第1-5節:裏切り

 

 トンモロ村を出発してから約2日が経過した。今、僕たちが歩いているのはブレイブ峠を越える山道で、その先にあるシアの城下町が最初の目的地だ。ジフテルさんの話によると、現時点ではまだ行程の三分の一程度とのこと。


 ちなみにこのルートは険しい坂が続き、危険なモンスターも多く潜んでいるので普通の人間は滅多に通らない。


 少し遠回りになるけど、交易商人や物資の売買に出かける村の大人たちは、道が比較的なだらかでモンスターとの遭遇も少ないフォル街道を使うのが一般的だ――と、いつだったか村長様に聞いたことがある。


 ただ、この峠越えのルートならシアへ最短距離で着けるということで、ジフテルさんが僕たちにこちらの道を提案。それに対し、屈強で体力もあるミリーさんやネネさんは当然それに賛同したのだった。


 確かにモンスターが出てもジフテルさんたちなら容易に倒せるだろうし、急な坂道だって軽々と上り下り出来るに違いない。それを考えれば、理にかなった選択と言える。


 一方、体力のない僕にとっては苦しい道。だけど僕もそれに従うだけだ。


 だって、ひとりだけ反対するわけにはいかないから。パーティの和を乱すようなことはしたくないし。


「はぁ……はぁ……」


 ――とはいえ、ここまで死に物狂いでジフテルさんたちに付いてきたけど、もはや足が重たくて思うように動かない。惰性でなんとか前へ進んでいるという感じ。


 呼吸も苦しい。きっと急激なペースで峠を上っているから、肺にうまく空気を取り込めていないんだと思う。そのせいで頭全体が締め付けられているように痛んで、視界も霞んできている。


 それに額に滲んだ珠のような汗は、すぐに冷えて体温を奪っていく。


 もう色々な感覚がグッチャグチャのスクランブルエッグ状態。気を抜くとすぐにでも意識が飛んでしまいそう……。


 思わず僕は立ち止まって両膝に手を付き、俯いたまま肩で激しく呼吸する。


「アレス様、大丈夫か? 少し休むか?」


 その時、十数歩くらい前を歩いていたネネさんが僕の不調に気付いて小走りで近寄ってくる。それをきっかけに、ミリーさんとジフテルさんも即座にそれに続く。そして程なく3人は僕の前で立ち止まる。


 目の前に佇む巨大な影。顔を上げてみると、それは今の僕にとって天にも届く果てしない城壁のようにも感じられる。


「だ、大丈夫です……。まだなんとか……」


 最後の気力を振り絞り、僕は辛うじて踏み留まっていた。自分でも驚くほどの粘りだ。


 もちろん、体力の限界なんてとっくの昔に超えている。でもこのまま倒れるわけにはいかないから。なるべくみんなに迷惑はかけたくないから。その想いだけで今は動いている。


 僕は戦いでは役に立たない分、せめてそれ以外のことでは頑張らないといけない。


 それに慣れなのか少しは体力がついたのか、旅の初日に比べたら歩けるようになっている気がする。だから旅を続けていけば、いつかきっと少しはマシな状態に……。


「おぉっ! アレス様、根性だけはあるみたいだね。もっとも、屁みたいな根性だけどな。下の下よりもさらに下の最底辺。これくらいなら野良犬の方がまだ骨があるってもんだ。――ったく、足手まといのクソガキが!」


「ですね。まっ、誰かさんは勇者の血筋ってだけですから。戦力外と言うより問題外です。お荷物というか、荷物の方が役に立つだけ有益ですよ」




 …………。


 遠慮会釈もなく浴びせられる罵詈雑言。ゆえに僕は疲れのせいで耳がおかしくなったのかと思った。


 恐る恐る顔を上げると、そこには蔑むような瞳で僕を見下ろしているネネさんとミリーさんの姿がある。旅立った頃のような温かな雰囲気は欠片も感じられない。


 それを認識した途端、僕は頭の中が真っ白になる。呆然と立ち尽くし、息が詰まって全身に寒気がしてくる。



 これ……どういう……こと……?



「やれやれネネもミリーもヒドイですね。本人の前でそういうことを言ったら、いくらカスみたいな彼の心でも少しは傷付きますよ。そんなことよりもさっさと殺してカネを巻き上げましょう」


 当惑している僕に対し、ジフテルさんはニタニタと薄笑いを浮かべる。そこには邪悪さと嫌味な態度が入り交じっていて、優しく上品な空気はすっかり消え失せてしまっている。


 これが彼の裏の顔――いや、こちらが本性なのだとようやく僕は悟る。


 直後、心臓がバクンと大きく脈動して、一気に血の気が退いていく。全身から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。


 そしてそんな僕に対して、ネネが眉を吊り上げながら手を伸ばしてくる。


「さて、アレス様。村長から渡された路銀、持ってたよな? 物騒だからあたしがやるよ。ほら、つべこべ言わすにさっさと出しな」


「っ!?」


「勇者様、もちろん大声で助けを呼んでもいいですよ? どうぞご自由にっ♪ 誰か来てくれるといいですねっ。ふふっ」


 ミリーは屈託なく微笑んでいる。でもその天使のような笑顔が、むしろ僕の絶望感を何倍にも増幅させる。唇の震えが止まらない。


 だってどれだけ叫んでも、こんな場所に助けなんか来るはずがないから。この峠越えの道はただでさえ滅多に人が通らないのに、こんな人里から遠く離れた山の中ではなおさら期待が持てない。そんなことは愚かな僕にだって分かる。


 つまり彼らがこのルートを通ることを提案したのも、最初から全て筋書き通り。まさに僕は手のひらで踊る傀儡くぐつだったということだ。事ここに至ってようやくそれを理解する。



(つづく……)

 

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