『こくはく』の後には『あゆみ』だせて3-3

「情けないです」


 ノアは踏み台に乗って洗濯物を干しながら不満そうにそう言った。


「そんなに気にすることないって」

 少しはげましながら、洗濯籠せんたくかごから洗い立ての濡れた服を取り出してノアに渡す。


「がんばって朝起きたのに」


 よっぽど納得いかないらしく、目を細め頬を膨らませている。

 そう、頑張ったのはよく知っている。


「布団が部屋中に散乱してたよ」


 どのように起きたら、あそこまで散乱するのか想像するだけでおかしくて、少しだけ笑いがこぼれてしまった。

 指摘されて恥ずかしかったのか、ノアは顔を赤くして下を向いた。

 

「がんばります・・・」

「今も頑張ってるって」


 食べ物を口にしたあと、すぐに眠ってしまったのだ。あそこまで来るのはきっと大変で、ダイニングにきてからも寝ないように気を張っていたのだろう。


 籠の中が空になり「おわりだよ」とノアにつたえると「はい」と気持ちのいい返事が聞こえて、ノアは踏み台からおりた。


 彼女が乗っていた木製の黄緑色で塗られた踏み台を見つめる。少しだけ塗料の剥げて年季を感じさせる、思い出の染みた物。


「どう、その踏み台は?」

「いい感じです。ぐらつかないですし、楽に洗濯が干せます。あと、椅子いすと違って軽くて持ち運びしやすいです」

 

 そう言って、ノアは軽々と踏み台を両手で持ってアピールした。


「そう、それはよかった」

「はい! ありがとうございます」


 昨日、机を組み立てる時に使ったドリルドライバーを探した際に、押し入れの奥で見つけたとおい昔に私が使っていた踏み台。

 

 洗濯物を干す際に、まだ背の低いノアが椅子を使っていたから、それならこっちの方がいいかと思い、出してみた。


 ノアがもっている踏み台にふれて「よかったね」とささやいく。

 私はもう、つかってあげることができないから。


 ノアが不思議そうに私をみていて「何でもないよ」と返すと、まだ少し納得していないようで、ねているみたいだった。


「この台って、前はお姉ちゃんが使っていたんですよね、それっていつ頃ですか?」

「えっと、確か四歳の時に作ってもらって、小学校四年生くらいまでは使ってたと思う」


 その頃になると身長も伸びて、いつの間にか使わなくなったような気がする。懐かしいな。


「四年生・・・」

 何故かショックを受けている。もしかしたら身長に劣等感があるのかもしれないけど、同級生にも背の低い人はいるしそこまで気にしなくてもいいと思う。


「大丈夫、すぐに大きくなるって」

「本当ですか!」

 食い入るように、すごく目を輝かせてこっちを見ている。本当だよ、と言ってあげたいのだけど、


「ごめん、わかんない」

 

 こればっかりは確信はなくて、応援はできるけどそれ以上は無理だ。


「・・・がんばります」

 

 早起きとはまた違う、固い決意を感じる。

 背を伸ばす為でもいいから、よく食べて、よく寝てほしい。


「さ、お昼にしよっか」

「はい! ってあれ? どこかで電話が鳴ってないですか?」


 そう言われて、耳を澄ますと確かに鳴っていて、どこかなと思って探していると、自分の部屋の机の上に放置された私の携帯が鳴っていた。手を伸ばし、携帯を手にしたところで着信が止まる。

 

 誰からだと思って画面をみると、高校の友達からで、今日だけで何度か着信がきていた。

 こんなことは今までなかったのに、違和感を感じ、すぐにかけ直そうと思ったところで再び電話が鳴った。

 

「もしもし? あかり?」

『あ! 真惟まい! 久しぶり。元気?』

「あ、うん。元気かはわからないけど、健康だよ。それで、どうかしたの?」

『あ〜うん、・・・それなんだけど』


 引っ掛かりを感じて、少しだけ嫌な予感がした。

 

