『あゆみ』の跡は、とても『ふか』くて 4ー2

 手を繋ぎ、不服そうな潮音しおんを連れて歩く。


 駄々をこね、拗ねた子どものようで、止まりはしないけど、すこぶる機嫌が悪い。


「そんなに嫌?」

「いや」

「どうしても?」

「い、や、だ」


 いつもならここまで拒否しないのに、今日に限っては頑なに意思を変えない。

 それでも歩いてはくれるのだから、一緒にいたくないわけではないのだと思う。


あかり、見えなくなったね」


 いつの間にか先を歩いていた灯が見当たらない。どこを見渡しても、姿は見えなくて、完全にはぐれてしまった。


「いいよ・・・灯は放っておいて」


 少し冷たく、けれど本心とは思えない声。

 何か思うところはあるようで、でも、それは聞いてみないと分からない。


 歩いていた足を止めた。

 これ以上、無理に連れ歩いても無駄なだけだし、互いに良いことなんて何もない。


「ねえ、私ってご飯を食べている時に、そんなに嫌そうな顔してる?」

「それは・・・してないけど、でもそう感じる」

「そうなんだ」


 確証は無いけど、潮音の中で何かがそう告げている。そして、それは確信の近くにあって、だから心配で、拒んでいる。


「何か、ごめんね気を遣わせちゃって」

「気にしなくて、いい・・・真惟の苦しんでるとこ、見たくないから」

 

 落ち着いていて悲しそうな声、でも私を気遣ってくれていることがわかる。


 どうしたらいいのか、とりあえず下を向いて、お腹をさすり、それから足元をみた。そうして、自分のしたい事を考える。


「いまの私はお腹が空いてる」

「え?」

「あと、足も痛い」


 ちょっと強く手を引いて、歩く準備をする。


「だからさ、取り敢えず何処かで休みたい。それで休憩してから、そのあとの事を考えたい。私、二人と会うの楽しみにしてたんだよ」


 本心を包み隠さず話す。そうできる仲だと思ってるし、受けてめて考えてくれる相手だと思うから。


 潮音は急に目を細めて、苦い顔をしている。どうやら本気で悩んでくれている。


「その言い方、ずるい」

「ごめん。けど、私の為だと思って、ね?」


 そう言うと潮音は再び「ずるい」と言って顔を逸らし、頷いた。不服そうだけど、どうにか了解を得る事ができた。


「ごめんって、お詫びに奢ってあげるから。灯にも何か奢らせるし」


 ここにいない人物にも、対価をなすりつける。説得したんだし、それくらいして貰ってもいいはずだ。


「本当? 絶対にだよ。あと・・・真惟も無理しないで」

「わかってる。心配してくれて、ありがとう」


 そう言うと、潮音は目を逸らして、歯を噛み締めながら、うーっと唸った。

 今までも彼女は私からの感謝を受け取ってくれなくて、どうすれば良いのかと、たまに私を悩ませる。


「それじゃ、行こっか」


 けれど、そこまで気にしない事にした。

 手を引っ張って歩く。こうしていると、何故か彼女は大人しくて、何も言わない。


 楽しみにしていた、二人との約束。

 出だしから少しくじけそうで、それでも昨日の私は”会いたい“と思ったのだから。

 

 




 灯から連絡が来て、指定された店に入ると、すぐに合流する事ができた。


 一応、喫茶店なんだろうけど、店内はそこまでおしゃれな内装ではなくて、どちらかといえばチェーン店のレストランを思わせる簡素な内装をして、最近では珍しい店だと思った。


「あ、やっときた。こっち、こっち」

「・・・勝手に先に行っておいて、なにを」

「それは・・・ごめん。言われた通りちゃんと奢るから」

「・・・なら、許す。ありがとう」


 二人の少しギスギスとしたやりとりを聞きながら、灯の向かいの席へと座り、私の隣に潮音が座った。


 ずっと痛みを放っていた足をようやく休ませる事ができる。足から力を抜くと、じりじりと熱を放つみたいに痛みが解放されていくのがわかる。


「落ち着く」


 ここはお洒落には程遠いかもしれないけど、気を張る必要がなくて、自然と心が落ち着く。

 

「あ、真惟もそう思う? 最近、かっちりとした無駄のないお店にばっかり入ってたから、こんな感じの簡素な内装のお店を探してたんだよね。なんていうの? 古臭いというか・・・」

