第1-7節:ドラゴン襲来!
話が通じる相手じゃないし、戦って勝てるわけがない。逃げられるスピードも体力もない。そもそも彼の恐怖感と威圧感によって僕の足はガクガクと震え、全身はすくみ上がってしまっている。動きたくても動けない。
……あ、でも、山の中を彷徨って苦しみながら野垂れ死ぬよりドラゴンに襲われてサクッと死ねる方が楽か。僕の小さくて柔らかい体なら、彼のどんな攻撃でも一撃で容易に引き裂くことが出来るはずだから。
やがてドラゴンは僕の目の前に降り立った。そして静かにこちらを見下ろしている。
不思議なことに攻撃してくる気配は感じられない。炎や吹雪などの
だからといって今の僕に何かが出来るわけでもない。視線を逸らさず、息を呑んで相手を睨みつけるだけ。額には汗が滲み、心臓は痛いくらいに激しく脈動している。
そんな時間が止まったかのような沈黙と対峙が続いていたけど、しばらくして僕はその空気に耐えられなくなってくる。恐怖と焦りで冷静なままではいられない。
ゆえにとうとう僕は何を血迷ったか、無我夢中でドラゴンに向かって叫んでしまう。
「は、早く僕を殺せ――っ!」
『奇妙なことを言う。おぬしは死を望むのか?』
「っ!?」
突然、どこからか響いてきた声に僕は目を丸くした。
低音で落ち着いた声。どことなく知性を感じるような空気があって、温かみも感じられる。
この声の主はもしかして目の前にいるドラゴンだろうか? でもずっと見ていたけど、口は動いていない。かといってほかの誰かが喋っているような感じでもない。
いや、そもそも彼は僕の言葉が理解できるのかという疑問がある。
「てはは……ぼ、僕……恐怖や疲れの影響で耳がおかしくなったのかな? ということは、これは幻聴である可能性も――」
『我はおぬしの目の前にいるドラゴンだ。今、おぬしの心に直接呼びかけている。だから幻聴とは少し違うし、耳は正常であろうと思う』
「っ!? あなたは僕の言葉を理解できるのですかっ?」
『人間の言葉を理解することくらい容易い。ドラゴンの知能をそこらの獣と同等だと思われては困る。むしろ我らは人間以上の知能を持っていると認識しているが?』
なるほど、その言い分には説得力がある。こうしてコミュニケーションが取れているという事実を目の当たりにしている以上、彼の言葉というか『思念』の内容を信じざるを得ない。
『それよりも答えよ。おぬしはなぜ死を望んだ?』
「だってあなたはどうせ僕を殺すでしょう?」
『無抵抗の者に危害は加えぬ。もっとも、攻撃してきた者に対しては容赦なく裁きを下すがな。多くの人間は愚かだ。我の姿を見ただけで敵と判断し、攻撃を仕掛けてくる』
「……ッ!」
危ないところだった。自暴自棄になって下手に抵抗していたら、僕は確実にこのドラゴンに殺されていた。まさに紙一重。どうやら僕は偶然にも正しい選択が出来ていたらしい。
…………。
……危ないところ? なんでそんなことを思ったんだ? 僕は全てを諦め、死を望んでいたというのに。
もしかして僕は……本当は……心の奥底ではやっぱり……。
『おぬしは我に攻撃をしてこなかったが、それはなにゆえか?』
「だってそんなの無意味ですから。僕には力も魔法も勇気も知識もありません。何も出来ない人間なんです。戦って勝てるわけがないんです。もともと戦いだって好きじゃないし……」
『ふむ……』
「もし殺されてしまっても、それが僕の運命なんだと思えば諦めもつきます」
『……興味深い。おぬしは普通の人間とはどこか違うようだ。ならば今一度、問おう。もし我が小さな虫だとして、おぬしを襲ったとする。それでも戦わぬのか?」
襲ってきた相手が小さな虫だったら、か……。
確かにそれならいくら僕でも負けることはないだろう。力もスピードも防御力も、何もかも相対的に能力は勝っているから、きっと一方的に倒すことが出来る。その状況で僕はどうするだろうか?
ドラゴンの問いかけに、僕は即答する。だって今までに似たような経験を何度もしたことがあるから。
「はい、戦いません。そういう時は『あっちへ行って。僕を襲わないで』って念じます。するとなぜか本当に虫や獣はどこかへ行ってくれるんですよ。残念ながら人間には効果がありませんけどね……てはは……」
『何っ!? ……そうか……おぬしは……』
その声の様子から察するに、なぜかドラゴンは驚いているみたいだった。そして僕をジロジロと舐めるように見やり、やがてフッと柔和に笑う――というか、笑ったような気がする。
相手が人間じゃないから僕の気のせいかもだけど、全体の雰囲気というかオーラみたいなものが穏やかで優しくなったのは確かだと思う。
『なるほど、全て分かった。おぬしが普通の人間と違う感じがした理由もな。――では、話に付き合ってもらった礼に、これをおぬしにやろう』
そう言うとドラゴンはどこからか漆黒に輝く水晶玉を取り出して、僕に手渡してきた。
手のひら大のそれは持っているとほんのり温かくて、体が癒されていくような気がする。不思議と喉の渇きや空腹も満たされていく感じだ。
「これは?」
『竜水晶だ。すでに効果を感じ始めているだろう? 持っているだけで肉体を癒してくれる。それと困ったことがあったら念じてみるといい。では、さらばだ! その穏やかな心を決して忘れるでないぞ!』
ドラゴンは翼を何度か大きくはためかせると、直後に遥か天空へ向かって飛び去った。その姿はあっという間に黒い点になって、ついには見えなくなる。
その場には彼の起こした風がわずかに残り、周囲の木々や草を優しく揺らしている。そして静けさが戻り、小鳥たちの声が響いてくるようになる。
「……僕……また助かっちゃった……みたい……」
僕は竜水晶を握りしめたまま、ドラゴンの消えた方角の空をしばらく呆然と眺め続けていた。
無理もない。短時間に色々なことがありすぎて、頭が追いついていってないんだから。
それにしても世の中、何が起きてどう転ぶか分からないものだ。傭兵たちに裏切られて殺されそうになったり、山の中に取り残されてドラゴンと遭遇したり。
でも何度もあった絶体絶命のピンチを、なんだかんだで乗り越えてしまった。そのせいで僕はひとりで旅を続けるしかなくなったわけだけど。
てはは……運がいいのか悪いのか分かんないや……。
「とにかくもう少しだけ足掻いてみよう。まずはシアの城下町を目指して歩いていってみるか」
先のことは分からないけど、意外になんとかなりそうな気もする。うん、やれるだけやってみよう!
――僕はこの時、そう強く決意した。
(つづく……)
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