明るくなるのをみて、安心する。
教えるだけでいいのなら、そこまで難しくない。それだけで解決するのなら何度でも手をかす。
気を取り直し、私もさっきまで悩んでいた商品を決めて、手に取った。
何故かとても嬉しそうに握り拳を見つめて、張り切っている潮音と、そんな彼女にちょっかいをだして楽しそうにしている灯に声をかけた。
「私も買いたいの決まったし、早く買って、次のお店に行こうよ。時間は有限だよ」
さっきは睡魔に負けて寝ておきながら、自分でもおかしな事を言うものだと思ったけど、何故か二人に責められる事もなく「大丈夫?」とか「また休みたい?」などと、心配されてしまい少し悲しい。
ノアにも笑ってほしくて、色々とやってみたけど、全て不評だったから、私には他人を笑わせる才能はないのかも知れない。
それでも諦めきれなくて、会計に並んでいる最中に、買うものもなく暇そうにしていた灯に「どうすれば他人を笑わせる事ができるかな」と尋ねてみると、
「あたしはね、真惟。真惟と出会ってね、人には向き不向きがあって、それを補い合うことの大切さを学んだんだよ。だからね、真惟はそんな事できなくてもいいんだよ。もう十分、素晴らしい人間だよ」
そう、私の肩を手で押さえて真剣な様子で言われた。
けれど、
「あかり・・・」
どんなに素晴らしい励ましの言葉も、目を合わせてくれなかったら、余計に虚しく感じるんだよ・・・。
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