「いやっ、レトロって言ってあげなよ。ノスタルジーとか」

「潮音、こまかい」

「灯は、ガサツ」


 私を抜いて、二人の会話が膨らんでいく。

 二人の会話は学校でいつも聞いていたように楽しそうで、会話の外にいる私もだんだんとつられて明るくなるくらい、自然で心地いい。


 でも、それならなんで灯は私を呼んだのだろう? 二人は楽しそうだし、私抜きで遊んでも問題はないように見える。


 もしかしたら、私が気にし過ぎただけで、ただ皆んなで遊びたかっただけかもしれない。


 なら、それはそれでよかった・・・。

 問題なんて・・・ないほうがいい・・・。


「真惟? 眠いの?」

「え?」


 灯に指摘されて、いつの間にか瞼が重くなっていることに気がつく。

 どうしてだろう、さっきまでは何ともなかったのに、頭がくらくらとして、意識がぼやけている。

 

「少し、静かにしてようか?」

 隣から声がする。そちらを向くと、潮音も心配な眼差しで、私を見ていた。


「何だかごめん。二人の会話を聞いてたら、落ち着いてきちゃって」


 朝早くに、一度目が覚めてしまったせいか、とても眠い。気を抜くと、そのまま寝てしまいそうな、そのくらいに。


「大丈夫? 取り敢えず注文だけして、少し休んだら?」

「うん・・・」


 灯にメニューを開いてもらって、良さげなのを選んでもらう。二人も何かを選んでそのまま店員を呼んで注文してもらった。


「持って来てもらうの、少し後にしてもらったから、休んでて大丈夫だよ」

「ありがとう・・・。お言葉に甘えさせてもらうね」


 そう言って、机に伏せると止めていた睡魔が一斉に込み上げてきて、世界が遠のいていく。


 ノアも、毎朝こんな感じなのだろうか。そうだったら、いつも大変だなと思う。


 目を閉じて、家にいるはずのノアのことを思い浮かべる。


 今はなにしているのだろう? また寝てるのかな、それとも貸したタブレットで本を読んでいるのだろうか。もしかしたら、家の事を何かしてたりして。

 どれでも良いけど、寂しがってないといいな・・・



 次に目を開けると、灯はいなくなってて、潮音だけが隣に座っていた。


「あ、おはよう。真惟」

「んー・・・ん、おはよう。ごめんね、どれくらい寝てた?」

「三十分くらい。もう、大丈夫そう?」

「うん、灯は?」

「ちょっとお店見てくるって」


 そういい、潮音は窓の外に目を向け、私もその目線の先をみる。


 私も体を起こして、外をみながら、開いたばかりでぼやけている視界を徐々に光に慣らしていく。


 そうしていると、私が目を覚ました事に気がついた店員さんが、注文していたコーヒーを届けてくれた。


 背筋が伸びてすらっとした印象の、髪を後ろで束ねた女性で、その佇まいだけで仕事に慣れているのがわかる。


「よく休めましたか」


 急に店員さんに話しかけられて少し驚く。


「あ、はい。すみません、ずっと席を取ってしまっていて」


 店員さんは作業をしながら「いえいえ」と何気ないように言った。


「ここは、来店してくれたお客様が足を休める場所なので」

 

 動かしている手は早くもなく、かといって遅すぎもしない。店内と一緒で、雑音がないと言うのだろうか、そして「ごゆっくり」と作業を終えて、静かに去っていく。


 かっこいい人だなって思った。その行動から、このお店がお客に対して何をしてあげたいのかが伝わってくる。

 

 潮音もそれをみて「カッコいい人だね」と言葉をこぼし、私もそれに頷いた。


「私のコーヒーも、真惟の眠りが深くなってから持って来たよ」


 潮音の手元をみると、すでにコーヒーが置いてあった。

 私は相当深く眠っていたようで、テーブルに顔を伏せて密着していたのに、いつもって来たのか分からなかった。


「ほんとだ、全然気がつかなかった。凄いね、よく人をみてる。最近、ああいった人はなかなか見つからない」


 どこかの高級飲食店のホールスタッフだったのだろうか。何にしても、普通の飲食店ではあそこまで教育しないし、スキルも磨けない。 

 

「そうかな? 私は日頃から見てるけど」

「ん? 誰? 灯?」


 そう返すと潮音は大きなため息を吐いた。

 何でそんなに落胆した顔をしているのだろう。灯に失礼だと思う。


「真惟はさ、ほんとに自分を見てないよね」

「それって、どう言う事?」

「あ、いやごめん。責めてるわけじゃなくてさ、もう少し自分に優しくてもいいんじゃないかなって、今日も疲れてるみたいだし」


 返す言葉を考える。


 眠ってしまったのだから疲れていないとは言えくて、けれど別に自分を追い込んでいるつもりはなくて、ならどうして、私は眠ってしまったのだろう。


「連休中に何かあった?」


 そう聞かれても、素直に言葉がでてこない。

 あった事は確かだ。ノアが私の家に来た。でもそれを理由にはしたくはなくて、だから、

 

