『あゆみ』の跡は、とても『ふか』くて 4ー4

真惟まいって、そういう本に興味あったっけ?」


 何となく入った書店で医療系の本を読んでいると、いつもより暗い顔をした潮音しおんに声をかけられた。


「んー。ないんだけど調べておきたい事があって」

 

 その表情に違和感を感じながらも、いつもと同じように返した。


 こんなやり取りを、さっきもしたなと思った。あかりからも、同じ事を聞かれた気がする。


 ただ知りたいから手に取って読んでいた。それだけなのに、そんなに私がいつもと違った行動をしていると気になるのだろうか?


「“身体と代謝”? もしかして、お母さんどこか悪い?」

「え? まさか、今日も仕事にいってるし、すごく元気だよ」


 むしろ休んで欲しいくらいに。毎日のように朝早くに仕事に行って、休みの日だってどこかに出掛けている。一体いつ休んでいるのだか。


「そっか。ならいいけど」


 ほっとしたのか、潮音の表情が少しだけ柔らかくなる。


「うん、心配してくれてありがとう。潮音はもう見たい場所は周れた?」

「まだ」

「そっか。調べ事も終わったし、一緒に周る?」

「うん」

 

 そう、返事をした彼女は少し嬉しそうで、手にしていた本を棚に戻し、二人で本屋の中を歩き始めた。



「久しぶりだね、こうして本屋に入るの」

「そうだね。最近は忙しかったから」


 少し前までは、よく二人で学校の帰りに本屋に寄っていた。けれど最近、潮音は忙しかったかみたいで、すぐに家に帰ってしまっていたから、こうして過ごすのは本当に久しぶりだった。


 ふと、灯がいなくなっている事に気づいて潮音に聞くと『本に興味はなくて疲れた』と言って、外で荷物番をしながら休んでいるそうだ。


 灯らしいとは感じるけど、もったいないなと思う。まあ、本人が嫌なのだから仕方がない事だけど、どうせなら私にも声をかけて、いま手に持っている荷物も持って行って欲しかった。


「先に漫画のコーナーに行く?」


 そう聞くと彼女の表情が余計にくもる。


 やっぱり、今日の潮音は様子がおかしいと感じる。彼女は漫画が好きで、いつもなら真っ先に向かうのに。

 

 灯にはいつも以上に噛み付いているし、何というか素直じゃなくて、無理をしてると言うか、何かを引きずってるように感じた。


「んー・・・。いや、今日は真惟が行きたいところが先でいいかな」

「そう? それじゃ・・・」


 児童向けコーナーの前で、足を止めた。


「ここ、覗いてもいい?」




 小さな子でも手に取りやすい低い棚から、いつも読んでいる作家の本を手に取った。


 厚紙であしらわれた丈夫で薄い本には、いつもと同じで、明るい絵とシンプルな構成で描かれた物語が色とりどりに描かれていて、めくっているだけで楽しくなって、自然と口端が上がる。


「前から思ってたけど。真惟って、絵本好きだよね」

「うん。すごく勉強になる」

「そうなの?」

「うん。絵本って文字が読めない子どもでも楽しめるでしょ。まだ自分の事も、世界の事も知らない相手に絵と少ない文字数で内容を伝える。そういうのって凄いと思うし、憧れる」


 言葉や知識を共有していても、他人に説明する事って難しいのに、まだそれらを共有できていない相手に向けて書かれているのだから、著者の苦労と力量には頭が下がる。


 そう聞いて興味を持ったのか、潮音も棚から一冊を手に取ってパラパラとページをめくり目を走らせた。


「・・・今まで気にした事なかった」

「きっと気にならないように、作家さんも気を配っているんだよ」


 彼女はじっと私の声には反応を示さず、真剣に絵本と向き合っている。熱心にそこに描かれていること全て、描かれていない作家の意思や思いも、吸収するように。


「よかった」


 そう、言葉がこぼれた。

 潮音は思いもしないことを言われたからか、顔を上げてこちらを向いた。


「え、何が?」

「潮音が楽しそうで」


 彼女は本が好きだ。私たちが初めて話したのも本の事で、それ以来、一緒にたくさん本の話をして、いつの間にか仲良くなった。


 そんな彼女が、今日は本の前でも暗い顔をしていて、きらいになるくらい嫌な出来事があったのではないかと心配していた。


「ごめん。心配させてた?」

「ううん。私だって心配させたんだし、おあいこだよ」

「・・・そうだね」


 そう言って潮音は視線をさげて、遠くを見るように目を細めた。

 

「理由は、喫茶店で言ってた事?」

「そう」

「それじゃあ、聞かない方がいいね」

「気にならないの?」


 たずねて欲しいかのように言われて、けれど、


「気にはなるけど、いつか自然と話してほしいから、それまでは待ってる」

「それでいいの?」

「うん、それで。でも相談はして欲しいかな。悩みがあるなら、些細な事も、ふかい事でも」


 その方が、私は嬉しい。


「それなら・・・一つ聞いていい?」


 そう口にしても、まだ迷っている彼女の方に体を向けて、頷いた。


「私の好きな物って、変かな?」




 店の外に出ると、少し離れたところで足を組み、頬杖をついている灯を見つけた。

 そこに静かに近づいて、声をかけた。


「灯、お待たせ」

「あ、真惟。終わったの?」

「うん、私はね。潮音はもう少しかかるかも」

「そっか」


 そう言い、灯は遠くを見据みすえる。

 どことなく寂しそうな彼女の隣に、静かに座った。


「今日はどうしたの?」

「へ?」

「昨日、急に誘われたから心配した」

「あぁ、やっぱり変だったよね」


 灯は組んでいた足をほどいて、空を見上げた。どちらも口を開かないまま、互いに別の風景を眺めて、そうしていると、何だかまた、うとうとと意識がぼんやりとしてきたところで、灯から話しかけられた。


