そばに寄り添う、君といて

降霰推連

『はじまり』と『であい』は廊下にて

「さ、ついたわ」


 車に揺られて数十分。そう言って、三ヶ月前にわたしの前に突然現れた四十代くらいの女の人は車を知らないアパートの駐車場に停めました。


「ささ、降りて。今日からここが、あなたの家よ」


 何となく全体的に軽い人で、でもそれでもいいと思いました。わたしは家が欲しかったし、何でもいいから、独りでいたくなかったのです。

 

 この人と始めた会った時に「引き取るには色々と準備がいるからそれまで待ってて」と言われて、今日までいろんな人の所で生活してきました。優しい人、つめたい人、お節介な人、無関心な人、みんなそれぞれ違っていて、でも共通していたのは、寝る場所とご飯を食べさせてくれた事です。

 だからきっと、みんないい人たちだったんだと思います。


 けれど、どんなにいい人たちでも、わたしは家の中には入れませんでした。もちろん、実際は家に上がって部屋も貸してくれましたけど、どこにいても、その家の玄関まででその先には入れない、なんというのか、そがいかん? それを感じていたんだと思います。

 

 急に、わたしの席のドアが開きました。私がいつまでも座ったままだから、あの人は開けにきてくれたみたいで「さ、行きましょう」と言って、優しく微笑んでくれました。わたしはそれに「はい」と言う返事と笑顔で返しました。


 笑顔でいればいいと、少なくてもそれで悲しむ人はいないと、この時のわたしはそう考えていたのです。


 言われるがままに外に出て、これから住む場所を視界に入れました。建物は二階建てのそんなに大きくなくて、古くもない普通のアパートでした。でも、少しだけ懐かしいって感じました。数ヶ月前まで住んでいた場所はもっと古かったのに、不思議です。


 少し立ち止まって眺めていると、「大丈夫?」と聞かれて、「大丈夫です」と返しました。あの日から、よくこの言葉をかけられます。実際はどうなのか、自分でもよくわからなくて、いっそ誰かが決めてくれたらなっていつも思っていました。


 返事を聞いて納得してくれたのかは分からないのですが、この人はまた、わたしに微笑んでくれて、今度はわたしの手を握ってアパートに足を進めました。


 どうしてなのかは分かりませんが、この人はあまりわたしの事を聞いてきませんでした。過去の詮索とか、こうして欲しいって要求もなく、だから、わたしから聞かなければいけないと、そうじゃないと、この人は何も教えてくれないと感じました。


 わたしは勇気を出して「あの」って声をかけました。

 ちゃんとした声ではなかったと思います。けど、この人は足を止めて、こちらをみてくれました。


「どうかしたの?」


 それを言いたいのはこちらだと思いながらも、聞かなきゃって考えていた事を頭の中でまとめて声に出しました。


「その・・・なんて呼んだらいいんですか」


 わたしは今までこの人の名前を聞いた事がありませんでした。どうしてわたしを引き取ってくれるのかもわからなくて、でも、周囲の人はあの人なら大丈夫とか、良かったねと言っていたので、とくに考えることもなく、ついてきたのです。


 目の前にいる人は、わたしの質問を聞いてキョトンとして、それから自分に向かって指をさしたので、わたしは、そうですと頷きました。


「呼び方か、んー別に何でもいいんだけど、それじゃ、"お母さん"で」


 "お母さん"その言葉に少しだけ胸が痛くなりました。


「お母さん・・・」


 でも不思議と口にしてみるとあんまり嫌ではなくて、痛かったのはこの人の口から出た言葉で、わたしが口にするのは問題ないみたいでした。

「そう! どうかな? いや?」

「嫌ではないですけど」と言うと、すぐさまに「やったー」と喜んでくれるこの人をみて、まだ名前を聞いていないと思いながらも、それでいいかなと感じました。本当、不思議な人です。


 そんなやりとりをした後、再び手を引かれて、建物の脇にある階段に足を進めました。どうやらこの人の部屋は二階みたいです。


「あ、そうそう」

 と、お母さんは階段を登り終えたあたりで足を止めてこちらを向きました。


「実はね、わたし娘がいるの」


 いきなりな発言に驚き、本当にこの人は何も説明してくれないんだと、この時に理解しました。


「とても賢くて、優しい、面倒見のいい子なの。歳は・・・十六だったかな? 少し怖いかもしれないけど、シャイなだけだから気にしないでね」


 どうして年齢が曖昧なのか疑問を持ちながらも、別に娘がいる事には疑問はなかったです。今までお世話になった人達もみんな家族がいたわけで、だからこそ寂しいと感じたわけですし。


「それとね、あの子の事は"お姉ちゃん"って呼んであげて、きっと喜ぶから」


 そう言ったお母さんの表情に、少しイタズラっぽさを感じながらも頷きました。この人たちの中で、冗談的なやりとりがあるのなら、それでもいいのかなと、そう思ったからです。


 玄関の前で立ち止まり、ここだよと言われて少し緊張しました。


 多分、今までよりも、ここでの暮らしは長くなるはずです。もしかしたら一生とまではいかなくても、一人で生きて行けるようになるまで。


 でも、もし、今までと同じように馴染めなかったら? わたしは一人で生活できるようになるまで、ここで孤独に過ごさなきゃいけないのかと。それだけは嫌でした。もう一人だけは絶対に。


 だから、わたしはこの家に馴染まないといけませんでした。例え本心じゃなくても、一人になるくらいならいっそ死んだ方がましだと、心からそう感じて。


 そうして扉は開き、わたしは新しい家へと招かれました。中は廊下があって、いくつかの扉がみえました。


 お母さんは、それらに聞こえるように「ただいま、ちょっと来てー」と声をかけていました。

 その時に初めてお姉ちゃんがマイって名前なんだって知りました。普通の人なら、先に名前から教えてくれるのにと思いましたけど、多分、お姉ちゃんと呼ばせたいからそうしたんだと思います。

 

 程なくして「何? 母さん」と、少し低くて、でもんだ綺麗な声が聞こえてきて、廊下にある扉の一つが開き、すらっとして、髪の短い、綺麗な人が出てきました。

 わたしは息を飲み、言葉が出ませんでした。今までに会ったどんな人とも違う、気迫きはくを感じて圧倒されて、凄い人だって一目でそう感じました。

 扉から出てきた人がわたしに気づいて目線が合い、わたしは怖くなって、咄嗟とっさにお母さんの後ろに隠れました。


「母さん、その子は?」


 この人の問いから察するに、わたしだけじゃなくて、この人も何も聞いてないようでした。


「この子はね・・・」


 わたしの事をなんて説明するのでしょう。問題のある子? 訳ありの子?

 どうしてなのか、この人に悪い印象を持たれるのがいやで、わたしは焦っていました。でもこの時のお母さんは、


「喜んで、マイ。今日からこの子があなたの


 たぶん、すべて私たちににしたんだと思います。

 



 

 

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