『であい』は『しがらみ』ものせて1-3

「どう? やっていけそう」

 夕食を終えて、食器を洗っていると母が尋ねきた。


「まだわからないよ、そんな事」

 食器を洗う手を止めずに、そのまま答える。


真惟まい、もう少し自信を持ったら? 初対面の歳下の女の子が、もう既に心を開き始めてるのよ」

「まだ開いてくれてるわけじゃない」


 自信なんて持てるわけがない。少し会話がしやすくなっただけで、まだ互いに信頼関係を築けたわけじゃない。


 洗い終えたお皿を、カシャカシャと音を立てながら水切りに立て掛けた。


「母さんは、初対面なのにあの子を引き取ってきたでしょ」

 

 あの子から聞いた話だと、数か月前に母が突然現れて、それからすぐに引き取ると言われたらしい。

 一体どんな手を使えばそうなるのか。ついてくる方もそうだけど、連れてくる方もおかしな話だ。


「何があったかは聞かない約束だけど、もしあの子の為じゃなかったら」

、なに?」


 言葉が詰まる。為じゃなかったら、何だと言うのだ。

 

 蛇口を閉めて、シンクに残った水滴をタオルで拭いた。


「何でもない」

 

 タオルを畳んで脇に置き、一度深く息をした。

 言いたかった事があるはずなのに、それがボヤけてしまって形にならない。

 

 もう話すことは無いのか、母は自分の部屋へ足を進める。

 けれど私は、まだ話をしたくて、その背中に声をかけた。


「コーヒーれるけど、母さんも飲む?」


 母は一拍置いて「いただくわ」と言ってテーブルに向かい席に着いた。

 もう少し話しをしてくれるらしい。


 一滴の水滴もない、先ほど綺麗にしたシンクにケトルを置いて、水を淹れた。



「ノアちゃんは?」

「今は、お風呂に入ってる」

「そう、で不安なの?」

 

 コーヒーを一口すすり、母は単刀直入に聞いてきた。


「不安だよ、あの子を傷つけちゃうんじゃないかって」


 下手に隠さずに、そのまま悩みを口にする。

 隠したって母の前では何の意味もないと分かっている。


「真惟なら大丈夫。だって、優しいもの」

「優しくなんてない」


  本当に優しい人が、どの様な人の事を指すか私は知っている。それと比べたら、私はまだ程遠い。


「私は、怖い。私がした事が、また誰かを傷つけるんじゃないかって。そんな事で怖がってるのに、優しいわけがない」

 

 コーヒーの水面に映る自分の顔が酷くゆがんでみえる。結局、どんな理由を重ねても、私は自分が傷つくのが嫌なんだ。

 

「真惟は何も悪くなわ。だから、昔の自分を褒めてあげなさい。それだけの事を、あなたはする事ができたわ」


 母は何処か楽しげで、誇らしげで、過去を懐かしんでいる様に見えて、その事が少し嫌だった。

 母と違い、私は過去を懐かしむことは無いし、褒める事なんてできない。

 駄目な過去は否定すべきだし、だからこそ学べる事があると思う。


「ねえ、真惟。無理して優しくなる必要はないわ。ただあの子の、ノアちゃんの側にいてあげて」

 迷っている私に母は珍しく、具体的に要望を言った。

 今日の母はおかしい。いつも放任主義で、どんな事も答えを教えてくれないのに。


「それだけでいいの?」


 母ならもっと沢山の事をしてあげられるのに。


「そう、それだけで十分」

 

 じゅうぶん、じゅうぶん、と母は繰り返し言い聞かせる様に反復する。

 再び視線を下げてコーヒーの水面に浮かぶ自分を見た。相変わらずいびつで、あの頃から何も学べてないとすら感じる。そんな私が側にいていいのだろうか。


「まあ、気負わないで気楽にすればいいよ」


 何それと前を向くと、母がこっちを向いてニタニタと笑っていた。

 意味がわからない。

 大きく息をついた。目の前にで笑っている人を見ていたら考えてる自分が馬鹿らしくて。

 ごちゃごちゃとした感情を全て吐き出したかったけど無くならなくて、半分くらい残っているコーヒーを勢いで飲み干した。


 冴え切らない感情のまま、深く大きく息を吸う。さっき吐き出した分、新しいものを吸気するように。そして吐き出す。そうすると、少しは気が晴れて、頭の中が少しはすっきりとした気がした。


「そうしてみる。その方があの子も過ごしやすいだろうし」

「そんなんじゃ駄目」

 

 母が血相を変えて、真面目な声で話す。


「あなたも過ごしやすい環境にするの。ここはあなたの家でもあるんだから。気を遣ったり、遣わせたりするのは駄目。必ず二人が自然体でいられるようにするの」


 母が言うことはもっともな事で、でも


「難しいよ」

「ええ、そう。難しくて、大変な事よ。でも、その価値はあるってあなたは?」

 

