第二十六話 一関さんの厄日 1
「その顔からして、あまりポスターのことは気にしてなかったみたいですね」
「お恥ずかしい限りです、ほとんど視界に入れてませんでした」
図星をさされて小さくなる。決して気がついていなかったわけではない。自分に関係あるものだとは認識していなかったのだ。
「まあしかたないですよ。
「本当にこんな場所に来ちゃうものなんですか?」
「意外とあるんですよ。実際にこの手の遊興施設で目撃されて通報が来たこともあるので」
「へえ……ものすごく意外」
遭遇はしたくないけれど、一体どんな心理なんだろう?と少しだけ興味がわいた。
「万が一のために、明日から控室にあるポスターはちゃんと見ておきます」
「お願いします」
そうこうしているうちに、次は私が降りる駅に到着するというアナウンスが流れた。
「駅から自宅まで近いと聞いてますが、くれぐれも気をつけて」
「はい。天童さんもお気をつけて」
そう言って席を立つ。
「お疲れさまでした!」
「お疲れさまでした、また明日」
そうあいさつをして電車を降りた。駅を出ると遅くまで営業しているスーパーに立ち寄る。お茶とお菓子御馳走になったからそんなに空腹ではないけれど、明日の朝ご飯になるものが底をつきかけていた。パークの社員食堂がいわゆる洋食系なので、自宅では和食中心になることが多い。とりあえず探すのは明日の朝ご飯だ。
「あ、海苔の
明日の朝ご飯で食べるものは決まった。あつあつご飯に辛子明太子!
+++
「ぎりぎり間に合った! あ、おはようございます、天童さん!」
次の日、玄関に駆け込むと、タイムカードを押していた天童さんが振り返る。
「おはようございます、一関さん。まだ始業時間にはじゅうぶん間に合うと思うんですが」
天童さんは時計を見ながら首をかしげた。
「そうなんですけど、始業時間四十五分前に到着というのがマイルールなので」
うっかりいつもの電車に乗り損ねてしまい、危うくそれが破られるところだったのだ。
「珍しいですね、一関さんが寝坊するなんて」
「いつも通り起きたんですよ。ただ、辛子明太子がおいしすぎて、うっかり朝ご飯の時間が長くなっちゃったんです」
「辛子明太子、ですか」
「昨日、1パック半額だったので買ったんですけどね。うっかり完食してしまいました」
それを聞いて天童さんが笑い出す。
「それはなかなか」
「ご飯おかわりしちゃったし、このままだと自宅から歩いて通勤しなきゃいけなくなるかも。ぜんぜん体重が減らないし」
「だったら昼飯を控えたら良いじゃないですか」
「それができるなら苦労はしませんよ。本当にここのご飯はおいしくて罪深いんだから。あ、天童さん、笑い事じゃないんですよ。私にとってはけっこう深刻な悩みなんですから」
「それは失礼しました」
そう言って天童さんはニヤニヤを引っ込めた。けど口元がまだムニュムニュしている。
「ところで一関さん、昨日あずけた制服の上着は?」
「あ、しまった、忘れてた! 受け取りに行ってきます!」
慌てていたのですっかり引き取るのを忘れていた。タイムカードを押してから、ダッシュで業者さんの作業場に引き返す。慌てすぎたせいか、途中で足がもつれて何度か転びそうになった。
「あー、こういう日は気をつけないと。絶対にロクなこと起きないし!」
自分の経験上、悪い事っていうのはたいていまとめてやって来る。遅刻しそうになって上着を引き取り忘れて、その途中で三度も転びかけた。これ以上は悪いことが起きないよう、パトロール中は気をつけておかないと。ロッカーで着替えてから、控室に向かう前に、姿見の前で念入りに服装を含めてチェックする。
「他のボタンよし! 髪の毛よし! お化粧よし! 時計もよし!」
少なくとも仕事をするための準備は問題なし! そう自分に言い聞かせると、ロッカールームを出て控室に向かった。
「おはようございます!」
「「「おはよーさーん」」」
私の声にその場にいた全員からのあいさつが返ってくる。無線機と特殊警棒を装備する前に、ポスターが貼ってある壁の前に向かった。なるほど、これが全国指名手配犯達。いかにもな顔つきの人もいれば、人は見かけによらない的な人もいる。
「さっそく見てるんですね」
天童さんが感心感心とつぶやく。
「でも天童さん」
「なにか疑問な点でも?」
「この人なんてものっすごい昔の人ですよ? 生きてたら八十歳はゆうに超えてます。生きてるんですか?」
一番古い手配犯らしき人の写真を指でさした。
「今のところそれらしい人物の死亡届は出ていないので、まあ生きてるのでは?というレベルですね。今は百歳で元気に暮らしている人もいますし」
しかも写真は学生だったころの写真。こんな写真で、八十歳の指名手配犯を見つけるなんてできるのだろうか?