『あのさ、真惟。急なんだけどさ、あした遊べない?』




 午後からは、ノアと一緒に部屋に学校で使う文房具を広げていた。


 明後日には新学期が始まるからそれに向けて足りないものがないか、今のうちに確認しておきたかった。


「ノートとボールペンは後で買いに行かないと。ノアちゃんは・・・足りないものはなさそうだね」

「はい、ここに来る前に買ってもらったので」

 

 まったく手をつけていない新しい文房具たち。どれもピカピカで、新生活を予感させる。

 その文房具たちを、ノアは複雑そうにみていた。

 

「どうかした?」と、聞いてみると「いえ・・・」と歯切れの悪い返事が返ってきて、特に何も言わずにしばらくすると、ノアの方から口を開いた。


「あの・・・お姉ちゃんは学校はすきですか」


 問われたことに、少し戸惑とまどう。ノアが何を聞きたいのか、わからなかった。


「考えたこともなかった。ノアちゃんは、好きじゃないの?」


 そう聞くと言いずらそうに顔をしかめる。

 言いたい、けど何かが引っかかって言いずらい、そのように感じた。


 どうしたものかと考えていると、少し悪知恵が働いて「こっちにおいで」とノアを呼ぶ。


 疑問を抱きながらもノアは私の前にきて、あっちを向いてと私がみている方角を指差し、背中を向けた瞬間に肩を掴んで、えい、と声を出して私の方へと引き寄せた。


 大声を出して倒れるノアを身体で受け止めて、そのまま足の間に座らせた。


 一旦じたばたと暴れて、それからすぐにおとなしくなって、私の方へ振り返った。


「何するんですか! びっくりしました」

「ごめん、でもこの方が目を合わせなくても済むから話しやすいでしょ」


 これなら表情を確かめなくても、服越しに触れた肌と言葉で気持ちを伝えられる。


「お姉ちゃんって、突然イメージに合わない行動をします・・・」

「それはそうだよ。まだ一緒に生活を始めたばかりなのに、そんな簡単には人は理解できないって。だからお互いを知るために、お話ししよう」

「そうですけど・・・」


 そう言うとノアは不本意そうにも前を向いておとなしくなった。


「それで、どうなの?」


 ノアの背中が丸くなり、ただでさえ小さい身体がさらに小さくなる。そして、一呼吸おいて髪の毛しか見えない頭が少し上を向いた。


「昔はすきでした。でも今は、自分でもよくわからないです」

「好きか?嫌いかが?」


 ノアは、コクっと頷いて、再び肩を縮めて小さくなる。


「そっか」


 わからないから、不安なんだ。


 自分の中で考える。朝と同じように、言うべきか、言わないべきか。言えば、不安はやわらぐかもしれない。でも、それは逃げ道にもなってしまうかもしれない。


 私も不安だ、これからしたいと思う事が、ノアにとって余計に苦しむ事へのきっかけになるのかも知れないと思うと。


 悩んで、悩んで。気がつくと口が動いていた。この子は今も苦しんでいて、それでも変わりたいって言った強い子で、だからきっといい方にとらえてくれる。そう思ったから。


「私はね、学校ってあんまり好きじゃない」


 え、って言葉と一緒にノアが勢いよく振り返る。せっかく顔を見ないようにしていたのに。


「本当、ですか?」

「本当だって、よく先生と口論になるし、月に一度は反省文っていう意味のわからないもの書かされてるし。私って、結構“ふりょう”なんだよ」


 胸を張って自慢みたいにしてみる。全然いい事じゃ無いけど。


「信じられないです」


 ジトーっとした目でノアはこちらを見ている。どうやらまったく信じてもらえていない。でも、そう言われても証明のしようがない。


「まあ、信じてくれなくてもいいけど、ノアちゃんは学校に行きたくない?」


「それも、わからないです。お姉ちゃんは行きたくないって、思ったことってありますか?」


 目を閉じて、考える。言葉を浮かべて、並べて、言っていい事か、伝えたい事か、考えて、そして選ぶ。昨日、ノアがしてくれたように、私も話したほうがいいと思った。


「あるよ。どうしようもなく、行きたくなかった時が」

 

