『こくはく』の後には『あゆみ』だせて3-2
「あら、ノアちゃんおはよう」
母のどこか間の抜けた挨拶が聞こえ、ノアは再びおはようございますと返すと、よたよたと何度か倒れそうになりながらも母の向かいの席に座った。
まだ眠いのか、目はほとんど
そんなノアから目が離せないでいると、ふと、私と同じように向かいの席でノアを見つめていた母が、こちらを向きニタニタ笑みを浮かべて私の手元を指差した。
何? と思って下を向くと、お湯を注いで放置されたコーヒーが目に映り、あわてて別のカップを用意して淹れなおして、それを持ってテーブルに向かった。
「おはよう。眠そうだけど、まだ寝ててもいいんだよ」
母の前にコーヒーを置いて、すぐにノアに声をかける。するとノアは、はっと目を見開いて顔を大きく振り、それからこちらを向いた。
「おはようございます。大丈夫です、変わるって決めたので、それに朝ごはんが食べたかったので」
そんなこと? と思いながらもノアは期待してくれているようで、にこにことしている。そんな表情を向けられると、部屋に戻って眠りなよなんて言いづらい。
「だってよ。ほら
何故母が言うのか、うるさいな、と思って
「ごめん。いま作ってくるから、それまでは寝てたら?」
そう言うとノアは素直に、すみませんと言って机に伏せて再び小さな寝息をたてはじめた。たたんだ両腕の上に頭を乗せて、朝起きた時と同じように穏やかに眠っている。
そんなに眠いなら、無理せず寝てた方がいいのではと思いながらも、ご飯が食べたいと言ったノアの表情が頭から離れなくて、結局キッチンへと向かう。
母に出したものと同じように作る。でも、少しだけ濃いめの味の方がいいのかなと思い、調味料やマヨネーズを使って味を付け加えた。
味がおかしくなっていないか、一つ手にとって口にする。
以前に喫茶店で食べたバゲットサンドはもっと濃い味付けだった気がするけど、今は朝で、起きたばかりの人が口にするから、このくらいでいいかと納得する。
急いで自分の分も作ってそれらを手に持ちテーブルに戻ると、母が寝ているノアのほほを指でつっついて遊んでいた。
「やめて」
「いいじゃない、真惟にはしたことなかったし、それに起こさないといけないでしょ」
「普通に起こして」
「それじゃあ、面白くないでしょ。真惟だってさわってみたくないの? ほら、柔らかいわよ」
むっと
母に言われた事を無視し、テーブルの上に音を立てないようにお皿を置いて、そっとノアの肩を揺さぶる。
「ごはん用意できたよ。食べられる?」
ノアから、ん、と小さな声がして、その後ゆっくりと姿勢が起き上がる。
再び寝てしまったせいか、起きてきた時よりも眠そうで、ぽあぽあっとしていながらも、「いただきます」とかろうじて聞き取れる声で言ったあと、手を伸ばしお皿の上にあるバゲットサンドをとり口に運んだ。
目をつぶったまま、ゆっくりと揺れて、かみしめている。
そんなノアを見ていると、どうしてか心臓がたかなり、緊張する。
昨日、おいしいと言われたからだろうか。
今まであまり言われた事がなくて、自分でもそう思えなくて、だから昨日おいしいとはっきりと言われた時にどうしたらいいのか分からなかった。
嘘や、お世辞かと最初は思った。料理をつくる私に気を使ってるだけかとも。でも、ムキになってまでおいしいです、と言い返したこの子をみて心からそう思ってくれているんだと感じた。
テーブルに目を移して、お皿の上にある自分の分のバゲットサンドを手に取り考える。
今日のは美味しいのだろうか? ただ食材を選んで挟んだだけだけど、この子の期待には応えられているのだろうか。
隣を向くと、ノアはさっきと同様にもぐもぐと頬張っている。
しあわせそう、だとは思う。ただ眠いだけかもしれないけど。今日は何も言ってくれない。それでも食べてくれている。なら、それでいいと思ったその時に、母が口を開いた。
「どう? ノアちゃん、おいしい?」
何故わざわざそんな事を聞くのか、食べているのを邪魔しないであげてほしいと思いながらも、私もその答えが聞きたくて何も言い出せない。
ノアは相変わらずもぐもぐと噛み締めていて、口の中に含んでいた物をのみ込むと、「おいしいですよ」とあたりまえの事のように言った。
その言葉を聞いて、自分でも信じられないくらいに、ほっとする。高校に合格した時だって、無関心だったのに。
