『こくはく』の後には『あゆみ』だせて3-4

「何で断ったのか、か・・・」


 賃貸ちんたいの小さな浴槽よくそうに浸かって、ぼそっとつぶやく。


 心配だから、側にいたいから。

 理由なんて後から取ってつけるのは簡単で、何にせよあの時の私はそれが最善だと思ってそれを選択したわけで。


「ほんと、何で断ったのかなー」


 あの後、ノアに責められてしまった。何で大切な友達って言ったのに断ったのかと。


 確かに大切な友達からのお誘いで、あちらはいつもと違って何か理由があるみたいで、力になってあげたいと思っていたわけで。それなのに断ってしまった。


「私も知りたいよ」


 心ってわからない。


 感情は単純だ。

 大きなものが八つ。喜び、期待、怒り、嫌悪、悲しみ、驚き、恐れ、信頼。あとはそれらの組み合わせ。感情は嘘をつかないし、偽れない。感じている事を、正直なまま私に伝えてくれる。

 

 けれど、どんなに感情が正直でも、それを感じ取る心は嘘をつく。

 

 自身のはずなのに、思うように動かないその不安定で、身近で、謎めいた存在は古来から人々の興味の対象となり、多くの人が研究してきた。


 その結果の一部が私の部屋にあって、昔から読みあさった結果わかったことは、


「誰にもわからない」


 解明されていたら現在まで研究はされていないわけで、身体的、精神的、宗教的、科学的、その他にも様々な観点から研究されているのに、どれも憶測に過ぎないし、同じ研究のはずなのに言ってることはそれぞれ全く違う。


 答えは人の数だけある、と言えばその通りだけど、結局のところ自分が納得のいく考え方を皆が好き勝手に書き留めただけ。


 それらが世に出て、人々はそれに触れ、共感し、その中でまた新しい考え方が生まれていく。

 同じ物のはずなのに、収束する事なく、どこまでも蜘蛛の巣上に増えて、きっと答えは永遠に見つからないのだろう。


 それでも探し続ける理由は、


「不安だから」


 結局知りたいのだ。自分たちが一体何なのか。どこに立っているのか。

 

 人は理解できない物に恐怖する。

 それが自分なのだから、居ても立っても居られないのだろう。


 だから自分を探す。けれど見つからなくて、もがく。それによって、誰かが幸せになるわけじゃないのに。ただ、自分が安心する為に。

 

「わからないなら・・・教えてあげればいいのに」

 

 自分ではわからないのなら、他人から見て、こうだよって感じた事を伝えてあげればいいのに。


 あの人が、ずっと前に、幼い私にしてくれたように。


「そんな事が皆でできたら、簡単なのにね」


 みんな自分が大切で、自分で手いっぱいで、他人に向ける余裕はない。

 でも、それでいいんだと思う。他人を優先して、自分を犠牲にするより、ずっといい。


 湯船から出て、シャワーを浴びる。

 流れていくお湯のように、気分は流れてくれなくて、ごちゃごちゃとした感情は私にしがみついている。


 それでも考えた分だけ思考は定まって、さっきよりはマシかなと思った。

 


「いたたっ、痛いです!」

「あ、ごめん。難しい、こうかな?」


 お風呂をでてダイニングに入ると、いつの間にか帰宅した母がノアの髪をブラシでとかしていた。


「痛い、痛いですって!」


 多分、とかしているはずだ。絡まってしまい、側からは髪を引っ張ってるように見えるけど。


「何、やってんの?」

「あ、真惟まいただいま。今ね、ノアちゃんの髪にブラシをかけてあげてるとこ」


 いたぶっているようにしか見えないけど。


 近づいて、母の手からブラシを取り上げると、ブラシと一緒にノアの髪がごっそりとついてくる。

 うわー、と自然に顔が引きつり、ノアと髪の毛に同情する。


 ありがとうございます、と目元に涙を浮かべたノアに感謝されながら、ブラシに絡まっているまだ抜けていない長い髪を解いていく。


「母さん、力任せにブラシをかけるのはやめなよ。余計に絡まるし、髪が傷んじゃうから」


 母は、しゅん、と肩を下ろした。少しは反省しているようだった。


「ごめんなさい、ちょっとやってみたくなっちゃって。ほら、昔は真惟も髪が長かったでしょ、それを思い出しちゃって」

「え、そうなんですか」


 ノアが興味深そうに聞き返す。

 今は肩よりも少し上だけど、確かに昔は伸ばしていた。


「そうそう、小学生の頃は背中にかかるくらい髪を伸ばしてたんだけど、中学生になったら突然切っちゃったのよね。似合ってたのに」

「へー、わたしも見てみたかったです。どうして切っちゃったんですか?」

「え? うーんと、あれは・・・確か」


 ごちゃごちゃとブラシに絡まっているノアの髪と格闘しながら、記憶を辿たどる。


「あ、そうだ。学校で身だしなみのチェックがあって、校則よりも伸びてたから切ったんだ」

「あら、そうだったの。でもあなたの通った学校って、そんなに校則の取り締まり厳しっかったかしら?」

「厳しくなかったよ、むしろ雑だった。素行の悪い生徒だけを取り締まってたから、少しムカついて、休み時間に自分で切った」


 は? と二人が同時に声を出す。二人が一緒にいる時間って少なかったから、息があい始めているみたいで安心する。


 そしてちょうど同じくらいに、ブラシから髪の毛を解放できて、難問のパズルが解けた時のように、気分がすっきりと晴れ渡る。

 さっきまで少し悩んでいたから余計にだ。


 解けたよ、と顔を上げると、何故か二人は黙ったままだった。


「二人ともどうしたの?」


 母が少し神妙しんみょうな顔でこちらをみていて、ノアに至っては怒っているようだった。


「それで、どうなったの?」

「え? あぁ、職員室に呼び出されて、先生に怒られて、でも後から保護者じゅうに伝わって、体罰だ何だのって勝手にもめて、結果的に校則が緩くなった気がする。まぁ、結果的には良かったんじゃない?」