「被害者家族はずっと、加害者が捕まることを願っていますからね。今は時効も撤廃されましたし、警察としても最後まであきらめずに追いかけ続けるんですよ」
「こんなにいるの大変……」
ポスターに載っている写真はけっこうな数だ。しかもかなり昔の事件から最近の事件までさまざま。天童さんによると、この手の人を探す『見当たり捜査』という捜査を専門で行う部署もあるそうだ。
「おまわりさんも大変なんですね」
「それでも警察だけで探すのには限界がありますからね。だからここ、こういうポスターを貼って、一般の人からの情報を募るわけですよ」
「なるほど~~」
とは言えこのポスターに載っている人達が、ここにやってくるとは思えないけど。
「でもこれで、天童さんがなかなか脱パーントゥできない理由がわかった気がしました」
「え?」
天童さんは、無線機と特殊警棒を装備しながら首をかしげる。
「そりゃこれのことが頭にあったら、どうしたって殺気が
「そんなつもりはないんですけどね。習慣はなかなか抜けなくて」
「でも、今の天童さんはここの警備員なんですから、パーク内を歩く時は、できるだけマイルドな空気でお願いしますね」
「努力します」
時間になったので私達はパトロールに出発した。今日は金曜日。お客さんが増えてくるのは夕方からの見込みだ。指名手配犯はさておき、人が増えればそれだけ起きる問題も増えてくる。気を引き締めてパトロールをしなければ。
ショッピングモールを巡回していると、本部から連絡が入った。レストラン街で酔っ払いが暴れているらしい。
「この時間帯に暴れるほどの酔っ払いが出るなんて珍しいですね」
現場に向かいながら天童さんが時計を見た。まだお昼前。お酒のオーダーに時間制限はないけれど、この時間から酔っ払う人はなかなかいない。
「暴れるほど飲むって、一体どんだけ飲んだんだか。天童さん、酔っ払いの対処したことありますか?」
「勤務していた交番が繁華街横だったことがあって、その時に何度も」
「何度か」ではなく「何度も」。つまり数えきれないぐらい対処したということだと思われる。経験者がいるのは心強い。
「応援を呼んだほうが良いですね。たぶん二人では取り押さえられないと思います」
「応援要請します」
天童さんに言われて本部に応援要請を伝えると、休憩中だった
「久保田さんと矢島さんが来てくれるそうです」
「元機動隊員と元自衛官が来てくれたら心強いですね」
その言葉を聞きながら考える。組んでいたのが久保田さんや矢島さんだったら、応援要請は必要なかったのだろうか。これってやっぱり私が女だから?
「もっと呼んだほうが良いですか?」
「いえ。そこは
歩きながら天童さんがこっちを見る。
「たとえ一関さんがプロレスラーなみに強くても、俺は応援要請を出す判断はしましたよ」
「え?」
「だって、自分だから俺が応援要請の判断をしたのではって、考えたでしょう?」
「えっと、まあそんなところです」
すっかりお見通しだったみたいだ。
「防犯教室で一関さんの技量はわかっていますから、そこは信用しています。ですが酔っ払いの暴れっぷりは本当に油断がならないので、取り押さえるのは俺達に任せてもらいます。さすがにサスマタやモップで張り倒すのはまずいですからね」
そう言って
「まずいですか、やっぱり」
「はい、まずいです。酔っぱらいはとにかく捕まえて隔離しておくに限ります。酔いが
「だったら最初からおとなしくしてれば良いのに」
「そこが酔っ払いの困ったところなんですよ。なんでそこまでになる前に飲むのをやめなかったのかって、俺もよく思ってました」
そう言って少しだけ遠い目をする。
「まあとにかく、さっさと確保してしまいましょう。もたもたしていたら、海賊がやってきて手柄を横取りしていくかもしれませんし」
天童さんはニッと笑った。
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