『であい』は『しがらみ』ものせて1-1

 母はいつも唐突だ。相談なんてしてくれた事はないし、予定ですら教えてくれなくて、気が付けば私を巻き込んでいる。その事はもう慣れたと、自分では思っていたのだけど、


「喜んで、真惟まい。今日からこの子があなたの

「いや、喜んでって」


 自然と眉間みけんに力が入る。今の状況が飲み込めなかった。


 春休みも半分が過ぎて、穏やかに過ぎる毎日を家事と勉強だけをして過ごしていると、いつも休みを取らない母が、今日に限っては急に休みを取り「昼過ぎには帰る。お昼ご飯は要らない」とだけ言って朝早くに家を出て行った。

 

 確かに、お昼過ぎに帰ってきたけど、何故かそのかたわらには、十歳くらいの髪の長い可愛らしい女の子を連れていた。


 誰なんだろう、この子。


 親戚とはあまり会った事はない。それは、母がそういった事を嫌ってほぼ絶縁に近い状況にしてしまっているからで、親戚と会ったのは数年前に祖母が亡くなった際に一度だけ。けれど、その時には私以外の子供とは会わなかった。


「ほら、自己紹介して」


 母が少し横にずれて、影に隠れていた女の子を前に出すと、その子はこちらの様子を疑いながらも、意を決したのか口を開いた。


きずくノアです。十歳・・・です」


 やっぱり聞いた事がない名前だ。母もそんな名前一度も話した事ないし、何で母はこの子をここへ?


 謎は増える一方で、でも、それとは別に、私も自己紹介をしようとして近づくと、ノアは再び母の影に隠れてしまった。


 怖がらせちゃったかな・・・


 こういった時、母のつくる柔らかい、当たり障りのない態度が羨ましい。真似をするのは嫌だけど、今は参考にしてもいいと思った。


 もう少しだけ、ゆっくりとこの子に近づく、手を伸ばしてもギリギリ届かない、そこまで近づいて膝を下ろし、片膝立ちになって彼女との目線を出来るだけ水平にした。それから、そっと片方の手を怖がらせないように前に出した。


「私は早瀬真惟はやせまい十六歳で、今度から高校二年生」

 出来るだけ優しく、起伏のないように丁寧に言葉を話す。


 よろしく、と付け加えて手はそのままに、開いたままにした。彼女は少しだけ驚いた表情をして、私の手をじっと不思議そうに見て、そのあと、ゆっくりとだけど自分の手を伸ばして私の手を握った。


「よろしく・・・お願いします」

「うん、よろしくね」


 手を離して、静かに立ち上がる。さっきと違い、母に隠れないのをみるに、これで少しは大丈夫だろうか。


「さて、互いに自己紹介も済んだので真惟まいにお願いがあります」

「何? 私は早く説明して欲しいんだけど?」


「車に荷物が積んであるので運ぶのを手伝ってください」


 そう言って頭を下げる母に、私は少し呆れていた。


「あと、二人は同じ部屋ね」

 え、となまった声が聞こえる。母の犠牲者が今日また一人増えた。



 車に母と二人で荷物を取りに行く際に、一部だけ説明してもらった。


『引き取る事になった、面倒を見て欲しい、私に理由は聞くな』


 言われたのはそれだけ、これでは説明がないのと同じではないのかと思いながらも、母が私を頼るのは珍しいので何も言い返さず、わかったと言ってしまった。


 車に行くと、彼女の荷物とそれ以上に日用品を買ってきたのか様々なものが積んであり、車の後部座席は荷物でいっぱいになっていた。


「ごめんね、買い過ぎちゃった」

「謝らないでよ。母さんが必要だと思ったんだしょ」


 買ってきた荷物をみると、布団とか衣装ケースとか、小さなものだと歯ブラシや文房具まで、おそらくは日用品だけではなくて彼女の学校に必要な物まで買ってきてある。どれから運ぶのかを、何があるのか確かめながら考える。


「今日しか休めないから」


 "今日しかからじゃないの"


 そんな言葉が脳裏をまたぎ、口に出す前に飲み込む。この言葉は意地悪で最低だ。


「相談してくれたらよかったのに」


 ぶつけてしまいたい本心を、できるだけ穏やかに、提案として口にした。


「ごめんね」


 けれど、どんなに気を遣っても、返ってくる言葉はいつも同じ。

 先に運びたい荷物に手を取り、車の扉を閉めた。


「謝らないでって」


 謝るくらいなら、初めからしないで欲しい。




 荷物を廊下に運び終え、部屋に戻ると、ノアは私の部屋にある本棚を眺めていた。


「本、興味あるの?」

「いえ・・・あまり読まないんですけど、知らない言葉の本があるなって」


 隣に立ち、本棚を視界に入れる。天井付近まで届く本棚には、大小さまざまな本が大きさではなく、内容で分けられていて、そのせいでデコボコしたあまり見た目の良くない並びになっていた。


いびつだよね。言語も大きさも入り混じって、これでも整理してあるんだけどね」

「そんなことないです。いつもこんなに難しそうな本を読むんですか?」


 質問の解答に困る。

 難しい本、それは確で、ここには一般的な書籍は置いていない。精神や心といった抽象的ちゅうしょうてきな物への哲学を述べた本が中心にあって、それを理解する為に必要な本が周りにある。だから、ここにある本は読むというより、


「理解しようとつとめてる、かな」

「理解・・・ですか?」

「そう、わからないからここにある、わかってしまったら、ここに残す意味はないから」


 役目を終えた教科書と同じで、ここにある本も私の知識となれば、おのずと意味なんてなくなっていくのだろう。

 それまでは、ここに。


「よく・・・わからないです」

 

 ノアからの言葉にひっかかりを感じて、隣を向いた。

 わからないと言った彼女は下を向き、一見、無表情にも見えるどこか遠い表情をしていて、でもその中に確かに感じる不安から私は目が離せなかった。

 

 どうしてそんな顔をするの?


 胸の奥が痛い気がした。

 わからない事は別に悪い事じゃない。今は理解できなくても、いずれ理解できるようになればいい、ただそれだけなのに。


 何故こんなにもこの子は苦しそうな表情をしているのだろうか。


 はげます言葉は無数にあって、けれどこの場に適した言葉はみつからない。どんな言葉をかけても、この子の心には届かない気がした。

 

 この子は何に対してわからないって言ったのか、その理由を知る事ができたなら何か言葉をかけてあげられただろうか? けれど私にはそんな知識はなくて、


荷解にほどき、しよっか」

 

 進まない話を胸に仕舞い、できる事を進める。


「はい」とこちらを向き微笑んで返事を返してくれるこの子の表情が、鋭いナイフのように私に突き刺さった。

 

 心臓を鷲掴わしづかみされながら、そこを刃物がゆっくりと刺さっていくような感覚。傷口からは、今まで仕舞い込んでいた感情や言葉たちがどろどろと流れ出て、私にまとわりついていく。


"人はね、他人を変えられないんだよ"

 

 どうしてなのだろう、遠い昔に言われた言葉が頭の中で鳴り響く。まとわりついたどの言葉よりも大きくて、どの言葉よりも優しくて、どの言葉よりも

 

 鳴り止まない言葉に、少し黙ってよ、と心の中で言って、何事もなかったかのように、荷解きを始めた。

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