「潮音は、何か言ってた?」

「いろいろあったとは言われた」

「そっか・・・潮音、本読んでた?」

「読んでたよ。相変わらず、熱心に」

「本当? そうなんだ・・・よかった」


 そう言って、灯は安心したかのように下を向き、息をふかく吐いて肩を落とした。


「ごめん、何の事かわかんないよね」

「いいって、悩んでいるのは分かってたから」


 だから、来たんだし。

 会いたくも、遊びたくもあったけど。


「本当に・・・ごめん」


 突然、謝られた。先ほどまでとは違い、何かを噛み砕けないほど感情を押し込めて。


「どうして謝るの」

「だって、潮音がつらかった時にそばにいたのに、何にも出来なくて。そのあとも相談されたのに、あたし、わからないって」


 そう言い、言葉が止まる。あふれてしまいそうなほど、気を高ぶって、押し込めて、何かをこらえていた。


 そんな彼女に事情も知らない私が、どんな言葉をかけたらいいのか。彼女は、どんな言葉を望んでいるのかを考えた。


「さっき潮音から、自分の好きな物っておかしいのかって訊かれた」


 すっ、と灯からさっきまでの高ぶった感情が消えて、その代わりに興味が私に向けられた。


「それで、真惟はなんて答えたの?」

「わかんないって言った」


 そうとしか言えなかった。


「へんじゃないって、言ってあげたいけど、そんな身勝手な事を、私は言えない。たとえ本人が好きでも、それが他人の迷惑になる事もあるって知ってるから」

「例えば?」


「例えば、そうだね・・・


 思いもしない回答だったのか、灯は息を呑み、固まった。


「ごめん、例えが大袈裟だった。でも、どんなに好きでも、やっぱりしてはいけないことや、世間とずれている事ってあるんだよ。だから一概に良し悪しって決められない」


「それって、難しいしく考えすぎじゃない?」

「そうかも。だからね、」

「ごめん、お待たせ」


 声が聞こえてその方へ振り向くと、潮音がいた。その手元をみると、別れた時にはなかった袋が二つ吊り下がっている。


「決められた?」

「決められたよ。はい、これ真惟に」


 潮音から袋一つ受け取る。中を覗き、確認してそのまま閉じた。


「ありがとう。あとで読むね」

「うん。あとこれは灯の分」


 潮音が持っていたもう一つの袋を、灯に差し出した。


「へ? あたし?」

「そう」


 状況が理解できないのか、目を丸くして、それでも灯は差し出された袋を手に取り、中を確認した。


「これって、漫画?」

「うん・・・この間、灯に相談した事を真惟にも相談したら、『わからないから教えて』って言われた。だからそれは、私の好きな漫画」


 少し頬を赤く染めて、恥ずかしそうに潮音は灯に説明をした。


「漫画って、いつも教えてもらってるけど?」


 けれど、それでは足りないのか、灯からの質問が続く。


「それは、灯が好きそうなやつを探しておすすめしてるだけ。だからこれは・・・私が好きなやつ」

「どう違うの?」

「全然違う、話は重めで、暗くて、抽象的で、絵も漫画っぽくないやつ」

「それって、あたしの頭で理解できる?」

「うっ、それはわかんないけど、でも私が好きなのはそれだから」


 灯からの質問は続き、次第に潮音が萎れていって、仕舞いには、


「興味ないなら、いい・・・」


 と、ねてしまった。


「ううん。ある、あるよ。ありがとう」


 灯が、潮音から受け取った本を大切そうに、手元に寄せる。


「わからなかったら、教えてね」

「その前に、わかるように努力してよ・・・」

「わかった、わかった。だからそんな落ち込まないでよ」


 灯は立ち上がり、そのまま不貞腐ふてくされている潮音の手をとって歩き出した。


「行こう!」

「は!? 行こうってどこに!?」

「好きなものを教えてくれたお礼に、あたしも好きなものを教えてあげる!」

「え!? 灯の好きな店って、そんなとこ行きたくない!」


 嫌がる潮音を、灯は問答無用で引っ張っていく。きっと、彼女のお気に入りの服が売っている店舗に連れて行くのだろう。


 潮音、今日はジャージだったから、きっと何かを買わされてそれを着させられるなと、変な予感がそう囁いた。


 少し笑って、二人が去ったベンチに一人、ふかく体重をまかせた。

 

 人々が目の前を歩いて行く様をただ眺めていると、風が前髪を撫で、目を細めた。

 まだ陽は高く、午後はいまだに始まったばかりだった。


 帰るには、まだ早い。


 そう、思ってはいけないのだろうけど、考えてしまう。


 家に一人にしてしまった、ノアの事を。


 さっきの二人のやり取りを見ていると感じる。本来、信頼関係はあのように結ばれていくのだという事を。


 互いに話して、好きな事や、嫌いな事を共有してお互いの距離感を構築していく。


 それならば、どうして私とノアは、互いに好みの話とかをしなかったのだろうか。


 私はいつ、あの子に好きな物の話をしたっけ? 

 いつ、あの子から好きな物の話をされたっけ?


 友達といる時間が好きとは言われた。けれど、私はあの子の好みを知らない。


 好きな食べ物も、嫌いな食べ物も、いつも貸しているタブレットで読んでいる本すら


 大切な事とか、そんなおおそれた事ではなく、もっと些細ささいな、好きな物、嫌いな物の話をどうして二人して互いに話題にしないのだろうか。


 そういう事って、話すべきだと思う。

 つらくても、私の方から・・・


 目を一度閉じて一呼吸終えた後に、立ち上がってゆっくりと二人の後を追った。

 


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