 興味なかったからよく覚えてないけど、まぁ、あってなかったような校則だったし、見直す為のいい機会になったのかもしれない。


「良かったって・・・!」


 隣からすごい気迫を感じて、ノアの方を向いた。


「もっと自分を大切にしてください!!」


 そういうとノアは勢いよく立ち上がり、布団敷いてきます、と言い残してダイニングから出て行ってしまった。


 二人きり、取り残されてどちらも喋り出さずにいると、母が突然、はははと声に出して笑い始めた。


「笑わないでよ」

「ごめんなさい、でもあなたが私以外の人に何も言い返せないでいるのが珍しくて」


 そう言われてムッとする。

 さっきはあまりにも突然で、それにノアは私を心配して言ってくれたのだ。言い返せるわけがない。


「そう怒らないでって。ねぇ、お茶を淹れてくれないかしら。少しゆっくりしたいわ」




 二人分のお茶を淹れて、テーブルの席に座っている母の前に出し、その対面に座った。


「ノアちゃん、怒れるようになったんだ」

「うん」

「遠慮をしなくなってきてる。いい傾向ね」

「うん」


 理由はどうであれ、自分が嫌だと思ったことを正直に言えるようになってきている。ここにきた時は笑顔ですら作り物だったのに、あんな風に感情を隠さず、怒ることもできるようになった。


「本当、強い子だよ」

「ええ、本当に。だから真惟、あなたも遠慮しなくてもいいのよ」


 その言葉で、場の雰囲気が引き締まり、真面目な空気が流れ出す。


「ノアちゃんから聞いたわ。お友達のお誘いを断ったんですって?」


 軽く息を溜めて、吐き出す。別に知られてまずい事ではないけど少し気まずい。


「相手はともりちゃん?」

「そう」

「どうして断ったの?」

「わからない」


 それについてさっきまで悩んでいて、結局答えが出なかったのだ。


「ノアちゃんの側にいてあげたかったの?」

「そうかもしれない、でも灯も何か悩んでるみたいで、力になってあげたいと思った」


 それなのに、断った。


「灯ちゃんの事、心配なのね」

「そうだね・・・明後日になれば、会えるのにね」


 明後日になれば学校が始まる。それなのにわざわざ誘ってきた事が引っかかっている。


「ノアちゃんは、明日もいるわ。あなたのおかげで、ちゃんとここがあの子の家になってきてるから」


 母が言いたいことはわかる。でも、きっとあの子がここを本当に家だと言えるようになるにはまだ時間がかかる。それに、できるだけ新学期に対して不安を感じているノアの側にいてあげたかった。


「気を遣わないって、難しいね」


 ノアを連れてきた初日に、母が私に言った事。

 自然体でいることには憧れるけど、やはり人と過ごす上では何処か気を遣っていて、気がつくと小さな負担が積み重なっている。


「このままだと、すり減っちゃうかな私たち」


 大河の小石のように、流されて、互いに擦れ合って、いずれチリになる。


「そうね、でもまだその時じゃない。だから、今はあなたの思った通りに行動しなさい。二人の間で一番過ごしやすい距離を見つけるまで」


 言うのは簡単で、その通りだとは分かっていて、でもやっぱり難しい。


 どうすればいいのかと、母の言った事を頭の中で巡らせていると、私の手元で携帯が鳴る。


 画面を見ると灯からメッセージがきていて、『今日はごめんね、明後日学校で会おうね』という短い文章に、よくわからないキャラクターが笑顔で手を振っているスタンプがえられていた。


 少し笑みがあふれる。

 彼女らしいと思う。当たり障りもなくて、私はスタンプって使った事ないけど、受け流して欲しいという彼女の気持ちが十分に伝わる


 私が心配しているように、向こうも気を遣ってくれている。

 

 携帯を握りしめて、立ち上がる。

 後悔しない為に、やらなければいけない事はわかっているつもりだ。


「母さん、ちょっとやらなきゃいけない事ができたから行くね。コップは後で片付けるからそのままにしておいて」


 自分の分も淹れたけど、後で飲めばいい。今は早く行動したかった。

 

「真惟」


 その場から去ろうとすると、母に呼び止められて振り返る。


「あなたが皆の事を大切に思っているように、あなたを大切に思っている人がいる事を忘れないで」


 何故か寂しそうにしている母に、違和感を感じながらも、何を言い返せばいいかわからなくて、頷いてその場を後にした。




 廊下を進み、玄関を開けて、外に出る。

 四月初めの夜の空気はまだ冷たく、風が吹くたびに体が震えた。


 通路にある手すりをつかみ、夜空を見上げる。


 月は見える、けど星は見えない。

 街灯はどこまでも明るくて、雲には光が反射して夜空までもが明るく、星を隠してしまっている。


 でも、星がなくなった訳じゃないし、この明るさも、その光のもとで人々が生活している証だ。


 私がしたい事。それはずっと昔から決めていて、でもそれを続ければ、いずれ必ず力尽きてしまうと知っている。

 けれど、私は選びたい。あの時のあこがれを忘れられないから。


 今を後悔しない為に、携帯を操作して電話をかける。


 何が正しくて、何が間違っているかなんてわからない。


 きっとこれからも誰かを傷つけて、その度に死にたくなるくらい後悔する。


 もしかしたら沢山の人に、否定されるかもしれない。


 それでも私は選びたい。


「あ、もしもし? 灯?」


 頑張っている誰かのそばで、って言ってあげられる人に、私はなりたい。

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