第二十七話 一関さんの厄日 2
テラス席が視界に入ると同時に怒声が聞こえてきた。まだかなり離れているというのに、めちゃくちゃよく聴こえる。それだけ大声で騒いでいるということだ。まあ、なにを言っているかまではわからないけれど。
「
「気持ちはわかりますがダメです。ていうか、警備部にスタンガンはないですよね?」
「「おーい、応援きたぞー」」
うしろから
「二人とも手ぶらじゃないですか」
「ん? 特殊警棒は持ってるぞ? 今回は必要ないと思うが」
久保田さんが上着の上からたたく。
「そうじゃなくて、サスマタは持ってこなかったんですか?」
「あんなの持って走ったら目立つじゃないか。お客さん達が何事かと驚くだろ?」
「じゅうぶんに何事なんですけど」
「レストラン街のバックヤードにあるから、必要ならそっちを使えってさ。それで? 今ほえてるのが問題の
声を聞いた矢島さんが首をかしげた。
「そうです。めちゃくちゃ酔っぱらってるみたいです」
「こりゃ泥酔状態かな。とりあえず、久しぶりに
「それ、虎ちがいです」
心なしか楽し気な矢島さんに、冷静なツッコミを入れる天童さん。
「三人ともまだ接近禁止の業務命令が出てるのに、なんで久保田さんと矢島さん」
「体があいてるのが俺達だけだったんだよ」
「こっちに来る前に部長に何度も念押しされたよ。できるだけお互いに近づくなって」
「無理に決まってるのにな」
二人とも悪い顔をして笑っている。
「取り押さえるのは我々三人でと考えていますが、それで問題なしですね?」
天童さんの言葉に二人はうなづいた。
「私、やることないじゃないですか」
「他のお客さんを安全な場所までの移動させるのは警備スタッフの大切な仕事だ。そこは一関さんに任せる」
「えー……」
矢島さんの言葉に異議をとなえる。
「意外と手間だぞ? 食べているからと移動したがらない客とか、スマホでこの騒動の動画を撮るためにその場にとどまる客とか、用もないのに近くをウロウロする客とか。そういう連中も邪魔だから、できるだけ現場から遠ざけてほしい。それで? 誰が一番
「そりゃ天童君だろ。俺達はただの応援要員だ」
「と言うわけだ」
「任されました。自分も酔っ払いの対処は久しぶりなので、バックアップよろしく」
すっかり三人チームの雰囲気だ。私だけ除け者にされてされているようで、ちょっとムカつくんですが! ムカムカしていると、店内から外になにか飛んでいくのが見えた。
「なにか飛びましたよ?」
「飛んだな、人じゃないなにかが」
「イス? イスなのか?」
「イスみたいですね」
どうやら店内のイスを酔っ払いさんが投げたらしい。
「あのイス、めちゃくちゃ重たいはずなんですけど」
「しかし、いい年したおっさんがメルヘンな場所で酔っ払って暴れるって、一体どういうことなんだ」
「俺があのオッサンだったら、しらふになったとたん、
「さっさと取り押さえて隔離しましょう」
私達は店の入口に回らず、テラスからそのまま店内に入った。酔っ払いはかなり暴れたらしく、テーブルやイスがあっちこっちに散らばっていた。床には食器類が散らばっていて、それはそれは酷いありさまだ。ただ幸いなことに他のお客さんはすでに避難ずみのようで、店内には男性スタッフが何名か残っているだけの状態だった。
「私、お客さんの誘導する必要ないかも」
「ケガ人がいないかどうかチェックをお願いします。あと、暴れている人の関係者の確保も」
「えーとサスマタは?」
「必要になったら言います」
「了解しました」
「一体どうしたんですか、あーあー、店をこんなにしちゃってまあ」
横切る私を見る酔っ払いに、久保田さんが軽く声をかける。その声でこっちに向いていた視線が、天童さん達三人に向けられた。そのスキに私は店の入口から外へ出る。そこにはお客さん達とスタッフがいて、心配そうに店内の様子をうかがっていた。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
私の問いかけにほぼ全員がうなづく。背後で物凄い音がして全員がビクッとなった。そっと店内をのぞくと、酔っ払いのおじさんがイスを抱えて暴れ回っているところだった。