「ちょっと遅くまで勉強してただけだよ」


 隠したくて、嘘をついた。

 言えばいいのに、どうしてなのだろうか。

 

「まぁ、いいや、私も・・・いろいろあったし・・・」

「そうなんだ・・・話しにくい事?」


 うん、と潮音は小さく頷き、顎を引いたまま背もたれに寄り掛かった。


「それでかな、灯も心配してるみたいだよ」

「え? あいつ、何か言ってた?」

「なにも。でも、昨日になって急に遊びたいって連絡してきた。そんな事、今までして来た事ないのに」


 あいつ、っと灯に対して少し怒ったのか、拳を膝の上で握り締めて、身体中に力が入っている。そんな潮音を横目に、話を続けた。


「けれど一度断った。で、いろいろあって、悩んで、それで連絡して遊ぶ事になった。だから、今日の約束は私が会いたいと思ったからだよ」


 それを聞いて潮音は「そうなんだ」と言って、入っていた力を抜いた。本当に彼女は素直だと思う。それに引き換え、


「私って何だかめんどくさい事ばかりしてるね」


 わたしはぐちゃぐちゃで、ごちゃごちゃで、何も定める事ができない。

 昨日はもう少しやりたい事がはっきりとしていた気がするけど、今は再び、どうすればいいか分からない。


「真惟は、さ・・・、」

「んー?」

「もう少し、灯を見習った方がいい」

「え?」


「灯は何かを頭で考えてるんだろうけど、結局結論が出なくて、いつも先に行動するから。あの無鉄砲さを、真惟は見習うべき」


 私は見習って砕けたけど、と複雑そうに潮音は言った。で、それを聞いた私は、


「驚いた」

「何が?」

「潮音が灯をほめてるの、初めて見た」


 潮音の顔が真っ赤になる。そして早口すぎて、なにを言ってるかがわからなない言葉をたくさん浴びせられた。


「ほんと、二人は仲良いよね」

「だからっ、ちがっう。灯は!」


「あたしが、何?」


 いつの間にか両手に紙袋をもった灯がそこに立っていて、話の流れがつかめなかったのか、キョトンとしていた。


「何でもない!」そう言って、潮音は両腕を組んで、へそを曲げてしまった。


「もぉ、今日は何なのよ。それで真惟、もう大丈夫?」

「うん、おかげさまで」


 灯が席につくと、程なくして注文した料理が運ばれてくる。


 本当にどうなっているのだろうか。どの料理もちゃんと湯気が立っていて、作り置きをしていた様子がない。


「どうなっているんだ・・・」


 潮音も流石に疑問に感じているようだ。


「お腹減ってたんだ〜、いただきます」


 なぜ自分が戻ってくるのと同時に料理が運ばれてきたのかを、灯は気にしていないみたいだ。


「お気楽」

「は? 潮音、何か言った?」

「何にも」

「あはは、二人ともせっかくだし、はやく食べようよ」


 各々、自分の目の前にある料理に目を移す。

 私はシーフードパスタで、灯はバジルのピッツァ、潮音は様々な種類のケーキが並んでいる。


「潮音は、もしかしてお昼食べてきたの?」

「うん・・・真惟がくるって、言われたから・・・」

「そう、聞いてよ。こいつったら、家まで迎えに行ったら呑気にご飯食べてたのよ、ありえないと思わない?」


 それを聞いた潮音が案の定、怒り出して私が仲裁に入る。二人きりの時はどうしているのだろうか。


 仲裁を終えて、私が料理に手をつけようとすると、潮音が不安そうにこちらを見てきた。

 安心させるために、料理を口に含み、潮音に向かって微笑む。

 すると、それを見て気まずくなったのか、潮音は何も言わず下を向いて慌てた様子でケーキに手をつけ始めた。


 言及されなくて良かった。


 本当に、彼女は私をよく見てくれている。

 以前、ノアに気付かれそうになった事があったけど、外では意識して隠してたのにな。


『ねぇ、真惟。おいしい?』


 冷たくて、ジトジトとした声が、記憶の底から聞こえてくる。

 

 嫌いな声じゃないけど、今は思い出したくないな。


 ここはどこか懐かしくて、落ち着けて、大切だと思える人もいて、楽しそうで、店内を見渡してもそれぞれが思うように過ごしていて・・・本当に、いい場所だと思う。


『・・・おいしい?』

 

 自然と頬が上がる。

 

 だからきっと、ここは私のいていい場所じゃない。


 ”人と食べるのが嫌い“という彼女の予測は、半分は当たっていて、半分は間違えている。


 人と過ごすのは好きだ。

 昔と違って楽しいと思えるし、自分では気が付けないことを知る事が出来て、世界が広がっていくのを実感できる。


 けれど食事は、食べる事は、どうしても好きになれなかった。

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