第6-3節:初戦の結果は……
……っ? もしかしてコケが融けてる?
そうか、ヤツに触れられると動植物は融けてしまうのかもしれない。瞬時にというよりは時間をかけてという感じだけど。
それと石などの無機物には影響がないのだと思う。通った場所に融けたような痕は残っていないから。
「そうか、スライムに接近しすぎるのは危険なのかも……」
危ないところだった。油断してバカみたいに突進していったら、やられていたかもしれない。攻撃魔法や遠隔攻撃の出来る武器がない限り、スライムとは一定の距離を保って対処しないとダメなんだ。
でもいいぞ、僕は自分でも思った以上に冷静だし運もある。もっとも、スライムとの距離は確実に縮まっているからモタモタしていられないけど。
――よし、スライムに接近しすぎると危険ということなら選択肢はひとつ。ここは逃げの一手だ!
もちろん、これはネガティブな意味での逃げじゃない。それがこの場では最善だと思うからこその選択なんだ。
意思疎通の力を使うにしても確実に効果が出るって保証が現時点ではないんだし、僕の気付いていないリスクが潜んでいる可能性だってある。この場を乗り越えられる選択肢の中で、確実性が最も高いのが『逃げ』なんだ。
僕は視線を前に向けたまま、後ろにいるミューリエに向かって
「ミューリエ、スライムは動きが遅いから僕は逃げる。無理に戦う気はないよ。一気にスライムの横を駆け抜けるから、そういうつもりで後ろから付いてきてね」
「スライムを相手に逃げるだと?」
「逃げるのも戦略のひとつだよ。逃げるのは禁止されてないよね?」
「確かにそうだが……。もっとも、うまくいくとは限らんぞ? もし回り込まれてしまったらどうする?」
「どうしても逃げられなかったら、その時は腹を据えて戦うさ」
そうは言ったものの、僕の心の中には絶対に逃げられるという自信があった。根拠はない。ただ、昨日からミューリエの指示で走り込みをしてきていたから、そういう気持ちになったのかも。
こうして僕はこの場から逃げることを決め、スライムの動きに全感覚を集中させた。
スライムとの距離が近すぎても遠すぎてもダメ。固唾を呑みつつ静かに待機し、適度な位置関係になる瞬間を狙う。
静まり返った空間と永遠にも感じられるそのわずかな時間が、否が応でも緊張感を高めていく。
――今だッ!
やがて絶妙な距離感になったタイミングで、僕は前方に向かって全速力で走り出した。
その途中でスライムとは一瞬だけすれ違ったけど、ヤツは元々の遅さと判断力のなさによって僕の動きに対応できていない。その場に釘付けになったまま、再び距離が離れていく。こうして僕は無事にスライムから逃げ切ることが出来たのだった。
初戦の結果が『逃走』というのは情けないような気もするけど、避けられる戦いは避けた方がいいし、そもそも今回の目的はモンスター討伐じゃない。タックさんのところへ辿り着くことなんだ。それを考えれば、これは良い選択だったと思う。
その後も僕はさらに洞窟の奥へと進んでいった。ちなみにミューリエも後ろからしっかりと付いてきているみたい。このまま最奥部まで何事もなく辿り着けたらいいんだけどなぁ。
――なんて考えていると、やっぱりそうは問屋が卸さない。今度は通路の前方から羽音のようなものがかすかに聞こえてくる。当然、この場所でそんな音を出しそうなのはデビルバットしかいないだろう。
もちろん、彼らは今の僕にとって厄介な相手であり、避けて通れない障害でもある。正直、出会いたくなかったけど盛大に出迎えられてしまっては仕方がない。やれやれ、ままならない世の中だ……。
そして程なくデビルバットはその姿が視認できるくらいの位置まで飛来してくる。全部で3体。彼らの動きはスライムとは比較にならないくらいに速い。
「アレス、今度はどうする?」
ミューリエは興味津々に僕の行動を注視している。でもデビルバットに対してどう対処しようか、考えようとする間もなく彼らは迫ってきて、僕がハッとした時には体当たりの攻撃を受けてしまう。
しかも彼らはツバメやハヤブサのような鋭い動きで瞬時に切り返し、再び僕に向かって襲いかかろうとしている。想像以上に彼らは素速い。
当然、あのスピードでは逃げ切るのも剣による攻撃をヒットさせるのも難しいだろう。
「ぐ……ぅ……」
体のあちこちに感じる鈍痛に、僕は思わず顔をしかめる。受けたダメージは思いのほか大きい。飛行による運動エネルギーが、体当たりの威力を増幅させているのだ。あの攻撃をまたマトモに食らったら、ただじゃ済まないかもしれない。
また、忘れてはならないのが、彼らは毒を持っているということ。ミューリエの話だと、その毒を受けても即死はしないけど、激痛によってショック死することはあるという。
一応、走り込みの時に森で毒消し草の群生を見つけたから、洞窟へ入る前にいくつか摘んで持ってきている。だからもし毒に冒されても落ち着いて対処すれば大丈夫だと思う。
そしてそれらの状況と情報を考慮すれば、僕が取るべき行動はただひとつ。意思疎通の力を使ってこの危機を回避するしかない。
「ミューリエ、僕は戦うよ。だから僕から遠く離れてて」
「……承知した」
ミューリエはその場から何歩か後ろに下がった。逆に僕は一歩だけ前へ。こうして通路の真ん中に僕だけがポツンと取り残される形となり、暗闇の中で浮かび上がって見えるようになる。
(つづく……)
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