 勝手だなと思う。

 相談もなしに連れてきて、私に押し付けて、その上にいつもならしてこない指示をしてくる。


「あなたなら、大丈夫」


 何を確信しているのか、何を期待してるのか、そもそも本当は私に何をさせたいのか。全てが、わからなかった。


 だって、母さんは


「お風呂、ありがとうございました」


 扉の開く音と共に、今までこの家にはなかった幼い声が聞こえた。

 母はその声の主に向かって話しかけて、二人はそのまま会話をはじめた。

 少しだけ気まずさが残る何事もない会話の傍で、私は何かを言いかけて開いた口を静かに閉じた。


 席から立って、中身のないマグカップを置きに、何かから逃げるように台所へ向かう。その間も二人の会話は続いていて、でも、そこに入る気にはなれなかった。


 私は何を言おうとしたのだろう。

 ノアが入ってこなければ、そのまま口にしていた言葉は、今となっては思い出せなくて、でも、きっとひどい言葉だったと思う。まだ心臓が高鳴っている。

 どろどろとした感情が頭の中を渦巻うずまいて気持ちが悪い。きっと、私はこの感情を母にぶつけようとしたんだ。


「ちょっと真惟? 聞いてる?」

 母の声が聞こえて顔を上げる。そうすると二人はいつの間にか会話を止めてこっちを見ていた。


「え、何?」

「え、何? じゃないでしょ。ぼーっとして。先に風呂に入っちゃって」

「あー、うん。わかった」

 上辺だけの返事を返して、まだ手に持っていたマグカップを台所に置いた。

 

「ねぇ、ノアちゃんも何か飲む? コーヒー以外にも、ココアとか紅茶とかもあるから」

 お風呂に入る前に、気晴らしがしたくてそう聞くと、ノアは母の方を確認するように見て、母が頷くと再びこちらを向いた。


「それじゃぁ、ココアがいいです」

「わかった。少し待ってて」


 そう言って、再びケトルに水を入れてコンロに火をかけた。 

 お湯を沸かしている間に戸棚からココアの粉末を取り出しているとノアが台所の方へ歩いてきた。


「あの⋯⋯大丈夫ですか?」

「ん? 何が?」

「さっき、様子が変だったので」

 ノアは心配してくれたのか、そう尋ねてくれた。

 この子がそう感じるくらいには、さっきの私はおかしかったのだろう。


「あ、うん。大丈夫だよ」

 そう伝えると、ノアは少し不満そうな表情をして「そうですか」と返した。


 

 お風呂を出て、寝る前にしなくちゃいけない事を終わらせる。

 洗濯物、食材の在庫確認、母に持たせるお弁当の仕込み、他にも細々とした家事をいつもと同じようにこなしていく。


 こういった家事も、出来るのなら分担した方がいいのかも知れない。

 今まで一人でしてきた事だから今更一人増えても苦ではない。けれど、家事を割り振る事でこの家にいる理由が少しでも出来るのなら、それでもいいと思えた。

 役割があるだけで、居場所というのは自然とうまれるものだから。

 

 もちろん、あの子が嫌がるのならしなくてもいいのだけど。


 家事を終えて、部屋に戻るとノアは私が貸したタブレット端末をみながら壁に寄りかかって座っていた。

 ノアはこちらに気がつくと顔を上げて、何かを話そうと必死になっているのか、表情がわたわたと忙しく変化している。


 そんなこの子を見てると、何だか少しあいらしく感じられて、面白いから少しのあいだ眺めていたけれど、いつになっても続けるものだから、可哀想になってこちらから話しかけた。


「何か気に入ったアプリとかあった?」

「あ、えっと。本のアプリが。漫画とか、絵本も入ってて」

「よかった。私が使ってない時ならいつでも好きに使っていいから」


 ノアは頷いて、再びタブレットに視線を戻す。何を読んでるんだろう。部屋の本棚にも興味があるみたいだし、好きかって聞いたらそうじゃないって言っていたけど、本には一定の興味があるみたいで。まあ、好みとかは後で少しずつ知っていけばいい。何せ今日初めて会ったのだから。


「今日はそろそろ寝よっか。私も眠いし」

 

 いつもよりも早い時間なのに、色々あったせいなのか、今日はすでにまぶたが重かった。このまま布団に入ればゆったりとした質のいい睡眠ができそうな気がする。


 はい、と返事が返ってきて、ノアは直ぐに立ち上がって、そのまま私の前まで歩いて立ち止まり、タブレットを差し出した。


「貸してくれて、ありがとうございました」


 ほがらかな笑顔と、とげのない言葉。

 まただった。

 笑顔って自然と出ているものだと思う。

 幸せを感じたり、相手に幸せになって欲しかったり、状況は沢山あっても理由は“幸福”が根幹こんかんにあって意識をしなくても出てしまうものなんだと思う。

 

 やっとわかった。どうして昼間、本棚の前で違和感を感じたのか。どうして今も私を締め付けてくるのか。

 

 この子はきっと・・・


「あの・・・お願いしてもいいですか」

 

 ん、と少し戸惑いが混じってしまった返事をしてしまって、でも、そんな情けない私の事なんて気にしないで、あなたはお願いを言ってくれた。


「布団を、くっつけて敷いてもいいですか」


 ものすごく些細なお願いで、もしかしたら言葉にするのには恥ずかしかったかも知れないお願いで。

 でも、勇気を出して言葉にしてくれたんだよね。


 人は他人を変えられないと言うのなら。


 どうして人は他人に寄り添うの?


 私たちは、どうやって変わっていくの?


 どうして、私たちは変わっていくの?

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