第5-5節:最悪の事態
その後、僕は準備運動を終えると、街道を走り始めようとする。でもその時、ミューリエがなぜか冒険の身支度を
不安を抱えつつ、僕は恐る恐る彼女に声をかけてみる。
「ミューリエ……どこかへ……行くの?」
「うむ。町へ行って体力回復薬を補充してくる。それを使えば、アレスも少しはマシな状態で試練の洞窟に挑戦できるだろう? 昨日、アレスに渡したのは最後の1個で、私の手持ちがひとつもないからな。――ま、そういうわけだ。私が戻り次第、洞窟へ出発するからそのつもりでいろ」
「あ、うん……。えっと……じゃ、このままいなくなるってことはないよね? 絶対にないよね?」
「案ずるな、約束は守る。本当に心配性だな、アレスは」
「だってさ……」
ミューリエは苦笑いしているけど、僕はどうしても不安になる。彼女が約束を破るはずがないと分かっているけど、どうしても万が一ってことを考えてしまうのだ。
傭兵たちに置き去りにされたことが、まだ心の奥底に引っかかってるのかな……。
「アレスよ、私が見ていないからってサボるなよ?」
「大丈夫だよ。そんなことはしない。僕だってちゃんとミューリエとの約束を守るよ」
「ふふ、信じているぞ。では、行ってくる」
ミューリエは僕の肩を軽く叩くと、シアの城下町のある方向へ歩いていった。
もし普通のスピードで移動したとしたら、ここに戻ってくるのは日没の前後くらいかな? あるいは夜になるのかな?
なんにせよ僕と一緒だった時みたいに数日かかるってことはないと思う。あの時のミューリエはかなり余力を残している感じだったから、その数倍は早く進めるだろうし。
つまりこれはほんのちょっぴりだけど、試練の洞窟へ挑むタイムリミットをオマケしてくれたってことだ――と思う。
まさか全速力で走っていって、馬にでも乗って戻ってきたりしないよね? でもミューリエの性格だとそれも完全には否定できないんだよなぁ……。
◆
ミューリエが町へ出かけて数時間が経った。相変わらず僕は走り続けている。
――といっても、スピードは歩いているのと変わらないかもしれない。疲労がもう限界で、これが精一杯なのだ。
だけど僕は前へ進み続けるしかない。もし立ち止まってしまうと、もっと足が動かなくなってしまうということが昨日よく分かったから。
だから歯を食いしばり、僕は足を交互に一歩ずつ踏み出す。
するとその時――!
「ゴァアアアアアァッ!」
不意に森の奥から恐ろしい雄叫びが響いた。しかも定期的なリズムで地面が微かに振動していて、それは少しずつ大きくなってくる。つまりこちらに近寄ってきているということだろう。
これは尋常じゃない重さの何か。おそらく普通の獣じゃない。巨大な熊でさえ、目の前を歩いていてもこんな振動は起きていなかったんだから。
――だとすると、これはきっとモンスターだ。それも洞窟にいたスライムとかデビルバットみたいなヤツとは比べものにならない大きさのヤツ!
なにより離れていて姿も見えないのに、身がすくみ上がってしまうような威圧感まで明確に伝わってくる。思わず全身に鳥肌が立って、奥歯がガタガタと震える。気を抜くとその気配だけで失神してしまいそうだ。
やがて近くの木々の葉が揺れるくらいにまで振動は拡大し、ついにソイツは僕の前に姿を現す!
「ヒッ!」
木と草の陰から姿を現したのは、大きな岩の塊みたいなモンスターだった!
高さは僕の身長の倍くらいあり、目や鼻、耳、口などはない。だから雄叫びは全身を震わせて発しているのだと思う。
また、その体は
しかも岩みたいなくせに動きは意外に速くて、地面には重さによって窪んだ足跡をつけつつ、あっという間に僕のところまで迫ってくる。
「あ……あぁ……ぁ……」
恐ろし過ぎて声がうまく出てこない。こうして目の前に立たれると、その巨大さが際立って分かる。
別に手足や魔法などで攻撃されなくても、僕の方へ倒れかかってこられるだけで充分な脅威。ぺしゃんこに潰されておしまいだ。絶対に命は助からない。
なんて最悪なタイミングなんだ……。
この場にミューリエはいない。つまり僕だけの力でこのピンチを乗り越えるしかないということだ。
もちろん、こんなヤツと戦っても勝てるわけがない。剣も魔法も使えないし、腕力だってない。何かの技を習得していることもない。爆弾みたいなアイテムもない。どうやっても勝てる要素はゼロだ。
走って逃げようにも、足がこんなに疲労している状態ではおそらく逃げ切れないと思う。
――いや、たとえ万全の状態だったとしても、あのモンスターの機敏な動きを考えたら即座に追いつかれてしまうだろう。地の利だってないわけだし。
ミューリエが戻ってくるまで時間を稼ごうにも、僕が持ちこたえられそうなのはせいぜい数分くらいのもの。だからそれも現実的な選択じゃない。
落ち着け、よく考えるんだ。きっと何かあるはずだ。
…………。
……でも何も思い浮かばない。果たしてこの絶体絶命の状況で僕に出来ることなんてあるのだろうか? どうやってもこのピンチを乗り越えられそうにない。もはや打つ手なしか……。
――っ!? いや、待てよ?
僕にも出来ることが、まだひとつだけ残ってるじゃないか! ダメで元々、試してみる価値はある!
「…………」
僕は丸腰のまま、モンスターの前に歩み出た。
そして大きく深呼吸――。
心が落ち着いたところで慈しみと親しみの気持ちを胸に抱きつつ、真っ直ぐにモンスターを見つめる。
『お願いだ、こっちに来ないでくれ。僕は戦いたくない。キミに危害は加えない。だから立ち去ってくれ……』
僕はモンスターに向かって想いを念じた。あの不思議な意思疎通の力を使おうというわけだ。もし相手が獣や虫ならこれで去っていってくれるはず。もちろん、モンスターであるコイツには僕の想いが伝わらないかもしれないけど……。
(つづく……)
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