 ノアは驚き、目を見開く。


「どんな、時ですか?」


 少しだけ、呼吸を整えて、話す準備をする。

 頭の中を整理して、言葉を並べて、それから話し出す。


「昔、学校で傷つけちゃった人がいてね。その人は私の担任の先生で、まだ若くて、仕事熱心で、私にいろんな事を教えてくれた人。ある時、私はその人に酷い事を言った。ほんの少しの言葉で、それでもその人を傷つけるには十分で、気がつくと先生は学校に来なくなってた」


 今思い出しても、胸が苦しくて、許せない記憶。


「そのあとは行きたくなくなった」


 過ぎ去ってから、自分のしでかした事に気づいて、もう手遅れなのに、自分を責めた。他の誰でも無い、自分のせいだと。


「それでも、行ったんですか?」


「行ったよ」


 どうして、とノアは言葉の途中で口を閉じ、前を向く。それ以上は聞いてはいけないと、私に気を使ったのかもしれない。


「行くか、行かないか。悩んで、考えて。そしたらね、歩き出してた。ここで止まっちゃいけないって。逃げても自分しか得をしないって。学校に行って、勉強して、いつかは誰かを助けることができるようになるんだって」


 結果まだ誰も救えていないんだけど。


「ねえ、ノアちゃんは、学校でこれは好きだってことはある?」


 ノアは少し悩んで、それから口を開いた。


「お姉ちゃんは、ありますか?」

「え、私? そうだなぁ、やっぱり友達とか、いろんな人がいるところかな」

「あの、あたまを叩いてくるって人ですか?」

「そうそう、まあ友達って言ってもその子と、もう一人しかいないんだけど、でも二人と一緒にいる時はやっぱり楽しいかな。それで、ノアちゃんにはある?」


「・・・・・・担任の先生と話している時と、今でも手を引っ張ってでも遊んでくれる友達といる時、です」


 回答はすぐにきて、そして、ちゃんと好きなことがあることに安心する。


 うれしかった。どんなことよりも、好きなことがあることが。私は責めた結果でしか学校に行けなかったから。


「なら、まずはその為だけに行ってみなよ。他の事とか無視していいから、それだけの為に」


 ノアの肩が少し上がる。少し希望が持てたように見えて、けれどすぐにまた小さくなった。


「でも、学年が上がって、先生もかわって、友達とも別のクラスになったらって考えると」


 ノアの手が私の服を強く掴む。

 行動と言葉から怖がっているのが伝わってくる。きっとこれが理由なんだ。


 けれど、どうなるかは学校が始まらないとわからないことで、私にはどうしようもなくて、助けたくても、助けられない。

 それでもどうにか勇気をあげることはできないか考えていると、ノアは自分から話し始めた。


「わたし、ダメですね。変わるって言ったのに。まだ始まってないのに、怖気付おじけづいてしまって」


 そう言って勢いよくノアが振り向く。その顔が、少しだけ不安そうで、でも輝いて見えて、私は驚く。


「行ってみます。行って自分で確かめます。違うクラスだったら、その時に考えてみます」


 その言葉を聞いて、やっぱり強い子だなって思った。

 私よりもずっと強くて、いつかはきっと、私なんて要らなくなるんだろなって。


「きっと、違うクラスでもどうにかなるよ。私の友達って、一人はずっと違うクラスだから。授業とかでは会えないけど、それ以外では会えるから」

「はい、がんばってみます」


 頑張るって、これ以上頑張ったらすり減ってしまうのではないかと心配になるけど、今のノアは初めて会った時よりもずっといい表情をしていて、もっとゆっくりとなんて、とてもじゃないけど言えない。


「そう言えば、さっきの電話ってそのお友達からだったんですか?」

「あー・・・そう、友達から」

「何か急用だったんですか? 何度かかかってきていたみたいなので」


 あまり聞かれたくないことで、でもノアには嘘を言いたくなかった。


「うん・・・明日、遊ぼうってお誘い」

「へー、楽しみですね」


 身体から変な汗が出ているのを感じる。

 何故かノアは楽しそうで、でも、言わないといけない。


「その・・・、断った」


 驚いたのか、ノアの目が漫画のように点になり、少しの間、静けさが部屋に広がって、その後に、


「何でですか!?」

 

 と、大きな声が鳴り響いた。

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