「だってよ、真惟」と、母がからかうように言ってきたけど、どうでもよかった。口をうごがして、楽しそうに噛み締めている姿から目が離せない。
頬が自然とゆるむ。私はうれしいのだろうか、けれど、そんな気分はノアの
「おかあさんも、そうおもいますよね」
予想もしていない問いに母が驚き、え、と声が出て、空気が凍てつく。
心臓が止まるかと思うほど、胸が締め付けられて、完全に思考が止まる。その答えを、私は聞きたく無い。
「まいにち、こんなごはんをたべれるなんて、ゆめみたい、で・・・」
何も言い出せない私たちとは裏腹に、言葉の途中でノアは睡魔に負けたのか、急に寄りかかってきて、とっさに手を出し支えてあげる。軽くて小さな身体が手中に収まって、ちからの抜けた後頭部が私にもたれかかった。
母が隣にきて、優しく、包むようにノアの頭を撫でた。
「しあわせそうね」
そう言われて、顔を覗き込む。
その表情は本当にしあわせそうで、多分、今のこの空気を感じてはいないと思う。
「母さん、私」
「わかってる。だからほら、ノアちゃんを寝かせてきてあげたら」
「うん・・・」
母に手を貸してもらい、ノアを背負う。
重くはなく、想像していたよりも軽くて、昔の自分はどうだったかと少し重ねる。
「大丈夫?」
「うん、そんなに重く無いから。もっとたべさせないとね」
「そうしてあげて、あなたの手料理、本当に好きみたいだから」
「うん」
部屋へと戻ると、入ってすぐにノアの布団が足元にあって、朝起きた時にあったであろう、眠気との闘いを感じさせた。
入り口に向かって引きずられた布団たちを踏まないように歩いて、敷布団の上にノアを寝かせ、それから散らばっている布団をたちをノアの上に戻してあげた。
朝起きた際にみた光景に戻してあげて、部屋から出ようとすると、「すみません・・・」と弱々しく声をかけられた。
「すみません・・・どうしても、ねむくて・・・」
「いいって、もう少し寝てなよ。今日は休みの日なんだから」
「でも、話したいことがたくさんあって・・・」
「私もたくさんあるから、ちゃんと休んでから、たくさんお話ししようね」
そのあとは再び眠りについたらしく、ノアからの返答はなくて、少しのだけ見守ったあと、音を立てないように部屋を出た。
ダイニングに戻ると、母はすでにいなくてかわりに書置きがテーブルの上に置いてあった。
今日も帰りが遅いこと、明日は帰りが早いこと。書いてあることなんてそれだけで、ノアのことは一言も書かれていない。
ノアのことは本当に一任されてて、たまにアドバイスをくれる以外は特にふれてこない。
もし間違ったことをしているなら教えてほしいけど、ここ数日はほとんど家にいないのだから、そんな事わかりっこない。
だから、自分で考えて解決するしかない。
テーブルの上に置かれて、まだ手をつけていない朝食をキッチンに持っていき、ラップをかける。ノアが起きたときに、また食べられるように。
お皿を置いてキッチンから離れようとしたときに、視界の隅に淹れるのに失敗したコーヒーが目に入った。
せっかく淹れたのに、このまま捨てるのはもったいなく感じて、手を伸ばし口にした。
口に入れたとたん広がるはずの香りは、淹れるのに時間をかけすぎてしまったせいかぼやけていて、味もコクではなくエグ味だけが口内を広がっていく。
時間が経ってしまったせいで、温度も生温く、多分これをおいしいという人はそんなにいないんだと思う。
私が失敗したせいで、不味くなってしまったコーヒー。
でも、飲めないわけじゃ無い。
もともと苦い飲み物だし、生温さも熱すぎるよりは飲みやすい。
そんなコーヒーを飲みながら、誰もいなくなったダイニングを見渡す。
ちょっと夢見た、初めての三人での朝食。
忙しくて、いろいろあって、考えることもたくさんあって。
これからも続くのであればきっと楽しくない事もあるこの生活。
それでもいいと思う。
この生活は、嫌ではない。
「お話か、なにを話せばいいのかな」
つまらなくて、間違いばかりの私の人生。
何を話したらあの子の為になって、どんな話題ならあの子に楽しんでもらえるのだろうか。
あの子が起きるまでに考えておかないと。
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