「ええええ……やっぱりスタンガンいるんじゃ?」
「あの、これ必要でしょうか……」
店内スタッフのお姉さんがサスマタを持ってきた。あの重たいイスを振り回す相手に、サスマタで対抗できるだろうか? これは旧式のサスマタ。防犯教室で使った最新型のサスマタが必要かもしれない。
「ありがとうございます。今のところ必要なさげなんですけど、万が一の時のために置いておいてください」
「わかりました」
店内の様子を引き続きうかがう。三人は「落ち着いてください」と声をかけながら、おじさんに近づくスキをうかがっている様子。相手がイスを振り回すせいでなかなか難しそうだ。
「スタンガンあっても近寄れなさそう。あ、すみません、あの男性のご家族かお知り合いのかたはいらっしゃいますか?」
お客さんに声をかけると、三人ほど私の前にやってきた。
「うちの父です……すみません、こんなことになってしまって」
「お酒が入っていない状態なら声かけしてもらうんですが、あの状態ではちょっと難しそうです。事情をお聞きするために事務所に来ていただくことになりますが、大丈夫ですか?」
「はい、もちろんです」
奥さんの他に小学生ぐらいのお子さんが二人。楽しくすごしていたはずなのに、とんでもない事態になってしまった。不安げなお子さんに目を向ける。
「心配しないでね。お爺ちゃんが落ち着いたらお話を聞いて、あとはお家に帰ってもらえるから」
まあ、お爺ちゃんは警察署にお泊りすることになるかもだけど。
「連絡したいご家族は他にいらっしゃいますか? 皆さんをお迎えにきていただくとかそんな感じですが」
「主人は仕事中ですし、母はいま入院中で」
「なるほど」
うなずいた瞬間、顔の横をものすごい勢いで何かが横切った。そして壁にぶち当たりそれが粉々に砕ける。お客さん達は悲鳴をあげて後ずさった。私は耳が無事かどうか確かめたくて手をやる。大丈夫、耳はちゃんとそこにあった。
「……お怪我はありませんでした?」
大丈夫そうだけど念のため、近くにいたご家族に声をかける。壁にあたって砕けたのはイスだった。
「は、はい! 重ね重ねすみません!」
女性は子供達を抱きしめながら頭をさげる。
「いえいえ。怪我してないなら良かったです。砕けた破片も当たると痛いですからね。もうちょっと離れた場所に移動しましょうか。また飛んできたら危ないので」
「もー、おじいちゃん、さいあく!」
「ぼくたちがしかってくる!」
女性に抱きしめられていた子供達が、母親の腕を振り払って飛び出した。そしてお店に突撃しようとする。
「あ、ちょっとダメです! 顔を出さないでください! 危ないので!」
お店に入る半歩手前で襟首をつかみ、二人を引き留める。それを見た酔っ払いのおじさんが、鬼みたいな形相になった。
「わしの孫になにをする! 変態か!」
「ええええ、なんで私が変態?!」
酔っぱらっているくせに孫のことは心配らしく、イスを振り回しながらこっちに向かってきた。しかも今度は両手に持っている。
「一体どんだけの腕力?!」
「うちのお爺ちゃん、大工さんだから力持ちなの!」
「いや、そういう話じゃなくて!」
両手でイスを振り回されたら天童さん達だって簡単には取り押さえられない。それなのに相手はこっちに向かってくるし。しかも私を変態とか罵倒してるし! そもそもお孫さんが店内に突撃しようとしたのは、あなたが原因なんですが!
―― やっぱり今日は良くないことがまとめてやってきてる! ぜんぶ辛子明太子を買っちゃったせい?! ――
「まったくもー、アルコールの販売は見直したほうが良いんじゃないかな!」
そんなことをつぶやきながら、子供二人を引きずるように引き寄せると、後ろにいる女性のほうへと押しやった。その瞬間、頭にものすごい衝撃を受け前につんのめる。
「?!」
目の前にタイルの模様が迫ってきた。そして頭をよぎったのは、次から辛子明太子を朝から食べるのはやめておこうということ。それと目の前が真っ暗になる直前、なぜかリーダー達マスコットが私を囲んで踊っていたような気がしたけど、さすがにそれは幻だったに違いない。
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